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処刑台帰りの下級書記官は、死簿に載らない死を読む 〜辺境州で消される名前を紙と印で取り戻す〜  作者: ねむりネコ


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Episode 016: 最初の告発草案

 告発文は、怒りで書くとたいてい負ける。


 監査小屋の長机に、紙が六束並んでいた。停留小屋の白布控え、州路二重印の通行控え、冬菜庫の個人控え、夜番で押さえた州路補填札、施療順板の写し、そして死簿側の照合表。全部を一枚へ押し込もうとすると、ただの悲鳴になる。悲鳴では、州都の机を動かせない。


 だからアシュレイは、順番を整えるところから始めた。


 火鉢の炭は朝から弱い。灰を寄せて小さな赤だけを守る。リーゼは裏で新しく届いた遺体袋を点検し、セルマは施療院へ戻る前に薬札の写しを追加していった。グラムは扉口に立ち、誰かが来ればすぐ分かるように外を見ている。


「本当に出すのか」


 グラムが言った。


「草案です」


「出す気はある」


「あります」


 彼は舌打ちしそうな顔をしたが、しなかった。


「出した瞬間、お前は厄介者から害虫へ昇格だ」


「もう半分くらいはそう見られています」


 グラムは肩をすくめた。


「その半分を全部にするなと言ってる」


 それでも扉口を離れない。止めたいのに止めないということは、彼なりに必要性を認めているのだ。


 アシュレイは最初の一行を書いた。州境保全監査所における臨時照合作業の結果、停留・施療・埋葬・州路補填の各控えに、同一対象の名目分離および保全物資の流路変換が認められた件について――。


 乾いている。だが乾かせる必要がある。ここで先に怒れば、相手は「情緒的な混乱」で片づける。紙の上では、冷えた方が生き残る。


 それでも冷やし切れない部分がある。死者の名だ。炭焼き小屋の老婆、停留で押し込まれたヤレク、二重進路を付けられた患者たち。彼らを匿名の「対象」にしすぎると、今度は自分が州都のやり方へ寄っていく。


 だから本文のあとに、別紙の個別事例を付けることにした。


「名前を出すの」


 リーゼが後ろから言う。


「出さないと、また勘定になります」


「出したら、遺族まで追われるかも」


 そこが痛かった。紙は人を守る道具だが、人を差し出す道具にもなる。


 アシュレイは筆を止めた。喉の奥で、小さく血の味がした。寒気というより、集中が長引いた時の鈍痛だ。


 リーゼが静かに一枚の紙を置いた。埋葬票の控え。炭焼き小屋の老婆の分だ。


「遺族名は伏せる。木札番号と埋葬日だけ残せば、こっちは照合できる」


 その判断が必要だった。記録の重さを残しつつ、晒しすぎない方法。


「ありがとうございます」


「まだ礼は早い」


 セルマは別の束を差し出した。


「こっちは薬札。逆順番号のところだけ抜いてある」


「助かります」


「助けてるんじゃない。自分の仕事を戻してるだけ」


 それも正しい。今ここにいる三人は、誰かのために崇高に動いているわけではない。それぞれが、自分の守る領分を踏み荒らされたくないだけだ。だがその「だけ」の束が、ようやく組になる。


 アシュレイは書き進めた。二重印の併用、保全物資の補填勘定化、停留対象の不適切搬送、施療判断の余白削除、冬菜庫正帳と私控えの差分。論点を五つに絞る。全部を一気に断罪しない。まずは「放置できない不整合」の形へ揃える。


 途中でグラムが外から戻った。


「州都便、昼ではなく夕方に繰り上がった」


「理由は」


「知らん。だが、出すなら今夜だ」


 圧が一段近づいた。夕方便へ間に合わせるなら、もう躊躇う時間は少ない。


 アシュレイは最後の段落を書いた。現場での保全措置を継続するため、関係帳簿の保全停止、州路印の照合、および停留搬送手順の即時凍結を求める。


 凍結。強い言葉だ。強すぎるかもしれない。だが弱く書けば、相手は確認文で包んで終わらせる。


「出したら戻れないぞ」


 今度はグラムではなく、リーゼが言った。


 アシュレイは紙を乾かしながら答えた。


「もう処刑台へ戻る気はありません」


「そういう意味じゃない」


 分かっている。戻れないのは、監査小屋で静かに写し取りだけしていれば生き延びられる位置へ、だ。


 セルマが腕を組んだ。


「でも、出さないと次の木箱が来る」


 その通りだった。次の木箱、次の白布、次の三袋。全部が小さく見えるから、上は続けられる。だったらこちらは、小さいまま束ねて重くするしかない。


 封を閉じる前に、アシュレイは題箋の裏へもう一つだけ控えを挟んだ。州路印の欠け方一覧。誰かが読めば、単なる現場の錯乱ではなく、印の二系統運用に気づくように。


 《死簿照覧》は静かだった。今は読むより、書く段階だとでも言うように。


 夕方の薄暗さが部屋へ落ち始める。グラムが返送箱を持ち、リーゼが蝋を温め、セルマが最終の薬札写しを差し込む。


 一人で書いたのではない。これが重要だった。誰か一人の思いつきではなく、現場の役割が持ち寄った紙でなければ、上はすぐ潰せる。


 アシュレイは封を押した。蝋が固まるまでの短い時間だけ、部屋が妙に静かになる。


 最初の告発草案が、机の上で冷えていく。


 これで何かがすぐ変わるとは思わない。むしろ逆だ。紙が届いた瞬間から、こちらを潰すための紙も動き始める。


 だが、ようやく形になった。死簿に載らない死を、ただ見つけるだけではなく、制度へ返す形が。


 扉の外で、夕方便の鈴が鳴った。


 アシュレイは返送箱を抱えたグラムを見た。次に来るのは返答ではない。もっと直接的な圧だ。それでも送る。送らなければ、今日までの十話が全部、寒さの中の発見で終わる。


 送った瞬間から、監査小屋は現場ではなく敵地になる。


 だからこそ、ここから先が本番だった。

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