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処刑台帰りの下級書記官は、死簿に載らない死を読む 〜辺境州で消される名前を紙と印で取り戻す〜  作者: ねむりネコ


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Episode 014: 灰印の夜番

 夜の州境は、昼より静かなぶんだけ悪意の形がはっきりする。


 見張ると決めたのはアシュレイだったが、実際に見張りへ出る段になって一番嫌な顔をしたのはグラムだった。


「紙の人間がやる仕事じゃない」


「紙だけ見ていたら、また別の名前で通ります」


「だからって凍えて倒れられても困る」


「倒れません」


「その言い方をする奴ほど倒れる」


 正論に返す言葉はない。だが、今回は紙の側から現場へ降りる必要があった。州路の二重印、冬菜庫の抜き取り、停留小屋の白布。全部が線では繋がった。次は、その線がいつ誰の手で動くのかを見る番だった。


 監査小屋から半刻ほど下った監視杭跡に、四人は身を伏せた。アシュレイ、グラム、リーゼ、セルマ。本来ならセルマを連れてくるべきではない。だが施療品の包み方や石灰樽の扱いは、彼女が一番よく知っている。


 雪は薄く止み、空気だけが刺すように冷たい。息を吸うと肺が狭くなる。首の古傷はもう痛みではなく鈍い圧へ変わっていた。こういう冷え方は危ない。しばらくすると指先の感覚が急に途切れる。


 リーゼが低く言った。


「無理なら先に言え」


「まだ無理ではありません」


「その『まだ』が嫌いなの」


 彼女は毛布の端をアシュレイの膝へ押しつけた。乱暴だが、拒む余地を与えない手つきだった。


 深夜に近い頃、最初の鈴が聞こえた。遠い。正路側ではない。川縁道だ。


 グラムの手が上がる。全員が息を止める。


 雪面を裂く橇音が近づいてきた。荷馬ではなく小型の滑り台だ。二人引き。積まれているのは樽三つ、布包み二つ。そして長い木箱が一本。


 セルマの口元が固くなる。


「あの布包み、施療院の結び方じゃない」


「何が違う」


「縦結び。あれは州路側の雑な縛り」


 《死簿照覧》が起きる。暗闇でも欠けは見える。樽の一つ、布包みの片方、木箱の札穴。全部に赤いひびが走っている。しかも、木箱だけは死簿ではなく埋葬票側へ線が伸びていた。


 木箱が一番嫌だった。人が入る大きさに近い。


 荷が監視杭の前で止まる。男が一人、懐から札を出して火打ちで照らした。もう一人は足で雪を払っている。会話は短い。


「州路補填」


「夜中に?」


「上の指示だ」


 上、という言葉は便利だ。責任の顔を消す。


 アシュレイは膝の上の紙片へ、見えた順を走り書きした。樽三、布二、木箱一、州路補填札、夜間通過。書いたところで、指先がうまく曲がらない。冷えが来ている。


 その時、後方で小さく咳が鳴った。セルマだ。ほんの一度だったが、夜の静けさでは十分すぎた。


「誰だ」


 荷番の男が顔を上げる。


 グラムが即座に立った。隠れ続ける段階は終わったと判断したのだろう。


「州境守備だ。止まれ」


 男たちが舌打ちする。片方は逃げようと橇を押したが、雪で滑った。リーゼが横から駆け出し、布包みの縄へ体当たりした。樽が一つ倒れ、蓋が外れる。白い粉が雪の上へ広がった。石灰だ。


 もう一つの包みが裂け、中から施療布が転がる。だが木箱だけは動かない。


 グラムが槍を突きつける。


「札を見せろ」


 男は黙ったまま紙を差し出した。火打ちの火が一瞬だけ照らした札は、昼に見た二重印の片割れだった。州路補填印、だが施療物資符号が薄く削られている。


 アシュレイは木箱へ近づいた。近づいた瞬間、吐き気が上がる。《死簿照覧》が強く鳴った。


 死者ではない。


 中には、生きた人間がいる。


「開けてください」


 自分でも声が掠れていた。


「何だと」


「開けろ。今すぐ」


 グラムが男を押しのけ、箱の留め木を外した。蓋がずれた瞬間、湿った咳が中から漏れた。若い男だ。口元に布を巻かれ、熱で意識が朦朧としている。停留対象者を、死亡処理前提の木箱で運んでいたのだ。


 セルマが罵声を吐きながら駆け寄った。


「馬鹿なの。窒息する」


 彼女が布を外し、呼吸を確かめる。リーゼは石灰の樽を見て顔を歪めた。


「生きた人間と同じ荷に積む量じゃない」


 アシュレイは札と木箱と男の顔を交互に見た。これで一本ではなくなった。州路補填。施療布。石灰。生存者搬送。全部が同じ夜便に乗っている。


 つまり、途中で生死も名目もまとめて書き換えていた。


 男の一人が叫ぶ。


「命令だ! 州都命令で、停留対象を先に振り分けるだけだ!」


「振り分ける、だと?」


 グラムの声が低く沈む。


「木箱でか」


 男は目を逸らした。それだけで十分だった。自分でも何を運んでいたのか、分かっている顔だ。


 アシュレイは夜気の中で震えた。寒さだけではない。処刑台で見たものと同じだった。人を殺す制度は、たいてい大きな命令ではなく、小さな手順の連結でできている。


 リーゼがアシュレイの肩を掴む。


「立てる?」


「立てます」


 立てる。だが、明日まで今日のままではいられない。今夜押さえたのはただの荷ではない。停留対象を「死ぬ側」へ滑らせる工程そのものだ。


 木箱から引き上げられた男が、薄く目を開いた。何か言おうとして、音にならない。


 アシュレイはその顔を見た。まだ死簿へ来ていない顔だ。だからこそ守らなければならない。


 この夜番で、ようやく掴んだ。紙の矛盾ではない。矛盾を実行する手順の現場だ。


 そしてそれを掴んだ以上、次は押さえた荷をどう記録するかで、こちらの首が決まる。

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