第四十一回『夜の魔女と花の魔女』
ミルドレッドが辞去し、一人残されたクロウエアは部屋の片隅へ目を向ける。
「いるんでしょ。気がついてるよ」
誰もいない部屋。しかしクロウエアには分かる。
「夜の魔女の目を誤魔化せるとでも思ってるの? フローラ」
「あ、やっぱり気がついてた?」
なにもなかったはずの空間からシールを剥がすかのように風景が削れ、その下から少女が現れた。まるで透明になれるシールを全身に貼り付けていたかのように。少女から剥がれ落ちたシールのようなものは全て花びらと変化し、床に落ちると同時に消滅した。
「えへへ。久しぶり」
風になびくプラチナブロンドの髪。花をモチーフにしたチュールスカートのドレスを着た、愛くるしく微笑む幼い見た目の少女。
「十六年ぶりじゃん、花の魔女」
見た目は少女だがフローラは今年で三十二歳だ。ちなみにクロウエアも同年齢である。
「王立魔法学園の卒業式以来だね」
「変わってないね、あんたは」
「あなたも変わってないよ」
綺麗なまま。そうささやいてフローラはベッドに腰掛けた。枕元に置かれた彼女の小さな尻が可愛らしい。
「危篤だって聞いたから様子を見に来たの」
「あんたはさ、こんな時じゃないと会いに来てくれないもんねぇ」
「ごめんね。私には私の戦いがあるから」
フローラは世界を巡り人々を救う戦いを続けていた。小さな幸せが壊れないように。そして、この国に天災クラスの魔物、ドラゴンがやってこないように。
「あなたやフルルがいるこの国に、一匹だってドラゴンはやってこさせない」
「……ドラゴン退治は他にできる人間がいない。助力できなくて、ごめんね」
「ううん。私にしかできないことだから。いいんだよ、クロエちゃん」
フローラはクロウエアを『クロエちゃん』と愛称で呼ぶ。この子は昔から色んな夢や願いを持って自分の道を進んでいた。女王として生きる道が決められていたクロウエアとは正反対に。惹かれ合ったのは、お互い正反対だったからかもしれない。
「試練の森に行ったのは私の様子を見に来たついで?」
「う、うぐっ。な、なんの話かな……」
「あんた、選抜試験に武力介入してたでしょ~。部外者の闖入は困るんだけど」
「あ、あれぇ? バレちゃってたぁ……?」
本来なら選抜試験に介入した部外者は王宮妖精たちにより排除される。なのでルミセラは王子様候補生として試験に参加したのだ。しかし、フローラは最強の魔女。王宮妖精にどうこうできる相手ではない。王宮妖精たちは花の魔女が森にいたことすら認識していないのだ。実際に彼女は誰にも悟られず、城の警備を抜け女王の部屋までやってきた。
「あんたは探知魔法を妨害するのも姿を隠すのも得意かもだけどね、でも――」
「う、うん」
「私の夜水晶に探知されずに行動できる奴なんて、世界に一人もいないんだよ」
クロウエアは片手を掲げ、魔力を集中させる。黒い霧のようなものが集まり闇の塊が宙に浮かぶ。それはやがて闇をまとう水晶玉へと変化した。ミルドレッドの炎水晶は半径百キロ以内のカバーできるが、夜水晶は実に数万キロは余裕で探知できる。夜水晶の効果が及ぶ範囲には試練の森も含まれていた。そのため森での出来事は、ほぼ把握している。
「ルミセラのこと、バジリスクから助けたでしょ」
「う……っ。フルフルのところへ魔物を行かせないように頑張ってる姿が、自分に重なっちゃって。つい……」
ドラゴンから国を守ってきたフローラ。それで彼女はルミセラだけを助けたのか。
「の、覗いてたんだねっ。えっち……」
「えっちって。学生の頃は私たち、激しく愛しあ――」
「うわわわわっ……! そんな話はしなくていいでしょぉ……!?」
フローラが年甲斐もなく、真っ赤になって両手を振り回し始めたのでクロウエアは彼女の顔面に夜水晶を押し付ける。
「う、うぐぐ……っ。この、どえすさんめぇ……」
「ほら。あんたと私の娘たち。元気にやってるよ」
水晶玉には笑顔で接客をしているフルルやルミセラの姿があった。戴冠式ではフルルと直に会えた。そして今はフローラとも。命が尽きる前に、これ以上ない贈り物と言える。
「あのお店、まだ残ってたんだ」
「クリームチャット中から、いいや、他国からも客が来てる。大盛況って感じだねぇ」
「凄い。私がいた頃よりお客さん多いなぁ」
選抜試験首位合格者にして九人目の魔女が運営する武具店。それは話題の店にもなる。
「たまには顔見せてやんなよ、フローラ」
「三年間、好き勝手に生きてきて、今更合わせる顔が……」
クロウエアは夜水晶を投げ捨て微笑む。
「娘と一緒に過ごせる時間は永遠じゃない」
「クロエちゃん……」
「終わりに近づいてから後悔しても知らないよ」
――私みたいにね。もっと娘たちに母親らしいことをしてあげられたら良かったのに。そう後悔している。病床に倒れてから、ずっと。
「……分かった。心の準備ができたらフルフルに会いに行く」
「そうしてやりなね」
クロウエアは深く息を吐き、目を閉じる。少し疲れてしまったようだ。
学園で過ごした私たちの幸せな時間。あの頃はいつも一緒だった。寝る時も授業でも食事をする時も入浴だって一緒だった。フローラはいつもそばにいてくれた。当たり前の存在。終わらない関係。ずっとずっと一緒だと思ってた。そんなわけがないのに。
「クロエちゃん。私は今でも、あなたを愛してるよ」
意識が混濁してきたようだ。現実と想い出の区別がつかない。
魔法学園を卒業したあの日、フローラと私は『カプセル』を交換した。
それは強力な魔力を持つ魔法士のみが可能とする魔法。その魔法は術者の遺伝子情報がこめられたカプセルのような物を生み出す。愛する相手とキスをしながら発動させる魔法だ。そのカプセルを飲んだ女性は相方の子を成せる。例え女性同士でも。
「クロエちゃん。死んじゃ……やだからね」
フローラの熱い涙が零れ落ち、クロウエアの頬を打つ。夢と希望、そして願いを無数に抱えた彼女を閉鎖された城に束縛したくなかった。だから卒業式を終え、王宮に帰ったあの日。ついて来いとは言えなかった。きっとフローラも城では生きていけないと分かっていたのだ。お互いの道が重なっていないと私たちは知っていた。
「私は……独裁者になるしかなかったんだ」
「……え?」
女王である母が危篤になり、クロウエアの伴侶を決めるべく王子様選抜試験が始まろうとしていた。でもそれは苦痛以外の何物でもない。まだフローラへの愛が冷めていなかったからだ。だから短慮を起こした。もう決めた相手がいる。だから王子なんて必要ない。そう叫んだ。想う相手が誰なのか明確にしないクロウエアに案の定、皆は反発した。しかし、その全てを力でねじ伏せクロウエアは女王となったのだ。愛するフローラの子を産み、王女とするために。そして『カプセル』を飲んだクロウエアの独裁が始まった。
私のわがままが娘たちに重い運命を背負わせてしまったんだ。
「……だからルミセラには……自由に生きて幸せになって欲しい」
「フルフルがそばにいるから心配いらないよ」
「ミルドレッドにも……自由を与えてあげたかった……」
「クロエちゃんにも自由をあげたかったよ」
学園を卒業したあの日から堪えてきた涙が溢れてきてしまった。
「私にはあんたがくれた三年間がある。それだけで充分、幸せだよ」
ミルドレッドも同じようなことを口にしていた。愛する人との大切な記憶を胸に責務を果たそうと。
…………娘たちを残して逝くのがこんなに辛いなんて。
胸を引き裂きそうな悲しみを和らげるかのようにフローラが強く手を握ってくれた。
「心配いらないよ、クロエちゃん」
「……フローラ……」
「クロエちゃんが眠れるまで、手を握っていてあげるから」
温かい手。優しい温もり。幸せな時間。
「あの頃みたいじゃん……」
優しい時間が流れていた学園で過ごした日々。
「そうだね。あの頃みたいだよね」
「最後に幸せをくれて……ありがとう、フローラ……」
愛してる。自然と笑顔が零れ、夜の魔女の意識は深い闇へと沈んでいった。




