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君はエメラルドに似ている

作者: 林代音臣

****


 インクルージョンの……不純物の入っていない完璧なエメラルドを探すのは、欠点が無い人間を見つけるより難しいと聞いたことがある。まぁ、つまりは存在しないと言うことだ。

 ……君を見ていると、全くその通りだと常々思う。


 大通りに面した宝石店のショーウィンドウで、ゼロがいくつも並んだ値札を付けられたエメラルドの指輪を見ていたら、周囲が少し騒がしくなった。

 どうやら、やっと君が来たようだ。


 道行く人の視線を集めながら、待たせてごめんと現れた君の両手には……ご丁寧に蓋が閉められた紙コップが二つ。

 ちょっと待ちなさい。もしかしなくても君……コンビニに寄って来たな?

 私は電車の遅延で遅刻した君を、ここでかれこれ二十分待っているんだぞ?

 待たせてる間に喉が渇いてると思って、と申し訳なさそうに笑って、君は紙コップを一つ私に渡す。

 見た目でもうわかっていたけど、ホットコーヒーだ。

 確かに私、ホットコーヒー好きっていつも言ってるけど……あんまり喉が渇いてるときに飲むものじゃないのではなかろうか。

 それに今日はまだ五月と言えど、今年に入って初めての夏日だと天気予報に書いてあった。照りつける日差しも暑ければ、カップを持った右手も熱い。

 どうしたものかと思っていたら、君が私の顔を覗き込む。

 ちゃんとキミの分には砂糖は二つ入れて来たからね……いや、合ってるよ? 合ってるんだけど今は違うって言うか。

 ああもう、気が利くねって褒めてもらえるのを待ってる顔しちゃって! どうして君はこうもズレてるかなぁ!

 表情と声色にちょっと嫌みを込めて、私は君にありがとうと伝えたんだけど……そんなの全然気付いてないね?

 嬉しそうにニヤニヤしちゃって……全く、困った人だ。


 コーヒーの蓋に付いた飲み口を開けながら、私はもう一度ショーウィンドウの中のエメラルドの指輪に目をやる。


 そういえば……子どもの頃に読んだ「オズの魔法使い」という話の主人公たちの目的地は、エメラルドシティという名前だったっけ。

 そこにはオズと言う、何でも願いを叶えてくれる魔法使いが居て……カカシは脳を、ブリキの木こりは心を、臆病なライオンは勇気をそれぞれもらいに行くんだった。


 これが気になるの? と、君が指輪を指さすから、私はううんと首を振った。

 右手のコーヒーが熱い。……これは別に君のせいでは無いが、ちょっと啜ったときに出来た唇のやけども痛い。

 そもそも今日のお昼はお洒落なカフェに行く約束なのに、何でコーヒーを買って来たんだ。

 そんなモヤモヤした私の気持ちなんて露知らず、君は美味しい? と笑いかける。

 ……全く、君もオズにお願いして、心をもらって来てはどうだろうか。


****


 同じゼミの君は、大学でちょっとした有名人だった。

 恵まれたスタイル、整った顔。

 それこそ数えるほどしか友人が居ない私でも、その噂を聞いたことがあるほどだった。

 だから半年前に、そんな君に告白されたときはそれはもう驚いた。

 話したことはあるけれど、当たり障りの無い話しかしたこと無かったじゃないか。

 あんまりびっくりしたから、うっかりそのまま口が滑ってOKしてしまった程だ……これは君には一生秘密にしようと思う。


 前に、君に私を意識し始めたきっかけを聞いたら、君はすっごく恥ずかしそうにもじもじしながらこう言ったよね。

 私が、学食で、毎日、モロヘイヤとひじきとひよこ豆の激辛スープを食べてたから。

 だってそのメニュー食べてる人、他に見たこと無かったんだもん! って……いやいやいや。

 私だって学食でカレー食べたことあるよ? ……まぁ、入学式の次の日に一回だけだけど。

 しかしまぁ意味のわからないきっかけだ……君は恐ろしいほど変わってるねって伝えたら、あのスープを毎日食べてるキミに言われても、って珍しく言い返された。

 そう言われると何も言えなくなる……私だって、私以外にあのメニューを食べている人を見たことが無いのだ。美味しいのに。


****


 カフェを出て、通ったことの無い住宅街を散歩する。

 ホットコーヒーを飲んでからカフェに入ったことによって、いつものコーヒーの代わりにバナナオレを注文出来たのは怪我の功名と言うやつかも知れない……何だか悔しいから君には言わないが。

 さて、隣を歩く君は嬉しそうに昨日見たテレビの話をし続けている。

 身振り手振りを交えて、表情をコロコロ変えて……漁船に乗るマグロ漁師の生き様は相当格好良かったようだ。


 そのまま歩いて、小さな公園の横を通ったとき……君が突然、大きな声を出して私に抱きついてきた。

 何事かと思ったら……大きめの羽虫がいる、と。

 確かに羽音が聞こえる……どうやら君の顔周辺にまとわり付いているようだ。あるよね、そういうこと。

 大きめと言ったって親指の爪くらいの大きさしかないその虫が近づく度に、君はぎゃーぎゃー悲鳴を上げる。うーむ、虫が嫌いとは何度も聞いていたがまさかここまでとは。


 適当に腕を振り回したら、虫はどこかへと飛んで行った。

 もう居なくなったよと伝えても、君はごめんねごめんねと言いながら、しばらく私の肩に顔を押しつけて震えていた。

 通りすがりの犬の散歩中のおばあさまに、あらあらお熱いわねと声をかけられ、犬……可愛いトイプードルには何故かめちゃくちゃ吠えられた。


 あまりにも恥ずかしすぎる。君はオズから勇気ももらった方がいいかもだ。


****


 何とか持ち直した様子の君は、ふと何かいいことを思いついたようだ。

 しりとりしよう! と、私に声をかけて来た。……予想通り、大したことじゃなかった。君はいつもそうだ。

 ……そして妙にニヤニヤしている。これは何か仕掛けて来ようとしているサイン。

 嫌な予感はするものの、私は承諾する。じゃあ君からね、と言うと、君は待ってましたと言わんばかりに嬉しそうに口を開いた。

「ンゴロンゴロ自然保護区」

 ……何で初っぱなから「ん」? そしてそれは何処の何?

 君はもの凄いドヤ顔を向けてくる……おそらく最近覚えた「ん」から始まる単語なのだろう。

 物知りだね、すごーいと言って欲しそうな面倒くさい君を無視して、私は「くま」と答える。

 ……君はまたニヤニヤしている。格好付けようとしている。

「マーライオン」

 ……そう答えて、君は一瞬考えた後みるみる顔を赤くした。

 そうだね、純粋に負けだね。ちょっと知的なワードで攻めようと思ったんだよね。

 でも私は意地が悪いから、「ん」で始まる単語なんて答えてあげないよ?


 待って待って、変えるから! ってワタワタして、君は俯いてギリギリ聞き取れる小さな声で「まぐろ」って言った。

 ……オズからは、脳ももらった方がいいかもね。


****


 よっぽど恥ずかしかったのか、私が「ロケット」って答えたあとも君は何も言わなかった。

 しりとりは自然消滅して、そのまま二人、無言で道を歩く。

 スマホで調べてみたら、さっき君が言った「ンゴロンゴロ自然保護区」は世界遺産らしい。うーん、それなら私も「ロスキレ大聖堂」とか言った方が良かっただろうか。

 そんなことを考えていたら、君がやっと口を開いた。

 少し視線をキョロキョロさせて今度は何を言い出すかと思えば……さっきの指輪、やっぱり欲しいんじゃない? 買ってあげようか? なんて言う。

 さっきの指輪……待ち合わせ場所で見た、高価なエメラルドの指輪のことだろう。

 ……君にそう思わせてしまうほど、私はあれを熱心に見ていたのか。

 改めてもう一度首を振る。第一、君は値段を見たのだろうか? とても普通の大学生が買えるような値段じゃ無かった。

 お金の話をしたら君は、頑張れば買えるかも知れない、なんて拗ねたように唇を尖らせる。

 君こそ、そんなにあれが気になるの?

 そう聞いたら、君はコクリと頷いて。

 「キミに似合うと思った」なんて。……さっきあんなに恥ずかしそうだったくせに、こんなことは目線の一つも逸らさないで言えてしまうのか。


 完璧なエメラルドは存在しない。

 そういえば、エメラルドシティのオズの魔法も結局は偽物だったんだっけ。

 オズは、これは脳だよ、心だよ、勇気だよと嘘を吐いて、何でも無いものを渡した。

 みんなはそれがもらえたことを喜んだけど、本当はみんな、オズにもらわなくたってそれをもう手に入れていた……そうだ、そんなオチだった。


 お昼過ぎの日差しは眩しい。

 君は、私を真っ直ぐ見ていた目を今度は空へ向ける。

 丸い太陽を指さして、目をキラキラ輝かせて、「今日の太陽は黄色いプチトマトに似てる!」……なんて急に言い出すから、思わず吹き出してしまった。

 何だ、その例えは。全く……太陽がプチトマトに、しかも黄色いのに似てるなんて、君に会わなかったらきっと一生思うこと無かったよ。


 魔法使いのオズさんへ。

 もしこの人がエメラルドシティに迷い込んで、脳が、心が、勇気が欲しいと頼んで来たら……わかったって言いながら、押し入れにしまっていた適当な真綿でもその身に詰めてあげてくれませんか。


 君はエメラルドに似ている。それもインクルージョン……不純物がこれでもかと入ったエメラルドだ。

 本来、邪魔なはずのそれらが何故だか、ギラギラ光って目が離せない。


 君は私が笑ったのがそんなに嬉しかったのか、味を占めてもう一度同じことを言ってきた。

 二回目は別に面白くないから、わざと真顔で見つめてみる。

 ……君がまたワタワタと慌て始めたのが可笑しくて、可愛くて。

 我慢してたのについ笑ってしまった。


 全く……本当、困った好きな人だ。

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