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使わなかった切符

「あっ、警察官さん。魚屋さんに寄っても良い?」

「魚屋? ダメだよ。君たちをまっすぐ家に届けるのが僕の使命だ」

 ガラガラと走る馬車の中。ボックスの席にミュンヘンと僕が向かい合わせ。僕の横に警察官のお兄さんが座っている。周りはすっかり夜の街で、僕はこのまま家へと運ばれたかったけどミュンヘンが急に言い出したんだ。

「君は口が達者だから騙されるなよって釘を刺されているからね」

 警察官さんは腕を組んで鼻を鳴らしていた。ミュンヘンはぷくっと頬を膨らませている。その時だけ僕より歳下みたいに見えた。でもやっぱり少しお姉さんだ。

「絵を売って魚を買ってきなさいって言われたんだよ。だから魚屋さんに下ろして」

「ダメダメ。それに魚屋なんて朝方の商売だろ? こんな時間に開いてないよ」

「開いてるお店ならあるし道も知ってるから、そこに行きたいってお馬の人に言って?」

 警察官さんはちらっと後ろの小窓を振り返った。僕も一緒に振り返ってみたら馬を操る人の背中がある。馬車の中の話は届いていないみたい。

「だって飛び出して来ちゃったんだもん。私の絵なんか小魚一匹も買える価値がないって言うから。悔しくてたまらない」

 馬車の中ではそんな話がされた。警察官さんと僕がミュンヘンに視線を戻すのが同時だった。

 僕がミュンヘンのお芝居に心を打たれるはずがなく、なんでそんな嘘をつくんだろうと不思議で「誰に言われたの?」と口を出た。僕とミュンヘンが兄弟じゃないことはもうバレていたから構わずに聞いた。

 ミュンヘンはこの馬車の中で、しくしくと泣いて鼻を赤くしている。

「お兄ちゃん。……あと、お父さんとお母さんも。後半は一緒になって笑ってた。絵の具を塗りたくっただけの絵なんて、犬にでも描けるって言ってた」

 服の袖で涙を拭うけど、それでもボロボロと落ちて止まらない。

「そうなの?」

 尋ねられたのは僕。ミュンヘンの友達だってことになっているから、警察官さんが僕に真実なのかと聞いてきたわけだ。当然僕は今初めて知ったからびっくりしている。

「……そうです。ヴィレインワーゲンっていう友人も彼女をいじめるんです」

 ぶっ。と、ミュンヘンは吹き出す。でもそれは泣きすぎて咳が出たのだと慌てて誤魔化した。僕は調子を合わせてみたんだけど軽く失敗したのかな。

 でも、警察官さんには効果があったみたいだ。小窓を軽く叩いてから馬車を止めさせて、ミュンヘンから魚屋さんの道筋を伝えさせた。


 市場はもう閉まっていて何の明かりも付いていない。僕も警察官さんも付き添いつつ不安になっていた。しかし確かに一店だけ灯りをつけた露店がある。

 お店の人は気難しそうなおじいさん。氷を撒いた台の上にツヤツヤの魚をたくさん乗せている。

「こんな時間に売れますか?」

 警察官さんから何気なく聞いたんだと思う。お店の人は警察官さんの身なりをじっと観察してから「法は守ってる」とだけ言って新聞で顔を隠してしまった。

 とん、と僕の肩にミュンヘンが意図的にぶつかってくる。

「もう。君がヴィレインワーゲンを出すから笑っちゃったじゃん」

 小声で言って、くすくすと笑った。

 警察官さんはお店の人との会話に夢中だ。そして僕は、ミュンヘンがどうしてこう明るく笑って居られるんだろうと、ひとりだけ置いてけぼりだった。

「ねえ」

 だから僕からも小声で問いかける。

「あの話って本当?」

「あの話? なんだっけ?」

 ミュンヘンはそれも明るく言って、バケツに入ったイワシ達が欲しいと視線を切り替えてしまった。僕のそばからも離れて行った。

 大きな魚じゃなくて良いのかと警察官さんが話している。ミュンヘンの絵は売れたけどまだお金が入っていないから、ここで財布を開くのは警察官さんだった。

「大きな魚の身を美味しく食べるんじゃなくって、小骨の多い魚に手間をかけさせたいんだ」みたいなことをミュンヘンが意地悪く言っていた。

 家族の話を涙を流しながらしていたミュンヘンだけど、家族をこらしめてやるんだって酷いことも言っている。

「……」

 そんなこと、やめた方がいいよ……。僕は心の中でそう言った。

 でも。なんだかミュンヘンが羨ましいなって少し思った。そんな時、ミュンヘンは僕にまた肩を当てる。

「片道切符にしとけばよかった。損しちゃったね」

 思わずドキリとした。耳打ちされるとは思わなかったから。

 ポケットの中には片道分を切り取った往復切符が入っている。僕の分はミュンヘンに奢ってもらったんだった。


 見覚えのある道にやってくると、先にミュンヘンが自ら馬車を降りて家に帰った。その後で僕が送られる。

 綺麗なお家は夜の中にたたずんでいて、僕に帰ってきたという気持ちにさせない。警察官さんがベルを鳴らしたら玄関の明かりが付いて人が出てきた。

「もう! 心配したのよ!?」

 義母さんはパジャマのままで扉を放って駆け出してきた。僕を強く抱きしめると暖かくて、ふわりと花の香りがする。

「では、私共はこれで」

「本当にありがとうございました。ご迷惑をおかけしました」

 馬車が角を曲がって行ってしまうまで見送り、義母さんの「入りましょう」という声で家の中に入る。

 もう夜はかなり遅い時間だ。寝室から出てきた父様とは廊下で出会った。僕の居場所は電話で伝わっていたみたいだから、すごく問い詰められるということはなかった。

「自分の部屋にへ行きなさい」

「はい……」

 ひとりで階段を登って部屋の扉を開ける。そして唯一の僕の居場所。机に向かって座った。

 夜はおやすみの時間を過ぎていて、小さなランプの灯りだけをつけた。でも疲れていたし、お腹も空いていたし、その机に突っ伏していた。

 階段を上がってくる音。扉を開ける音。机の上にコトンと置かれて、ほんのりスパイスの匂いが届く。

 ガチャリと扉が閉まったら、カチャンと別の音が鳴った。金属のフックが掛かる音で、僕が悪いことをすると鳴る音だ。それで顔を上げたら机の隅に僕の夕食が乗った台が置かれている。

 サラダが萎びていて果物は茶色くなっていた。ミルクスープに膜が張っているからスプーンでそっと救って退ける。お肉もパンも硬い。でも美味しい。

 続き部屋にある水道で食器を洗ったら、顔と歯を洗って寝ようとじゅんびをした。ベッドに横になってから、そうだと思い出した。僕のポケットから小さな紙切れが取り出せる。

「ダメだ。やっぱり今日だけか……」

 片道分の切符は回数券にならないかなって期待していた。でもちゃんと今日の日付が刻まれている。だとしたらこれはもうゴミだけど、僕は枕の下に入れておくことにした。



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