Episode 013: 数えられない荷馬
州境道は、雪の上に引かれた線ではなく、誰がどこまで死なずに辿り着けるかで決まる道だった。
昼過ぎ、アシュレイたちは旧監視杭の残る分岐まで出た。道そのものは一本に見えるが、荷馬が踏み固めた筋は三本ある。公式の州路、炭焼きと行商が使う脇道、そして凍るとだけ使われる川縁道。帳面には一本しか書かれない。だが人も荷も、そんなに素直ではない。
グラムが前を歩き、槍の石突で雪面を確かめていく。
「ここより先は轍を見る。紙を読むのは帰ってからにしろ」
「両方やります」
「だから死にかける」
正論だった。頸傷の奥は朝から重く、寒気に触れると耳の下から肩まで鈍く痺れる。《死簿照覧》を続けると指先まで冷えが落ちる。だが今は、現場の線と帳面の線を重ねる必要がある。
ベンチ代わりの石杭に、削れた荷番札が括りつけられていた。三つ。公式帳面では、ここを通った荷馬は二組しかない日だ。
アシュレイが触れた瞬間、《死簿照覧》が札の木目に細く走った。赤い欠けは、第三の札から川縁道へ伸びている。帳面に載らない馬列が一本ある。
「グラム、副長」
「見えたか」
「公式路ではない方を、荷馬が一組通っています」
「川縁か」
「ええ」
セルマが吐く息を白くしながら足元を見た。
「どうしてわざわざ危ない方を?」
「見られたくないからです」
単純だが、その単純さが一番嫌だった。危険な道を選ぶほど、隠したい荷だということになる。薬か、布か、木札か。それとも帳簿か。
リーゼは周囲の雪面を見て、しゃがみ込んだ。
「荷の重さが違う」
「分かるのか」
グラムが意外そうに聞く。
「埋葬橇はもっと沈む。これは途中で軽くなってる」
アシュレイも跡を追った。最初の轍は深い。だが分岐の先で急に浅くなっている。荷が減ったか、積み替えたか。帳面が一本、現場が二度動いている。
《死簿照覧》がまた揺れる。川縁道の先、赤い欠けは短く途切れ、そのかわり別の名前へ絡んだ。ベルハルト。やはり州路の中継責任者だ。
「いた」
「何が」
「名前です」
自分でも口が滑ったと分かった。名前が見えた、と言うのは危うい。異能を隠しておくべき段階はまだ過ぎていない。
セルマがこちらを見たが、追及はしなかった。代わりに、
「じゃあ、その名前が何を運んでるか当てましょう」
と言った。彼女はそういうところが助かる。疑問を残したまま、今必要な仕事へ話を戻せる。
川縁道を少し下ると、雪の吹きだまりの陰に壊れた車輪痕があった。荷箱の角で削れたらしい木片も落ちている。リーゼが拾う。内側に白い粉がついていた。
「麦じゃない」
セルマが匂いを嗅いで顔をしかめる。
「石灰。遺体処理か、施療区画の消毒」
「なのに帳面では一般補填」
アシュレイは足元の木片を見た。石灰がここで落ちたなら、本来行くべき場所へ届いていない分がある。
喉の奥が急に焼けた。咳き込む前に唇を噛む。血の味がしたが、吐かなかった。雪の上へ血を落とすと、リーゼがすぐ気づく。
グラムが横目で見た。
「戻るか」
「まだです」
「お前の『まだ』は信用ならん」
「あと一つだけ」
その一つが必要だった。どこで荷が軽くなったのか。どこで帳面と現場が分かれたのか。
川縁道の終わり近くで、杭の陰に縄切れが見つかった。荷札を括るための州路規格縄だ。だが端が焼き切られている。普通に外したなら、こんな焦げ方はしない。
誰かが急いで札を外した。
アシュレイは縄を持ち上げた。赤い欠けがそこから州路正路へ戻り、また脇道へ逸れる。行きと帰りで別の帳面を使っている。
「グラム、荷馬は一組じゃない」
「どういう意味だ」
「帳面上は一組。でも現場では、途中で名目を変えた同じ荷列が二つの仕事をしている」
セルマが舌打ちした。
「施療の石灰まで食ってるの」
リーゼは縄切れを見つめたまま言う。
「死人を減らして見せるなら、死んだ後の処理も削るよね」
そこまで繋がると、ただの横流しでは済まない。死を小さく見せるために、埋葬も施療も州路も、全部を少しずつ削っている。
帰り道、風がさらに強くなった。アシュレイは何度か足を取られたが、倒れなかった。倒れるわけにはいかない。今日見たのは「不足」ではなく「比較不能化」だ。同じ荷を、別の名前へ割り当て、誰も全体像を掴めないようにしている。
監査小屋へ戻ったら、まず路線図を引き直す必要がある。州路正路、脇道、川縁道。荷、死体、石灰、白布。別々の控えを、一つの地図に戻す。
その作業だけは、アシュレイにしかできない。
夕暮れの薄い藍の中で、州路の鈴がまた鳴った。次に通る荷馬が、誰を生かし、誰を帳面の外へ押し出すのか。もう少しで見える。だが見えるのと止めるのは別だ。だから次は、見張るのではなく押さえる必要がある。




