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胸騒ぎ

作者: 小雨川蛙
掲載日:2026/02/23

 その日。

 私はとても強い胸騒ぎを感じた。


 すぐに私は幼い頃からの親友へ電話をかけた。

 だけど、いくらかけても電話は繋がらない。

 LINEにも反応はない。


 これはいけない。

 そう思った私はそのまま親友の家へ向かう。

 親友はもうずいぶんと前から会社をうつ病で休職していたのだ。


『うつ病なんて時間でゆっくり治していくしかないよ。いつでも話し相手になるし、気持ちが乗れば旅行にも行こうよ』


 数えきれないほど私はそう伝えていたけれど、親友とは遂にゆっくり話をする機会も旅行に行く機会もなかった。

 こちらから誘っても全部断られてしまったし、あちらから誘ってもくれなかったから。


 分かっている。

 親友と違って私は働いていた。

 立ち止まっている親友と違って私は歩いている。

 手を差し伸べられている親友と違って私は手を差し伸ばしている。

 それら、全部が重みだったんだって。


 ――だけど、他にどうしろって言うのさ。


 家についた。

 意外にも電気はついていた。

 いつも真っ暗なのに。


 チャイムを押す。

 すると中から男性の声がして、そのまますぐに扉が開いた。


「てっちゃん?」


 私はてっちゃんをよく知らない。

 親友が大学時代に作った彼氏であることくらいしか。


「おお。どうした?」

「いや。電話しても出なくて」

「あー、二人で旅行行ってて、さっき帰ってきたんだよ」


 てっちゃんはそう言ってにこりと笑う。

 私は曖昧に頷いて親友の家に入り込んだ。


 部屋の中は綺麗だった。

 ベッドの周りはもっと綺麗だった。

 そのベッドの上に親友は座り込んでスマホをじっと見つめていた。


「あれ? どしたの?」


 私に気づいた親友はそう言って明るく笑う。

 久しぶりに見た明るい笑顔だった。


「いや。その、なんか」


 胸騒ぎがしたからなんて言えなかった。

 それくらい親友の顔は穏やかだったから。


「見ての通り、私は元気だよ」

「いや、それは見たら分かるけど」

「ほら。元気元気」


 眩しい笑顔だ。

 ずっと見たかったからだろうか。

 それにしてもガッツポーズって。

 他に元気の表現ないのかな。


「心配してたんだよ。お前のこと」


 てっちゃんがそう言いながら歩いてくる。

 十歩もない短い廊下の中をゆっくりと。


「てっちゃんと同じだ」

「いや、それ以上かもよ」


 親友とてっちゃんの言葉が飛び交う。


「久しぶりだしさ。少し話していけば?」

「えー。今はてっちゃんとのんびりしたいんだけど」

「旅行中、ずっと話してただろ」

「でもでも。今はてっちゃんとお話ししていたい」


 夫婦漫才のようなやり取りに私の心にあった胸騒ぎが消えていく。

 大きなため息をついた。


「いいよ。今は彼氏とのんびり過ごして」

「さっすが! 話が分かるね!」

「まぁ、私。てっちゃんよりあんたと付き合い長いしね」

「何で急にマウント取ってくるんだよ」


 てっちゃんがそう言って笑った。

 あまり知らないてっちゃんの笑顔。

 こういう風に笑うんだなって思った。


「それじゃ、急に訪ねてきて悪かったね。私、帰るから」

「うん。帰れ帰れー。ここはてっちゃんと私の愛の巣だから」


 それだけ言えりゃ大丈夫か。

 そう思った私にてっちゃんが言った。


「見送ろうか」

「いや、いいよ」

「え? なに? てっちゃん浮気?」

「茶化すなよ」


 いつもと変わらない様子だ。

 より正確には私が求めていた親友の姿と変わらない様子か。


「いいから。それじゃ、私帰るね」


 これが私が親友を見た最後の姿だった。



 *



 てっちゃんはこの翌日に自首した。

 親友のお父さんとお母さんは始めこそてっちゃんを責めていたけれど、てっちゃんが隠していた親友から両親へ宛てた遺書が発見されると何も言わなくなった。

 私は一度だけてっちゃんと面会をしたけれど何を話せば良いのか分からないまま、結局何も話さないで面会を終えた。


 私は墓参りに行っていない。

 だって、親友は私に一度も助けを求めなかったから。


 あぁ、だけど。

 今年も親友の命日が近づいている。

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