表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
処刑台帰りの下級書記官は、死簿に載らない死を読む 〜辺境州で消される名前を紙と印で取り戻す〜  作者: ねむりネコ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/101

Episode 012: 冬菜庫の帳尻

 州境の冬菜庫は、倉庫というより凍りかけた胃袋だった。


 村と監査小屋のあいだにある石積み小屋で、普段は干し根菜と塩漬け肉、それに麦袋の控えを預かる。春から秋なら単なる保管場所だが、冬になると命の待合室になる。ここで一袋足りないということは、二十人分の三日が消えるということだ。


 アシュレイが入った瞬間、鼻先へ乾いた土と古い油の匂いが刺さった。木箱の蓋は何度も開け閉めされた跡があり、縄の毛羽立ちに白い粉が絡んでいる。粉は雪ではなく乾いた麦だ。袋から少しずつ漏れ、床板の目へ入り込んだ粉だ。


 冬菜庫番の老婆は、入ってきたアシュレイを見てすぐに顔をしかめた。


「役所は昨日も来た」


「今日は役所としてではなく、死簿側として来ました」


「どっちでも減る時は減るよ」


 正しい。現場から見れば、役所も死簿も同じく上から降ってくるものだ。


 リーゼが木札束を覗き込み、セルマは根菜箱の隙間に指を入れて凍り具合を確かめる。今回はグラムも来ていた。州路照会の返答を待つあいだに、足元の数字を固めるためだ。


 アシュレイは帳簿を開いた。州境冬菜保全控え。きちんとした表題だが、中身は気取る余裕がない。日付ごとに出し入れが書かれ、その右に配布先の印が並ぶ。問題は、数字自体ではなく余白だった。


 《死簿照覧》が、七日前の行で沈むように濃くなる。


 入庫二十袋、出庫八袋、残十二。だが次の頁では、その十二が最初から九になっている。訂正印はない。掠れた削り跡だけがある。さらに別控えでは、その三袋分が州路中継補填として計上されている。


 足りないのではない。こちらから抜かれている。


「リーゼ、昨日埋めた老人」


「村外れの炭焼き小屋の? ええ」


「遺族は何を食べていました」


「根菜の煮崩れと、塩湯」


 セルマが口を挟んだ。


「施療院へ来た時も、腹の音しかしなかった」


 数字が急に顔を持つ。三袋。三袋と書けば軽いが、その三袋が回っていれば、老人の家はあと何日持ったのか。そういう想像をした瞬間に、帳面はただの表ではなくなる。


 庫番老婆が腕を組んだ。


「あんたら、今さら数を見て何が変わる」


「変わるかどうかは、まだ言えません」


 アシュレイは正直に答えた。


「でも、減った理由が雪や鼠じゃないと分かれば、止め方は変わります」


「止められるなら、去年止めてるよ」


 その声には怒りより疲れがあった。去年も一昨年も同じことを言ったのだろう。来る役人ごとに。だから彼女は、もう希望を持つコストを払いたくない。


 グラムが木箱の底板を蹴った。


「抜いたのが内側なら、運び手か、印を持つ奴だ」


「もしくは両方です」


 アシュレイは頁をめくった。別冊の労務控え。荷運びに使った人足の数が書かれている。そこでも赤い欠けがある。冬菜庫の荷降ろし人数が、州路補填便の日だけ一人多い。その余分な人足には名前がなく、記号だけが振られていた。


「記号人足?」


 リーゼが低く呟いた。


「そんな書き方、見たことない」


「死者の控えにも、似た逃がし方があります」


 アシュレイは喉の奥に痺れを感じた。処刑台の記録板で見た、削られた立会人欄。責任の根を薄くする方法は一つではない。名前を消す。印を増やす。記号へ逃がす。全部、同じ技術だ。


 セルマが根菜箱から凍りかけた芋を持ち上げた。握ると皮がひび割れる。


「これ、配る順もおかしい。古い方が奥に押し込まれてる」


 庫番老婆が顔をしかめる。


「前の補填便で勝手に積み替えられたんだよ。『州都基準に合わせる』って」


 アシュレイはその言い回しを覚えた。州都基準。現場が壊れる時にだけ使われる便利な言葉だ。


「その時の立ち会いは」


「州路の男と、こっちの若いのが一人。若いのは今、雪掘りに出てる」


 若いのが必要だ。だが今追っても聞けない。なら先に帳尻を固める。


 アシュレイは冬菜庫帳、州路補填控え、労務控えを横に並べ、紙の端へ薄く印をつけた。


「三袋。余分一人。別印。これで一本です」


 グラムが訝しむ。


「一本?」


「はい。まだ証明ではないけれど、同じ線の上に並びます」


 リーゼは木札を指で弾いた。


「その線の先に、死者がいる」


「います」


 言い切ると、庫番老婆の目が少しだけ変わった。半信半疑は消えていない。だが、役人が「不足ではなく抜き取りだ」と口にしたこと自体が、これまでとは違ったのだろう。


「……炭焼きの婆さんの分、あんたは戻せるのか」


 戻せない。死んだ者は戻らない。


 アシュレイは一拍置いて答えた。


「その人の冬は戻せません。でも、次の家の三袋は守れるかもしれない」


 嘘ではないし、十分でもない。こういう返答しかできない時、自分が役人であることを嫌でも思い出す。誰か一人に完全な救いを渡せない。それでも線を一本止めるしかない。


 庫番老婆は黙り、少ししてから帳簿の下から別の小束を出した。汚れた個人控えだ。


「正帳へ書き直す前の殴り書き。捨てようとしてた」


 そこには、正帳へ残っていない袋数と、人足の呼び名が記されていた。記号ではなく名前だ。しかも、州路中継係ベルハルトの走り書きが混じっている。


 アシュレイは指先が冷えるのを感じた。寒さだけではない。証拠に近づく時の、あの嫌な冷えだ。


 帳尻ではなかった。最初から抜くために、帳面が二種類用意されていたのだ。


 外で風が唸る。冬菜庫の扉板が震え、棚の瓶がかすかに触れ合う。


 アシュレイは控え小束を大事に包み直した。三袋の差は小さく見える。だが、こういう小さい差分だけで人は冬を越せなくなる。ここで見つけたのは不足の証拠ではない。誰かが「少しくらい」と思って抜き続けた跡だ。


 少しくらい、の積み重ねが死簿を太らせる。


 そのことを、今度こそ紙に縛らなければならない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ