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処刑台帰りの下級書記官は、死簿に載らない死を読む 〜辺境州で消される名前を紙と印で取り戻す〜  作者: ねむりネコ


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Episode 021: 保全署の古語

 古い言葉は、死んでいない制度だけが知っている。


 雪捨て場の隠し列を見つけた翌日、監査小屋の棚を総ざらいしたのはリーゼだった。アシュレイが紙を選り分け、彼女が重い綴りを下ろす。役所では普通逆だろうが、この小屋では手が空いている方が高い棚へ届く。


 奥から出てきたのは、革が固くなった旧保全署の綴りだった。帝国成立直後の北州保全監査準則。埃を払うと、乾いた革の匂いが立つ。今の局式より字が大きく、余白が狭い。昔の役所は、紙を惜しむ代わりに責任を惜しまなかったのだろうかと、アシュレイは少しだけ考えた。


 《死簿照覧》は表紙からは動かず、第三綴の途中で細く灯った。


 そこには現行の法式から消えた文句があった。


 保全対象ノ一時的不可視化ハ、当該対象ノ安全ヲ保証スルモノニ非ズ。記録遅延ハ保全欠損ト同視ス。


 記録遅延は保全欠損と同視する。


 アシュレイはその一文を何度か読み直した。古く、硬く、今の文体から見れば使いづらい。だが意味は鋭い。帳面に載せないこと自体を欠損とみなす。今の帝国が一番嫌がる考え方だ。


「当たり?」


 リーゼが横から覗く。


「かなり」


「顔が悪い」


「良い意味でです」


 セルマも来て、文句を読み、眉を寄せた。


「これ、今も使えるの?」


「そのままは無理でも、無効化された条ではありません」


「残骸ってこと」


「ええ。だから刺さります」


 古語は便利ではない。使えば古い権限線へ触れる。だが今必要なのは便利さではなく、相手が無視しづらい論理だ。


 アシュレイは旧綴りの別頁もめくった。死簿と施療簿と埋葬控えを「保全三帳」と呼んでいた時代がある。今は別局別課へ切られ、繋げること自体が越権扱いされる。つまり、今の分断は自然発生ではなく、制度変更の結果だ。


 喉の奥がきりりと痛んだ。処刑台で見た欠け、辺境で見た欠け、それに今の古語が一本へ寄る。


 誰かが、保全を分断した。


 グラムが遅れて入ってきて、綴りの厚さを見て嫌そうな顔をした。


「今度は古文か」


「古文です」


「役人は死んだ奴の文句まで使うのか」


「死んだ制度の文句です」


「もっと嫌だな」


 グラムの反応は正しい。古い規則を持ち出す時は、現場にとって良い場合も悪い場合もある。大抵は面倒しか増えない。


 アシュレイは一枚の写しを始めた。保全三帳、記録遅延ハ保全欠損ト同視。そこに、雪捨て場の隠し列と、州路二重印の件をどう繋ぐかを考える。


 だが考えれば考えるほど、怖くなった。古語を使うということは、相手もその存在を知っている可能性が高い。知った上で切っているなら、こちらの次の紙は、ただの告発ではなく「昔の制度線を呼び起こす動き」と見られる。


「顔色」


 リーゼが言った。


「また悪い」


 指先が冷えていた。見れば、筆の先にごく薄い血が混じっている。喉ではなく、割れた指の関節からだ。気づかないうちに強く握りすぎていた。


 セルマが軟膏壺を放って寄越す。


「塗って」


「後で」


「今」


 役所ではありえない会話だ。だが今は必要だった。こういう小さな割れが、後で作業全体を壊す。


 アシュレイは指に軟膏を塗り、改めて写しを続けた。


 記録遅延は保全欠損。これは言葉として強いだけではない。現場感覚にも合っている。セルマの弟は札の順が一度ずれて死んだ。停留のヤレクは木箱へ回された。炭焼き小屋の老婆は冬菜庫の三袋の差で落ちた。全部、遅延と分断が生んだ死だ。


 つまり古語は、懐古ではなく現実だった。


「これを二通目に入れる」


 アシュレイが言うと、グラムが露骨に嫌な顔をした。


「もっと怒らせる気か」


「はい」


「躊躇ないな」


「躊躇はあります。でも、今さら弱くしても潰され方が静かになるだけです」


 リーゼは写しの紙を持ち上げた。


「これ、向こうが知ってたらどうなる」


「余計に嫌がります」


「知らなかったら?」


「もっと嫌がります」


 セルマが小さく笑った。ようやく、この数日で初めて近いものだった。楽しいからではない。痛みを共有した時の、短い緩みだ。


 夕方、監査小屋の外で鐘が鳴った。埋葬地から運ばれてきた新しい袋がある。現場は待たない。古語を見つけても、すぐ次の死が来る。


 アシュレイは写しをたたんだ。これで二通目の骨組みが少し変わる。ただの不整合一覧ではなく、「分断そのものが保全欠損だ」と言えるようになる。


 それは紙を強くする。


 同時に、こちらの危険も強くする。


 処刑台から落ちた時点で、ただの書記官には戻れなかった。今はさらに、その先へ行こうとしている。古い制度語を掴んで、現行の隠し列を刺しに行くのだから。


 怖くないわけがない。


 それでも手が止まらないのは、怖さより先に、埋まらなかった名前が浮かぶからだ。

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