Episode 024: 配給印の待ち行列
人が並ぶ時、その列はだいたい二つのことを語る。
足りないか、遅いかだ。
監査小屋の窓口が半ば閉じられてから三日、今度は州境配給印の列が異様に伸び始めた。
配給小舎の前に、朝から十五人、昼には二十四人。袋を抱えた女、炭車の男、幼子を連れた老人。誰も騒がない。騒いだところで印が早くなるわけではないと知っているからだ。
アシュレイは列の脇を歩いた。
気温は低く、息が白い。待っているだけで体力が減る天気だ。配給印の遅延は、それだけで一つの選別になる。
小舎の窓は半分しか開いていない。
内側の書記は見知らぬ男だった。州都から来た臨時係だろう。手袋をしたまま筆を持っている。現場を長く回してきた人間は、あんな持ち方をしない。
「遅すぎる」
セルマが低く言う。
彼女は施療院帰りで、肩に空箱を下げていた。配給印が下りないと、施療院用の粥材も遅れる。
「わざとです」
「でしょうね」
列を見れば分かる。必要数を捌く気がない。遅いのではなく、遅くしている。
アシュレイは一人一人の手元を見た。
袋の口、札の角、使い込まれた板札の木目。ただの群衆ではない。誰が何のために立っているかで、圧のかかり方は変わる。
炭車の男は運搬遅れを恐れている。
背子を背負う女は今日の夕食を失う。
老人は自分ではなく孫の口数を気にしている。
列の意味は全部違うが、結果は同じだ。時間を削られる。
《死簿照覧》が、小舎の窓内へ細く伸びた。
印台の横、仮受理札の束。その中で、三枚だけ別色の札が混ざっている。配給印を待つ列の一部が、別の勘定へ振られている。
「セルマ、あの子」
アシュレイが視線で示した先に、列の半ばで膝を抱える少年がいた。右頬が赤く、唇が乾いている。熱と空腹の両方が来ている顔だ。
「昨日も施療院へ来た。薬は出したけど、粥がないと持たない」
列の遅さが、そのまま施療の失敗へ繋がる。
リーゼも来ていた。配給小舎に用はないはずだが、今は埋葬と配給が近い。片方が止まれば、もう片方の死簿が増える。
「窓の奥、札が三色ある」
リーゼが小さく言った。
「見えた?」
「見えたじゃない。布の結び方と同じ。慣れてる色と違う」
彼女の観察は有効だった。ここでも役割が違うから、見える異常も違う。
アシュレイは配給印の規則板を読んだ。
今日は通常処理のみ、臨時補填は後日一括。そこに小さな追記で、州都監督局による整流措置実施中とある。整流。最近、嫌な語彙が増えた。
「並んでるだけで削られる」
セルマが言う。
「ええ」
「どうする」
アシュレイは一瞬だけ迷った。
ここで抜け道を使えば、また信用の札を削る。一つ現場を助けるたび、向こうは「やはり勝手に線を繋ぐ」と判断する。
だが、その札を惜しんで目の前の列を放置すれば、紙を読む意味がない。ただ乾いた制度の話になる。
「施療継続証を出します」
セルマがこちらを見る。
「今ここで?」
「あの少年と、あと熱持ち三人だけ」
「配給小舎は嫌がるわよ」
「嫌がらせるためです」
リーゼが鼻で笑った。
「だいぶ悪くなったね」
「最初から善人ではありません」
セルマはすぐに小さな札へ施療継続印を書いた。
本来は院内でしか効かない仮印だ。だが配給規則の注記には、施療継続対象の最低食当について即日対応を妨げないとある。向こうも完全には塞げないように、昔の文句が残っている。
アシュレイは列の前へ出て、臨時係へ紙を差し出した。
「施療継続対象四名。規則板注記三行目に基づき、最低食当分だけ先行処理を」
臨時係は露骨に不快そうな顔をした。
「今は整流措置中です」
「規則板は停止していません」
「後ろの列が」
「後ろの列の前に、倒れる列がある」
言い切った瞬間、空気が少し変わった。周囲の人間が一斉にこちらを見る。こういう時、正しいことを大声で言えば通るわけではない。だが、誰も言わなかったことを一人が言うと、列の圧が向き直る。
臨時係は舌打ちを飲み込み、最低食当札だけを切った。
四枚。小さい勝ちだ。だが少年の頬に少し色が戻るなら十分だ。
その直後、列の後方で女が崩れた。
荷袋を抱えたまま、膝から落ちる。周囲がどよめく。熱というより、待ち疲れと空腹だろう。
セルマが走った。リーゼもすぐ動く。
アシュレイは臨時係の机を見た。別色札が一枚、今の騒ぎで机の端から滑り落ちている。
拾うと、《死簿照覧》が鋭く鳴った。
札は配給列の仮受理ではなく、停留再配分の回送札だった。なぜ配給小舎にある。
列はただ遅いのではない。
待たせているあいだに、別の勘定へ人を振り替える準備をしている。
アシュレイは札を袖へ滑らせた。
小さな救いは作れた。だがその代わり、また別の本線が見えた。配給列さえ、待たせるだけの仕組みではなく、再配分の入口になり始めている。
列の形が変わった以上、こちらの紙も変えなければならない。




