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処刑台帰りの下級書記官は、死簿に載らない死を読む 〜辺境州で消される名前を紙と印で取り戻す〜  作者: ねむりネコ


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Episode 099: 名のない収容先

「保留舎」というへこみ文字は、本当の名ではなかった。


 そのことが分かったのは、三日後にリーゼが持ち帰った小さな木札のせいだった。札は川底近くの葦に絡んでいた。水を吸って黒ずみ、穴の縁は欠けている。人へ付けるのではなく、場所へ掛ける札だろう。


 乾かして読むと、表に一字だけ残っていた。


 舎。


 裏には、ほとんど消えた墨で「仮置」のような跡がある。仮置舎。いずれにせよ、正式施設ではない。正式施設なら、もっと整った書体と州名が入る。


 アシュレイは木札を机へ置き、受取帳の紙片と並べた。


 言葉が少しずつ重なっていく。

 仮収容印。

 保留。

 仮置。

 天候留。


 全部、責任を先送りにするための語だ。


 セルマは木札を見るなり眉を寄せた。


「置く、で済ませてる」


「ええ」


「人間を」


 施療院の人間にとって、その言い方は露骨だった。治すでも、休ませるでも、預かるでもない。ただ置く。物の語彙だ。


 リーゼの拾った旧図面を広げると、川沿いに三つ、もう使われていない小屋の印がある。そのうち一つだけ、二十年前の線で消され、その横に「危」とだけ書いてある。


「危険で封じた小屋」


 グラムが言う。


「なら、今はちょうどいい」


 制度の感覚としては正しい。正式に使えない場所ほど、非公式な保留には向く。


 アシュレイは古図の端を押さえた。紙は古く、指を置きすぎると割れそうだった。危の一字が付された小屋は、正式帳面から消されたあとも、地形の上では消えない。川霧の溜まりやすい窪み、荷馬が寄せにくいぬかるみ、古い杭の位置。図は場所を消せない。だから敵は名を剥がし、用途だけを曖昧にする。


 セルマが小さく言う。


「病人を置くには悪い場所」


「だからこそ都合がいいんです」


「見えにくいから?」


「見えにくくて、戻しにくい」


 その返事に、セルマはしばらく何も言わなかった。医者や施療手伝いは、治る見込みの薄い人間を何度も見ている。だが見込みが薄いことと、意図的に戻しにくい場所へ置くことは別だ。別でなければならない。


 その夜、マレナがごく短く顔を出した。封緘束の切れ端を一枚だけ見せる。


「行き先欄が剥がれてる」


 そこには送付順と印影だけが残っていた。通常の文書なら、行き先が最初に整う。だがこの束は違う。先に封じ、後で行き先を貼る。だから剥がせる。


「向こう岸の仮置舎へ行くものだけ?」


「断定はしない。ただ、二重線の印が押される束で多い」


 受取印の二本線とつながった。


 向こう岸の受け皿と、封緘側の送付調整が結びついている。


 制度の外で行われる不正ではなく、制度の内側で見えなくされる収容だ。


 グラムが壁にもたれたまま言う。


「仮置舎が本当にあるなら、夜の番は少ねぇはずだ」


「なぜです」


「多く置く必要がない。逃げる先がないからだ」


 アシュレイはその言葉をそのまま胸に入れた。閉じ込める場所は、鍵より地形で作られる。川、泥、霧、そして名の薄さ。人は鎖だけで閉じるわけではない。


 セルマは静かに言った。


「もし仮置舎が本当にあるなら、施療の名目で運ばれた人もいる」


 その可能性は重い。病人は治すために動かされる。だが、そこへ仮置の語が混ざると、治療は送り先を曖昧にするための扉になる。


 アシュレイは木札の欠けた縁を見た。水に揉まれ、擦れて、それでも字の一部だけ残っている。


 名のない収容先、というのは正確ではないのかもしれない。名はある。ただ、その名が公の帳面にだけ載らない。


 なら、次の紙はそこを突かなければならない。


 噂として書けば逃げられる。疑いとして書いても、切り離される。だが、木札、古図、受取帳、行き先欄の剥離まで並べれば、ようやく「あるかもしれない場所」ではなく「あったと読むしかない場所」になる。


 それでも、木札が一枚流れ着いたことは、向こう岸で無事だった証拠にはならない。むしろ逆だ。名前を場所へ掛ける札だけが先に外れ、人間の方はまだ霧の向こうに残っているかもしれない。その想像が離れないまま机へ戻るしかないのが、いちばん重かった。

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