Episode 020: 帳面のない列
帳面に載らない列は、最初から列としては現れない。
それはだいたい、端から始まる。誰も気にしない脇口、雪の残る荷置き場、埋葬地の裏手。正式な列の脇で、ひっそり人を流すための細い筋だ。
リーゼの裏控えが三日分溜まり、セルマの別写しも増えた頃、アシュレイは初めて「死簿にも停留にも来ない名前」の塊を見た。埋葬袋の縫い目番号、施療仮板の未転記札、守備隊の夜間通過覚え書き。その三つを重ねると、正帳のどこにも出てこない五人分が浮く。
五人。数としては少ない。だが、一人でも死簿へ来ない死があるなら、その仕組みはもう事故ではない。
グラムが守備隊の控え板を机へ置いた。
「俺のところで残ってるのはここまでだ。これ以上は、見つかった時に言い逃れが効かん」
「十分です」
「十分かどうかは後で決めろ」
板には、夜間通過一件、搬入補助一件、負傷者搬送一件とだけある。名前はなく、人数も曖昧だ。だが日時が、リーゼの縫い目控えと合う。
セルマは自分の別写しを広げた。
「こっちは、受け取りを待ったまま消えた薬札」
「消えた?」
「正帳に移る前に、次の板へ行かなかった」
つまり、人間ごと列から落とされている。
アシュレイは三種類の控えを一つの地図へ書き直した。州路分岐、停留小屋、施療院、埋葬地。その間に、正規の線と、途中で消える線。鉛筆が紙の上を滑るたび、欠けていたものが少しずつ輪郭を持つ。
《死簿照覧》はその地図の上で、一本の赤線を選んだ。
監査小屋裏手の雪捨て場。
アシュレイは顔を上げた。
「裏へ行きます」
「今から?」
セルマが眉をひそめる。
「何かある」
リーゼはもう立っていた。
「行くなら私も行く」
雪捨て場は、埋葬地のさらに裏にある。掘り返した雪、壊れた木箱、使い切った石灰袋、破れた布切れ。現場の「不要物」を押し込める場所だ。こういう場所は、たいてい一番よく喋る。
裏手の吹きだまりを越えると、木板の半ば埋もれた列が見つかった。板ではなく、古い簡易担架の骨だ。そこへ布切れが巻かれ、番号の消えた札が括られている。
リーゼが低く息を吸った。
「これ、仮埋葬前の待機列だ」
「正式列にはない」
「あるわけない。こんなの、見つかったら終わる」
アシュレイは担架の一本へ触れた。《死簿照覧》が強く走る。欠けは一つではない。人名欄、死因欄、搬送欄、その全部が歯抜けになっている。正帳へ行く前に、まるごと落とされた列だ。
セルマが布切れを持ち上げる。乾いた血と薬液の混ざった匂いがした。
「施療院を通ってる」
「埋葬地も通ってる」
リーゼの声は硬い。
「でも死簿へ来てない」
つまり、ここは境目だ。生者から死者へ、人間から勘定外へ落とすための、最後の待機場所。
雪の下からもう一枚、薄い木札が出てきた。字は半分消えているが、州路の略記号と、施療仮印の欠けが同じ板へ並んでいた。そんな札は正式には存在しない。存在してはいけない。
アシュレイは指先の痺れを無視して札を持ち上げた。急に視界が狭くなる。使いすぎだと分かる。だが今は止められない。
赤い線は、雪捨て場の担架列から一つの名へ絡んだ。ヤレクではない。別の若い女だ。名は消えかけていたが、施療仮印の板に「ノア」とだけ残っている。
「この人、死んでる?」
セルマが聞いた。
「分からない」
アシュレイは正直に言うしかない。
「でも、少なくとも正規のどの列にもいない」
それが一番嫌な答えだった。死も生も確定されず、帳面の外に置かれた人間。制度は、殺す時だけでなく、数えない時にも人を奪う。
グラムが周囲を見回した。
「全部持って帰るのは無理だ」
「分かっています」
「なら何を持つ」
アシュレイは雪の上の担架、木札、布切れ、石灰袋の破れ口を見た。全部は無理。なら核だけ取る。
「札一枚、布一片、担架番号の写し」
「少ないな」
「十分です。存在を証明するには」
リーゼが担架の木目を指でなぞった。
「こんな列があったら、死者の数が合うわけない」
「はい」
「あんたの告発草案じゃ足りないね」
その通りだった。今までの草案は、流路変換と二重印と名目分離を扱っていた。だがこれは、その先の穴だ。正帳に乗る以前の列。制度の外側に作られた待機場所。
アシュレイは札を布へ包んだ。冷えた手の感覚が薄く、うまく結べない。セルマが無言で結び直した。
ふいに、少しだけ安堵した。こういう時に黙って手を足してくれる人間がいることは、冷えた世界では十分すぎる支えになる。
だが、その支えは長く続かない。
これを見つけた以上、こちらの危険は一段上がった。隠し列は、ただの不正ではない。見つかったら困るから、最初から存在しないことになっている。その存在を知った人間も、同じ処理をされかねない。
雪捨て場から戻る道で、アシュレイは何度も振り返った。列は風で少しずつ埋まり、見つけた証拠も、放っておけばまた雪の下に消えるだろう。
だからこそ、次の紙はもっと大きくしなければならない。
今や相手は、数のごまかしではなく、列ごとの抹消をしている。




