部族合併と顔合わせ
お母様は酷い人だった。
「立ちなさい。手の平が血塗れになった程度の鍛錬で泣き言は許しません」
お母様は私を次期里長という道具としてしか見ていなかった。
「誇り高きエルフとしての自覚を持ちなさい。貴女に遊んでいる暇など有りません」
お母様は結果だけを重んじる人だった。
「頑張ったから何だと言うのです。敵の首をあと1万は打ち取って来なさい。それが出来るだけの才能を持って生まれているでしょうに」
お母様は本当に酷い人だ。何でもかんでも勝手に決める。
「後のことは任せました。縁談も組んでおきましたから強い子を産むのですよ」
その言葉を最期にお母様は戦場で散った。魔王軍50万騎に対して30騎という無茶な少数精鋭で自爆特攻を仕掛け、四天王の1人を打ち取った上で2千騎まで敵の数を削り、魔王軍を撤退させた。
……どうして私を連れて行ってくれなかったのですか?
あれほどの鍛錬を積んでも、私はそんなに力不足でしたか?
〇 〇 〇
鹿の尻族族長『11番目のエルフ』。
代替わりから20年、彼女は族長としての責務を全うしていた。
エルフという種族でありながらエルフという名前は他種族から見れば奇異に映るが、実際彼女達エルフ間でも違和感の有る名前だ。それでも母から遺された大切なものの1つとして彼女はエルフという名前を大切にしている。
「……族長、オーク一行が到着しました。会合の準備を」
先代から補佐官を務めている『盤上のシャッハ』が突然書類から顔を上げる。彼女の魔法で探知したのだろう。
今日は近隣で生活するオーク達との会合だ。20年間魔王からの大規模な侵攻こそ無かったもののジワジワと狩場を占領されつつあり、現在の戦力では先代の頃の7割しか領域を守れていないというのが現状である。
そこで先代が打った次の一手、族長同士の婚姻によりエルフの里とオークの村とで合併し共通の敵を迎え撃つというものだ。
しかしながら鹿の尻族には、未成年は男に会ってはいけないという鉄の掟が有る。手紙でやり取りしていたので相手オークの人柄は知っているが直接会ったことは無い。
故に今日は彼女の許婚との初顔合わせであり、合併計画の本格始動の為の最終調整である。
「分かりました。今行きます」
先代に及ばぬ自分に今できること、里の存続の為の婚姻。幼き頃は里の外に出て素敵な男を捕まえ連れ帰るという妄想をしていたが、そんなもの今となっては過去の話。
鹿の尻族族長『11番目のエルフ』は支度を手短に済ませ、族長として面会室に向かった。
いや顔良!?
エルフは驚きのあまり飛び上がりそうになるのをなんとか抑え込む。
部屋には3人のオークが円卓に着いていた。その内2人は正にオークと言う他ない凶悪そうな顔をした筋骨隆々である。そんな怪物に挟まれる形で真ん中に座る、肌が若葉色なだけの平人にしか見えない男。
「初めまして!」
エルフが入室するや否や真っ先に立ち上がり屈託ない笑顔で挨拶する。
ぎゃぁぁぁ! ってやめろ! 私は鹿の尻族族長『11番目のエルフ』だぞ!! 取り乱すな落ち着け! 里の存続が掛かってるこんな時に乙女みたいなこと考えるな!
「お初にお目に掛かります。私が鹿の尻族族長『11番目のエルフ』と申します」
自分に言い聞かせるように落ち着いた声色で名乗る。
「これはご丁寧に。オ……私は──」
「若! 先走り過ぎだ。先ずはお互い、席に着いてからだ」
隣に座るオークの1人が彼を諫める。確かに取り乱すあまり、席にも着かず入口で立ち話など礼節を欠く行為だった。エルフは己を恥じる。
「そ、それもそうだ。申し訳ないエルフさん。でも名乗られて名乗り返さないのも良くないだろう。私は海豚の脚族次期族長候補クエルチャと申します。貴女を待たずに話初めてしまったことお詫び申し上げます」
クエルチャと名乗った若オークは帝国式のお辞儀をする。
見慣れぬ所作を見てエルフは少し戸惑う。
このお辞儀をする平人達の帝国はこの大陸の最西端である。一方、両部族の集落が存在する魔界の森は大陸のほぼ中心に位置するうえ巨大な山脈に阻まれている為、接触はほぼ無い。彼女がその動きを知る由もない。
なのでエルフはオーク特有のお辞儀だろうと解釈する。
「い、いえ。さぁ始めましょうか」
そこからは事務的な対話が続いた。とはいえ何か揉め事が起こることもなく進んでいく。この20年の間に大人たちが擦り合わせを行ってきていた為当人たちのすることなど何もない。
あっさりと会合は終わった。どれほど面倒なことになるかと身構えていたのに。
エルフは呆気にとられる。四苦八苦してきたつもりでも皆が裏で動いてくれていた、その積み重ねに。
「では、こんなところでしょう」
海豚の脚族現族長アンダーレ。クエルチャの父であり、この合併を機に族長引退を表明した老オークである。
対談中は皆険しい顔をしていたが彼の一言で皆の表情が緩む。
今日のところはこれでお開き。挨拶もそこそこに馬を駆る3人を鹿の尻族総出で見送った。
3日後双方の集落の中間地点に作られた新たな集落にてエルフとクエルチャの共同生活が始まる。
自室に戻ったエルフは窓から空を眺める。
そうか私、結婚するんだ……。
今になって実感が湧いてきた。族長に就任して20年。
鹿の尻族というお母様から受け継いだものの為に、決められた婚姻。でもそれは未来の話。
そう思ってきたものが目の前に迫っている。
私はそうしたいのだろうか?
「こんにちは!」
「うわあぁ!! え!? は?」
心の整理がつかずぼんやりしていたところに何故か帰ったはずのクエルチャが窓から顔を出した。
「驚かせてすみません。忘れ物をしたので走って帰ってきました」
「忘れ物?」
「少し目を瞑っていただけますか?」
いきなりの出来事にエルフは事態に追い付けず言われた通りにする。
キスされた。瞼と喉元に。
「ありがとうございます」
目を開けると顔を真っ赤にするクエルチャ。帝国出身の母から教わったキスの意味をエルフが知るわけがない、どころかキスという概念が無い鹿の尻族の彼女には何故彼が顔を赤らめているのか分からない。
「じゃあオレはこれで失礼します!」
クエルチャは逃げるように跳び去る。
何がなんだか分からないが──
「なんか……良いのかも?」
後に義母となるクエルチャの母から、キスされた場所の意味を聞き先程の彼を超える程赤面することになるのだが、彼女はそれを知る由も無い。
続きなんも考えてないよ