通知
その日の夜、スマホを置いたまま、私は何度も画面を見ていた。
何かを待っているわけじゃない。
そう思おうとしているのに、
手は無意識にスマホの位置を確認している。
お風呂に入っても、
ドライヤーをかけていても、
画面が光る気配に、神経だけが先に反応する。
……馬鹿みたい。
ベッドに腰を下ろして、深く息をついた。
今日は、ただ隣を歩いただけだ。
それだけ。
そう、言い切ろうとした瞬間。
通知音が鳴った。
心臓が、はっきりと跳ねた。
画面に表示された名前を見て、
一瞬、息をするのを忘れる。
悠人。
指が震えるのを、誤魔化すようにスマホを握り直す。
『さっき言い忘れてたけど、今日ありがと』
たったそれだけの文章。
スタンプも、絵文字もない。
それなのに、
胸の奥が、じんと熱くなった。
『ううん、こちらこそ』
送信ボタンを押すまでに、
数秒、悩んだ。
早すぎないかな。
重くないかな。
変じゃないかな。
送ってしまえば、
取り消せないのに。
でも、画面はすぐに切り替わった。
『今、何してる?』
質問。
それだけで、
距離が一段、近づいた気がした。
『家だよ』
『そっか。俺も』
それだけのやりとり。
会話と呼ぶには、あまりにも短い。
なのに、
画面を閉じる気になれなかった。
沈黙が続く。
数分。
たったそれだけなのに、長く感じる。
『柚月ってさ』
名前が出るだけで、
胸がざわつく。
『あんまり自分のこと話さないよね』
どう返せばいいか、分からなくなった。
話さないわけじゃない。
話すほどのことが、ないだけだ。
……そう思ってきた。
『そうかな』
『うん。でも、そこがいい』
指が止まった。
いい、って。
それは、褒め言葉なのか、
ただの印象なのか。
『静かなところ、落ち着く』
まただ。
安心させる言葉。
でも、何も決めない言葉。
『ありがと』
それしか返せない自分が、少し悔しかった。
しばらくして、
『そろそろ寝る』
というメッセージが届いた。
『おやすみ』
『おやすみ』
画面を閉じても、
余韻だけが残った。
通知音が鳴らない世界が、
急に静かすぎる。
天井を見つめながら、
私はスマホを胸に抱えた。
連絡先を知っただけ。
言葉を少し交わしただけ。
それだけで、
一日の輪郭が、こんなにも変わる。
怖い。
でも、少し嬉しい。
この気持ちを、
まだ名前で呼びたくなかった。
「大丈夫」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
これは、ただのやりとり。
ただの通知。
そう言い聞かせながら、
私はその夜、
スマホを手放せないまま眠った。
勘違いは、
音もなく、深く潜り込んでくる。




