第六回『お母さんの教えと危険な森! 砥石と綺麗な短剣!』
「元の場所にあってよかったね、フルフル」
「うん、やっと見つけた、私のリュック」
トリニタリアさんが私のリュックやお母さんの剣を持っている様子はなかったとアーテルさんから聞いた私。それなら元の場所にあるのではと、回収しに行きたいとわがままを言ったのだが……。広い森の中、しかも気絶した場所から崖までどうやって移動したかも分からない。分かっているのは小川沿いのアネモネが咲き渡っている場所という情報のみ。同じような場所が続き、いよいよ諦めかけた時、ようやくリュックを見つけたのだ。
「あああ、中身、こんなに散らかしちゃって……うぅ、ひどいなぁ」
「ねえ、フルフル。傷心のところ悪いけど、そろそろ日が落ちるし、ここでキャンプする準備しようよ」
確かにオークたちの運搬やリュック捜索に時間を取られすぎて既に日が傾いている。
「水辺で、なにかと便利だしさ」
「でも、ここはキャンプに向かないかも」
「どうして?」
「川沿いには魔物が水を飲みに来たり、魚を取りにくるかもしれないからね」
魚食性の魔物は近寄らなければ、積極的に襲ってくる種類は少ない。
しかし、縄張りの餌場に人間がいた場合は別だろう。確実に襲ってくる。
「争いは出来るだけ避けたいなって」
「確かに無駄なリスクは避けたい」
「殆どの魔物は当然、生きているのだから水を必要としているの。お昼ならまだしも、魔物の動きが活発になる夜間の川沿いは特に危険な場所。オーガやバジリスクなどの凶悪な亜人や魔物、運が悪ければマンティコアが水を飲みにやってくるかもしれない。この場所がそんな魔物の生息圏内であればの話だけれど。魔物だって水分補給しないと、喉が渇いちゃうのですっ」
そう説明するとアーテルさんは感嘆の息を漏らす。
「そっか、この場所は危ないんだね。話は長いけど、凄い知識じゃん!」
「うん。お母さん仕込みの知識なの、えへへ」
「あんたって抜けてそうで、こういう時は頼りになるのね」
「ぬ、抜けてそう……かな」
「うん、抜けてそう。巻物をちゃんと読んでなかったし」
「う、うぅ。なにも言い返せないよぅ……」
肩を落す私のおでこを指先で弄りながら、アーテルさんは微笑む。
「あうう……。お、おでこはダメ。おでこは弱いのっ!」
私は両手で額を隠しながら、恐る恐るアーテルさんを上目遣いで見上げる。
「ごめん、ごめん。頼りにしてるぞ、相棒」
「えへへ。頼りにされるのって、なんだか嬉しいなぁ」
「あんたの笑顔好き。本当に花みたい。癒される」
なんだか照れくさい。顔が熱くなってきた。返事に困り、私は話を変えることにした。
「へえ、フルフルってお店の経営持ち直すために王子様候補生頑張ってるんだ」
「うん。一億ウィズがあれば、お母さんが残してくれたお店と帰る場所を守れるの」
「試練の森さえ越えたらフルフルの願いは叶うじゃん」
「うんっ。なので頑張るっ!」
「そかそか。……お母さんの剣が見つからなくて残念だったね」
「悲しかったけれど、ないものはしょうがないし、元気に前に進んでいくよ、私っ」
「前向きなところは好感が持てるよ、フルフル~」
「ありがとう。褒められると笑顔の花が咲いちゃいます」
私とアーテルさんは森の茂みにキャンプの炎と身を隠しながら、交互に六時間ずつ睡眠を取り無事に夜を明かした。二人同時に寝てしまうと魔物の襲撃や不測の事態があった時に対応が遅れてしまうので別々に寝る必要があった。
朝日の下であくびをしているアーテルさんに、私は微笑む。
「そういえばトリニタリアさんはリュックからは携帯用の食料だけ盗んでいったみたいだね。他は手付かずだったよ」
「食料ロストはキツいね。昨晩はお互いチュパパキャンディしか食べてなかったし」
今もアーテルさんの口元から伸びるスティックの先にある、蜜の宝玉からは甘い香りが漂ってくる。
「お陰で昨日はひもじさが和らいだよ。ありがとっ」
「私はキャンディがあれば生きていけるけど、あんたはそれだけじゃダメだよね」
「途中で食料調達すればなんとかなるよ。こう見えてサバイバルだけは得意だからねっ」
「そっか。それじゃ、そろそろ行こうか、フルフル」
アーテルさんは巻物を開き、地図で現在地と進むべき方角を確認してくれたので、私は彼女について歩き出す。
「フルフル、昨晩は剣の手入れしてくれて、ありがとね」
「どういたしまして。でもね、そんな立派な剣を血がついたまま、払いも拭きもせずに鞘に納めちゃうなんて。血液が固まったりして、くっついちゃったらいざという時抜けなくなっちゃって危ないかもしれない上に不衛生だもん。良くないよっ」
アーテルさんの両肩を掴みながら一気に熱弁する私の迫力に負けたのか、彼女の目は泳いでヨソを向く。
「し、心配してくれてありがとね」
「それにポイポイ投げてる短剣っ」
「は、はい。短剣がどうしたのかな」
「あれ、ミスリル製だよね? せこいかなって思いつつ、実は一本回収しちゃったよっ」
「いつの間にか回収してたんだ!?」
「せっかくなのでミスリル用砥石で綺麗に研いで、油を塗って完璧に手入れをし終えてるよ。アーテルさんが寝てる間にっ」
「砥石なんて持ちこんでたんだねぇ。で、その短剣はどこに?」
「お尻の上の鞘に納めてあるよ。貰ってもいい? ……返す?」
「良いよ、好きに使って」
「やった~! ありがとう、大切に使うね」
「でも、ぴったりの鞘があったなんて偶然だね」
「この鞘は、リュックにしまってあった革素材を加工して即席で作りました。えっへん」
私は、お裁縫も武具の加工も手入れも得意なのですっ。
「さすが武具屋。器用だね。ちなみにいくらくらいするの、その短剣」
「ミスリル鉱石自体が高値で取引されてるし、加工できる鍛冶屋さんも国内外に数えるしかいないし……」
あれ? この短剣……よく見るとクリームチャット王家の紋章が刻んである。
「フルフル?」
「あっ……うん。一本、五十万ウィズくらいかな」
プリムヴェールの一般的な家庭における世帯主の平均収入は二十万ウィズだ。実に平均収入の二倍以上もする高価な短剣である。
「エルフのお高いガラスの剣も持ってるし、アーテルさんって何者なのかな」
「お金持ちのお嬢様かも?」
もしかして王家縁の人? とはさすがに質問する勇気が出なかった。
「うちの店、ミスリル装備なんて、この胸当てくらいしか置いてなかったよ……」
「まあ、フルフルが武器に対して愛着と執着が強いのは、よおく分かったから」
「防具にも愛着と執着があるよ。武具屋ですからっ。…………あっ」
「な、なに? 私、防具は雑に扱ってないよ。第一、防具の類は装備してないし」
「わあ、綺麗な滝があるよ~!」
私はリュックを降ろし、水しぶきをあげる細い滝に向かって走りだす。
「朝日が差しこむ森の中の滝! そして川! 素敵だよね! 自然大好き、だって気分が晴れやかになるもんっ!」
「こら、水辺で走らないの、転んでも知ら――」
「え? うわわわっ……! 滑……!?」
「ふ、フルフルぅ!?」
ごぼぼぼぼ。口から泡が溢れて、言葉が出ない。川の岩場って滑るんだよね。苔生えてたから当たり前かな。どうでもいいけど、私泳げないんだよね。どうしよっか。だんだん、息が苦しくなってきちゃった。うう、苦しい。苦しいよぉ…………お母……さん。
フルフルは強い子だから一人でも大丈夫だよね。
……うん、大丈夫。でも、お母さんはどこに行っちゃうの?
遠いところかな。フルフルや大事な人たちを守るために戦いたいから。
……お母さんは正義の味方なの?
私に正義なんてないよ。守りたいもののために戦うだけ。たとえ相手が正しくても。
……むつかしいことは分かんないよう。
それでいいの。フルフルはフルフルだけの信念を見つければいい。
……私だけの信念。
あなたは私の帰る場所。必ず帰ってくるから。
……うん。絶対だよ。私それまでずっとお母さんの帰る場所守ってるから! ずっと守ってるから!! だから帰ってきてね。約束だよ、お母さん……。