表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
処刑台帰りの下級書記官は、死簿に載らない死を読む 〜辺境州で消される名前を紙と印で取り戻す〜  作者: ねむりネコ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

56/101

Episode 055: 閉じた札束

 配給小舎にも施療院にも置かれていない札がある。

 目の前に出てこないまま、誰かの扱いだけを決めてしまう札だ。アシュレイはそれを、閉じた札束と呼ぶことにした。


 マレナの話では、封緘庫の奥に、通常の目録へ載らない補助束があるという。

 正式な帳簿に書けない処理を、すぐ捨てられる紙片へいったん逃がす時に使われる。常設の仕組みではない。だからこそ危ない。正式ではないものほど、責任だけが曖昧になる。


 その夜、アシュレイは施療院の灯が落ちた後で封緘庫の裏を回った。

 雪は止んでいたが、冷え込みはきつい。吐いた息が白く残り、鼻の奥が痛む。門の内側へ置かれた空樽には薄い氷が張っていた。


 グラムが先に来ていた。

 境門番の男は無口だが、こういう時だけは言葉より立ち位置で協力を示す。


「三刻だけだ」


「十分です」


「十分と思うな」


 その言い方で、彼が本気で見張りを買って出ていると分かる。

 時間をくれているのではない。時間の短さを分からせているのだ。現場の人間は、助ける時ほど厳しくなる。


 マレナは内側の鍵を二つだけ外し、あとは自分では開けなかった。


「私が開けたことにしないで」


「しません」


「でも、中を見たら分かる。あれは普通の束じゃない」


 封緘庫の奥は乾いているのに、紙の匂いより蝋の匂いが強かった。

 普通の返送束は、人がよく触るから紙粉の匂いが立つ。だが、奥の棚へ積まれた束は、触られず、閉じられ、しかもすぐ他所へ回されるのか、妙に表面だけが綺麗だ。


 《死簿照覧》が、棚の中ほどで脈を打った。

 三つ並ぶ小束のうち、中央だけが異様に重い。札の厚みではない。そこに含まれている分岐の数が多い。


 アシュレイは一番上の封紙を見た。

 署名なし。日付なし。系統記号だけがある。施療ではなく、配給でもなく、停留再配分でもない。どれにもまたがる補助記号だ。


「これが閉じた札束ですか」


 マレナは頷いた。


「朝には別の棚へ移される。誰が何枚見たかも、あとから辿りにくい」


 便利だ。

 便利すぎる。

 だから使われる。責任を持ちたくない人間ほど、曖昧で移し替えやすい紙を好む。


 アシュレイは紐の結び目に目を落とした。

 普通の返送束は、ほどいた後に結び直すと癖が残る。だがこの束は、最初から結び直しやすいように、少しだけ甘い巻き方をしている。つまり、読むことも、差し替えることも、前提にしている。


 そこまで分かると、逆に寒気が引いた。

 敵の仕組みは巨大に見えるが、こういう所ではいつも雑だ。急いで回し、都合よく使うために、どこかに必ず手癖が残る。


 紙を一枚抜けば気づかれる。

 だから抜かない。

 アシュレイは束の側面を紙片で押さえ、札の番号だけを読み取った。三枚。施療継続から外れた者の番号と、配給差し戻しの控え番号が同じ束へ並んでいる。


「やっぱり」


「何が」


 グラムが戸口から低く問う。


「外された人間が、ここで一つの束にまとめ直されています」


「死人扱いか」


「そこまでは行っていません。けれど、生きている人間として通常照会される列からは外されています」


 その言い方が一番近い。

 死んだことにされる前の段階。生きているのに、通常のやり取りの外へ置かれる。制度の中にいながら、制度が応じなくなる場所だ。


 マレナは紙箱の端を指で押さえた。


「見たでしょう。これを表へ出したら、私は終わる」


「だから今は出しません」


 アシュレイは答えた。


「でも、ここに束があると分かっただけで十分です」


「十分?」


「閉じた札束があるなら、開いた札との対応もある」


 敵が隠しているものは、いつも何かとつながっている。

 単独で存在する不正は少ない。運ぶ者がいる。書く者がいる。封じる者がいる。どこか一つを見つければ、残りのどこかが露出する。


 アシュレイは番号を控えながら、ふと気づいた。

 施療食継続証で救った六件のうち、二件がここにある。つまり、セルマが今日押した仮印は、向こうにとっても「差し戻しきれなかった例外」として見えている。


 例外が見えているなら、例外を潰しにくる。

 今夜ここへ来たこと自体が、次の圧を早めるかもしれない。


「もう戻す」


 マレナが言った。

 声は落ち着いているが、指先は冷えて白い。


「これ以上開けてると、朝の検めで分かる」


 アシュレイは最後に束全体を見た。

 閉じた札束。

 名前を奪うための新しい刃だ。だが刃なら、柄もある。どこかに持っている手がある。今必要なのは、その手元まで線を延ばすことだった。


 外へ出ると、夜気がさらに冷えていた。

 グラムは何も聞かず、先に歩いた。マレナは別の通路へ消える。誰も「うまくいった」とは言わない。


 うまくいったわけではない。

 ただ、敵の机の内側に、まだ名のついていない部屋があると分かっただけだ。


 それでも、その「だけ」は大きかった。

 閉じた札束があるなら、閉じられる前の手、閉じた後の送り先、その両方を追える。ようやく、隔離保全という語の腹の中へ、指が届き始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ