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処刑台帰りの下級書記官は、死簿に載らない死を読む 〜辺境州で消される名前を紙と印で取り戻す〜  作者: ねむりネコ


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Episode 003: 消えた名の分だけ薪が足りない

 州境検問所は、門というより仕切りだった。


 雪除け板を左右へ立て、中央に鉄鎖を渡しただけの簡素な構えだが、辺境ではその程度で十分らしい。止められた荷車はそこで止まり、通された荷車だけが村へ入る。人が生きるかどうかは、頑丈な城壁より、誰が鎖を上げるかで決まる。


 検問所の前には三台の荷車が詰まっていた。樽、薪束、干し芋袋、濡れた布を被せた小箱。どれも冬を越えるには足りず、それでもないよりましな物ばかりだ。


 鎖の横に立つ男がこちらへ目を細めた。肩幅が広く、日に焼けで荒れた頬に無精髭が濃い。黒に近い髪は短く切られているのに寝癖だけは直しきれておらず、髭の先には白い霜が細く降りていた。鎧は古いが、胸革だけは几帳面に油を入れられている。乱れているのは顔と息だけで、仕事に触るものだけは崩していない人間だと、その立ち姿だけで分かった。


「監査小屋の新入りか」


 声で分かった。グラム・ボルツ。副長という肩書きのわりに、この場の通行そのものを握っている顔だ。


「アシュレイ・ヴェルンです」


「知ってる。死に損ないの役人だろ」


 悪意ではなく、事実として言った口ぶりだった。


「病人が通れていません」


 グラムは鼻を鳴らした。


「通れないんじゃない。通さない」


「何人ですか」


 グラムの目がわずかに変わった。現場の言葉ではなく、数を聞いたことへの警戒だった。


「数えてどうする」


「死簿と合わせます」


「……好きにしろ」


 許可ではない。やってみろという意味だ。アシュレイは鎖の脇を抜け、詰まった荷車をひとつずつ見た。車輪に付いた雪の色、箱の刻印、木札番号、積荷票。そこに赤い欠落が混じる。


 病人搬送札だけが別筆で差し替えられていた。複数の村から来ているのに、止め札の筆跡が似すぎている。一本の線が、検問の机へ伸びた。


 机の上には通行控え、戻し札、徴発引換票が積まれている。整っているようで、その整い方がいやに綺麗だった。現場の紙は普通、もっと汚れる。ここにあるのは、見せるために清潔な帳面だ。


 アシュレイは机へ手を置いた。頸の古傷が熱を持つ。《死簿照覧》が走る。戻し札のうち五枚は、理由欄が「発熱者有」で揃っていた。だが村名が違うのに、使われた文句まで揃いすぎている。


「誰がこれを書きました」


「検問詰めの書き手だ。名前までいるか」


「必要です。文言が同じすぎる」


 グラムは返さなかった。代わりに、荷車の持ち主の子どもの咳が風の切れ目で聞こえた。深くて、乾いた咳だ。施療院で見たのと同じ種類の咳。


「この薪も減らされてますね」


「何」


「帳面上は三十束。実物は二十四。差分六束。病人を戻して、施療院の火も痩せる」


 グラムは苦い顔をした。見逃していたのではない。見えても手が足りず、優先順位の外へ押し出していたのだろう。


「……ここで死ぬ連中は、誰も彼も数字に食われるな」


 それは独り言に近かった。現場の人間は紙を嫌うが、紙がどう人を削るか知らないわけではない。


「今日、病人をひとり通してください」


「理由は」


「埋葬票と施療控えと戻し札の照合で。あなたが勝手に通したんじゃなく、戻し札の処理に瑕疵があったことにする」


 グラムは笑わなかったが、口元が歪んだ。役人の言葉を現場へ引きずり下ろすと、だいたいこんな顔になる。


「ひとりだけだぞ」


「今日はそれで十分です」


 そこで、机の引き出しに赤い欠落が走った。帳面ではなく、木の裏へ隠された何かを示している。


「そこ、見せてください」


 グラムの手が止まる。知らない反応ではなかった。知っている場所を指された時の沈黙だ。


 彼は無言で引き出しを抜いた。裏に、薄い紙片が張り付いている。剥がすと、そこには別系統の戻し指示があった。州都監督部の簡易札。署名はなく、ただ「冬季人員整理の妨げとなる病者は、州境外停留を優先」とだけある。


 病人を村へ入れないことが、正式に命じられていた。


「……見なかったことにすれば楽だぞ」


 グラムの声は重かった。


「ここで持ち上げれば、上はもっと綺麗な言葉で蓋をする」


「分かっています」


「それでもやるのか」


 アシュレイは答える前に、荷車の列を見た。薪束を握る老人。布に包まれた子。鎖の前で待たされるだけで、人間は黙って弱っていく。グラムはそれを毎日見ている。見てなお、鎖を上げる時と上げない時を選んでいる。無慈悲だからではなく、全部を通した時に次の日何が足りなくなるか知っているからだ。


 だから厄介だった。敵ではあるが、ただの悪人ではない。制度の内側で、毎日小さな切り捨てを請け負っている実務者だ。


 アシュレイは紙片を見た。薄い。指先ひとつで裂ける。なのに、人を凍らせるには十分な重さを持っている。


「ひとり通してください」


 それが今返せる、唯一の答えだった。


 グラムは長く黙り、やがて鎖を持ち上げた。


「一台だけ通す。記録はお前が書け」


「なぜです」


「俺が書けば、俺の裁量で人を選んだことになる」


 グラムは鎖を持ち上げたまま、前を見ていた。


「お前が書けば、帳面の瑕疵を埋めたことになる。現場の勝手と、書類の修正じゃ、後で殴られる重さが違う」


 そこにあったのは責任逃れだけではなかった。どの言葉で殴られるかを知り抜いた人間の、汚い実務知識だった。


 荷車が門をくぐる。少年の咳が施療院の方へ遠ざかる。それだけで世界が良くなるわけではない。だが、今日通った一台は、昨日まで帳面の外で死んでいたはずの一台だ。


 なら、この一台を足場にできる。

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