Episode 019: 埋葬係を外す命令
切るなら、まず一番静かな役目から切る。
ヴァイスが来て二日後、正式通知が届いた。辺境監査小屋における埋葬補助者の臨時帳簿関与停止。文面だけ読めば、整備と混線防止のための措置に見える。現場で読むと、リーゼの手を帳面から外せという意味しかない。
リーゼは通知を読み終えて、紙を半分に折りそうになり、結局折らなかった。
「畳んだら負けた感じがする」
「破ったら向こうが喜びます」
アシュレイが言うと、彼女は「分かってる」とだけ返した。
埋葬地は午前のうちに雪が少し緩み、土の色が見えかけていた。浅い穴の脇に立つと、湿った冷気が足元から這い上がる。ここでは怒っている暇がない。人は死に、埋めなければならず、木札は書かなければならない。だから命令は効く。効かせるために、忙しい役目から切る。
リーゼは麻布で包んだ木札束を抱えて歩いていた。表向きは帳面から外されても、木札を書くことまでは止められない。だが帳簿へ転記できなければ、次に死者が減るのは簡単だ。
「手、止める?」
アシュレイが聞くと、リーゼは振り向かずに答えた。
「埋める手なら止めない」
「帳面は」
「あんたが見る」
それは信頼というより、分業の確認だった。だが前より重い言葉だった。前は「余った手で写す」と言っていた人間が、今は自分の手を切られたあとでも、なお帳面側をこちらに預けている。
埋葬地の端で、新しい遺体袋が三つ並んでいた。二つは正規の札付き、一つだけが仮札で、搬入元に「州路側」とだけ書かれている。《死簿照覧》はその一つへ濃く走った。死因欄は空白、搬送欄は二重線で消され、埋葬許可印だけが先に押されている。
順番がおかしい。
リーゼも同じ違和感を覚えたらしい。
「この袋、許可が早すぎる」
「ええ。死因確認より先です」
「急いで埋めさせる気だ」
埋葬地で急ぐ理由は一つしかない。後から見返されると困るからだ。
そこへグラムが来た。雪を踏む音がいつもより強い。苛立っている時の歩き方だった。
「守備隊にも来た」
「何が」
「お前の周辺で帳簿照合に協力するな、って遠回しの紙だ」
「やはり」
やはり、では済まない。想定どおりということは、狙いがそのまま進んでいるということだ。
「俺まで露骨に寄れば、門の裁量を削られる」
「分かっています」
「分かってる顔じゃない」
グラムは埋葬袋の前で立ち止まり、仮札を見た。
「これも州路側か」
「はい。しかも急ぎすぎています」
「夜の木箱の次は、昼の早埋めか」
そういうことだ。手口が変わっても目的は同じ。途中で死を確定させ、あとから誰も辿れないようにする。
リーゼが低く吐き捨てる。
「紙で私を外して、紙で早く埋めろって? ふざけるな」
その怒りはもっともだった。彼女にとって埋葬は作業ではない。死者を最後に人として扱う仕事だ。だからこそ、この命令は人員整理ではなく侮辱に近い。
アシュレイは遺体袋の脇へしゃがみ、仮札を見た。札木の裏に薄い鉛線が残っている。前の文字を削った痕だ。木札まで使い回している。
「リーゼ」
「何」
「今日から、表の帳面には触らないで下さい」
彼女が凍ったようにこちらを見る。
「向こうの命令に従えって?」
「違います。表で従う」
アシュレイは言葉を選んだ。
「その代わり、木札番号と袋縫いの癖で、別の控えを作る」
リーゼは眉を寄せたまま黙った。すぐには飲み込めないだろう。帳面から外されるのに、その帳面のために裏の控えを作れと言うのだから。
「袋の縫い方、結び目、布の継ぎ目。あなたにしか分からない識別があります」
「それを帳面代わりにするの」
「します。表で切られたなら、裏で繋ぎ直すしかない」
グラムが腕を組む。
「危ない橋だ」
「でも残る」
セルマが後ろから声を掛けた。いつの間にか来ていたらしい。施療院帰りの手袋に薬草の粉が付いている。
「私も表の札だけしか出さない。別写しはもう別の板に移す」
ヴァイスの狙いは当たっていた。紙の命令は痛い。人を迷わせる。自分のやっていることが本当に正しいか、一瞬だけ立ち止まらせる。それでも、ここで止まったら次からはもっと簡単に切られる。
リーゼは埋葬袋へ手を置いた。しばらく黙っていたが、やがて言った。
「袋の縫い目で区別するなんて、馬鹿みたいだ」
「はい」
「でも死んだ人間の顔よりは、まだ残るか」
「残ります」
彼女は一度だけ頷いた。
「じゃあやる。帳面から外されても、こっちの死者を消させない」
その決断で、何かが決まった。監査小屋は表の制度からは少しずつ切られる。だが、切られるたびに別の結び目が増える。
埋葬地を吹き抜ける風は冷たかった。けれどその冷たさの中で、アシュレイは少しだけ確信した。ヴァイスは強い。だが彼の強さは、こちらが役割ごとに孤立した時だけだ。役割の裏側で繋がっている限り、まだ折れない。
問題は、その裏の繋ぎがいつまで持つかだった。




