表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
処刑台帰りの下級書記官は、死簿に載らない死を読む 〜辺境州で消される名前を紙と印で取り戻す〜  作者: ねむりネコ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

64/101

Episode 063: 旧保全式の写し

 三通目を書くには、今ある紙だけでは足りなかった。

 隔離庫の存在、四人単位の計数、余白の印、欠けた施療鉢。どれも強い。だがそれぞれが局地的だ。相手はきっと言うだろう。現場の一時対応だ、冬期の例外運用だ、誤解だ、と。


 それを崩すには、古い文言が要る。

 現在の制度の外にあるが、今の制度を刺せる言葉だ。


 アシュレイは旧保全署の綴りを、朝から三度読み返していた。

 紙質は脆く、綴じ糸は一部切れている。だが生きている語がある。記録遅延ハ保全欠損ト同視。保全対象ノ隔離ハ回復目的ニ限ル。

 問題は、そこから今の隔離庫へどう繋ぐかだった。


 グラムはそういう古い文言を信用しない。


「今の連中が古い綴りを読むと思うか」


「読まなくてもいいんです」


「じゃあなぜ使う」


「読まなくても、自分たちが外れていると分かる言葉だからです」


 リーゼが鼻を鳴らした。


「役人の喧嘩って面倒だね」


「紙で相手の逃げ道を塞ぐ仕事ですから」


 その会話のあいだ、アシュレイは古綴りの一節を別紙へ写した。

 古語はそのままでは読みにくい。だから横へ現行の言い回しも添える。訳すのではない。今の実務へ引き寄せる。


 セルマはその紙を見て、珍しくすぐに首を縦へ振った。


「これなら効く」


「理由は」


「隔離は治すための手順で、責任をずらすための待機じゃないって書いてあるから」


 医療の人間が一読で掴めるなら使える。

 古い文言をありがたがるのではなく、現場の感覚へ戻せるかどうかが重要だった。


 アシュレイはさらに一節を拾った。

 保全簿に載せずに対象を留め置くことは、欠損の隠匿に等しい。

 ここまで露骨な言い回しが残っていたとは思わなかった。昔の役人は、今よりはっきり嫌なことを書いていたらしい。


 《死簿照覧》が、その一節の脇で細く光った。

 旧保全式、適用可能。

 適用可能というより、適用してしまうと向こうが困る、の方が近い。だからこそ価値がある。


 その時、外で雪を踏む音が止まった。

 誰かが小屋の前で迷っている。グラムが先に戸口へ向かい、しばらくして戻ってきた。


「小僧だ」


「誰です」


「配給小舎の使い走り。中に入れた」


 入ってきたのは、見覚えのある痩せた少年だった。昨日、配給列の後ろで倒れた女を見て泣きそうな顔をしていた子だ。手には小さな布包みを持っている。


「これ……捨てろって」


 開くと、中には古びた板札が三枚入っていた。

 一枚は施療仮印の欠けたもの。二枚は数字だけが薄く残る白札。どれも、残っていると困る種類の札だ。


「誰に」


「配給小舎の裏で、知らない人に。『炭捨て場へ持っていけ』って」


 炭捨て場。焼却箱の近く。

 繋がり方としてはあまりに露骨だった。


 リーゼが札を持ち上げる。


「これ、隔離庫側の札だ」


「分かるのか」


「布穴の開け方が違う。埋葬側じゃない」


 少年は落ち着かない様子で立っている。

 アシュレイは彼の手の赤切れを見た。配給列に並ぶ側ではなく、配給を運ばされる側の手だ。


「名前は」


「トマ」


「なぜ持ってきた」


 少年は少しのあいだ口を結んだが、やがて言った。


「あの部屋に、姉ちゃんが入ってるかもしれないから」


 それで十分だった。

 ここでもまた、制度の外へ落ちた名前を、家族の側から引き戻す糸が出た。


 セルマは札を布へ並べた。


「三通目に入れましょう」


「まだ足りない」


 アシュレイは答えながらも、もう半分は決まっていると分かっていた。

 旧保全式の文言、隔離庫の四人、封緘の単位、施療鉢の欠けた印、そして捨てられるはずだった隔離側の札。ここまで揃えば、局地的な不備の話では済まない。


 足りないのは、誰に向けて書くかだけだ。


 グラムが腕を組む。


「上へ出すだけでいいのか」


「いいえ」


「なら?」


 アシュレイは旧綴りの端を押さえた。紙が古く、少ししなる。


「隔離庫を運用している主体が、旧保全式から見ても逸脱だと示します」


「つまり、局全体じゃなく」


「具体的に名を寄せる」


 そこまで言うと、小屋の空気が硬くなった。

 名前を寄せる段階に入る。それはつまり、誰かの逃げ道が確実に狭まるということだ。こちらの逃げ道も同じだけ狭まる。


 外では雪が少し止んでいた。

 静かな午後だったが、次の紙は静かに済まない。

 旧保全式は、ようやく今の戦いへ届く形になりつつある。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ