第三十一回『一緒に暮らしたかったね』
……この水の紐をなんとかして私も戦わないと。エンチャントを使う? でもこの状況じゃ難しい。私の魔法は右腕が自由でなければ使えない。
「ルミセラにはもう戦う力はない。まずはトリュビエル――」
水の魔女は両手を頭上に掲げ、巨大な水の塊を作り出す。
「貴様から片付けてやろう!」
「グリセルダさん、なんでこんなことを……!」
「何故こんなことを……だと?」
グリセルダさんの眉が小さく痙攣する。
「愛する人が望まない婚姻を強要されている。そんな状況になったら貴様ならどうする」
「そ、それは……」
「望む望まないにせよだ。愛しい人が、その婚姻を是とするなら私も納得する」
「愛する人……ミルドレッド」
「だが我が君は婚姻を是とせず、私に王子様候補生の選定を手伝えと命じられた」
「それで王子様候補生狩りを……」
「私を除く全ての王子様候補生を滅ぼせば、あのお方を笑顔にするのは私の役目となる!!」
「む、無茶苦茶だよ!」
グリセルダさんの瞳が魔力を放つかのように再び青く輝く。
「永劫の静謐に呑まれ、朽ち果てよ、フルル・フルリエ…………」
「繋がれ!」
水の魔女の言葉をルミセラが再び遮る。
「ええい、貴様の魔法など、私には通じないと――」
「……あんたにはね!」
ルミセラが余裕の笑みを浮かべ、手にしていた剣を放った。彼女のガラスの剣は空中で忽然と消え、私の正面に転がる。
「フルフル! それで水の紐を斬って!」
私は頷き、水の紐で縛られたまま剣を拾おうとしたのだが柄が滑り、うまく掴めない。これでは紐の切断は難しい。ルミセラのように剣もジェルのような水の膜で覆われている。
「無駄だ、馬鹿め。私のバブルフェザーの前にはあらゆる抵抗は無力だ」
「確かに『抵抗』というものは摩擦によって生まれるもんね。さすが水の魔女。うまいこと言いますね」
「そろそろ貴様も無駄な抵抗は止めにしたらどうだ」
自らが作り出した巨大な水塊の下で、グリセルダさんは勝ち誇った表情を浮かべる。
「バブルフェザーでしたっけ。あの魔法の影響下にある場合、ジェルのようなもので覆われて摩擦が大幅に奪われてる状態になるんだよね。それって単純なようで本当に恐ろしい魔法だと思う。戦うのはおろか、移動も困難で――」
「……お前、話が長いな」
話を遮られた私は苦笑し、先ほど剣に触れた右掌へ目を向ける。ほんのりとだが、私の手もヌルヌルとしていた。剣の柄からうつったのだ。指で擦るとほのかに泡立つ。
「まあいい。もう御託は結構! とどめだ!!」
巨大な水の塊が私へと放たれた。その瞬間、私は両手両足の自由を取り戻す。
「……!? 貴様、どうやって、アクアバインドを解いた!」
アクアバインド? この固体に近い不思議な液体の紐を操る魔法のことかな。拘束を解けたのは摩擦を減らす魔法のおかげだよ。長い話で時間を稼いでる間に、掌についていたジェルのような物質を水の紐と肌の間に塗りこんだの。びっくりするほど簡単に、キツく縛られてた紐から手も足も滑って抜けちゃった。ある意味、便利な魔法だよねっ。ルミセラがつるつるになってた剣を魔法でよこしてくれたおかげだよ、ありがとう!
そう解説したかったのだが、眼前に巨大な水塊が迫る私には余裕がない。
……かわせない。自由を取り戻すのが、ちょこっと遅かったかなぁ。今度こそ……私。
「――させない!」
……ルミセラ?
「繋がれっ!」
こちらに向かって迫る水の塊と私の間に大きな空間の裂け目が現れた。
「ルミセラ、貴様、そこまでして……」
「そこまでする価値のある笑顔なんだよ!!」
水の塊は空間の裂け目に体積の半分を呑まれている。その裂け目はどこに繋がっているのだろう。すぐに解った。ルミセラの正面に水の塊の残り半分が姿を現していたからだ。
「ダメ、やだよ、ルミセラ!」
「……一緒に暮らしたかったね」
今までありがとう。
そう言い残して彼女は、空間の裂け目から現れた水の塊に呑まれていった。まるで棺のようにルミセラを包み、水塊は揺れている。
「ルミセラあああ!」
「バカな奴だ。空間接続魔法の欠点だな。一方の裂け目を自らの正面にしか作れない」
「……そんな」
だからルミセラはあの魔法を自ら受けるしかなかったんだ。私を守るために……。
「こんな無力な小娘を助けたところで片付ける順番が変わるだけだ」
「……あの子は私を守るって約束を果たしてくれただけだよ」
「そうか。だが安心しろ」
グリセルダさんは口角を歪め、両腕で天を仰ぐ。
「貴様も同じ場所へ送ってやる!」
二つ目の巨大な水の塊が現れた。
「抵抗してみろ。策がないなら私の勝ちだ」
私は右手のぬめりをスカートで拭き取り、拳を強く握りしめる。
「ルミセラを助ける。二人でこの試験を越えて、一緒に暮らすって約束したから」
「第二王女と一緒に暮らす? 戯言を」
「戯言でもなんでもいい」
「ほう」
「私を助けてくれた人たち。みんなに生かしてもらえたから私は今ここにいる。だからこそ途中で投げ出すわけにはいかない」
もうお母さんのお店を守るためだけじゃない。
「みんなが繋いでくれた私の命。これは私自身の戦いなのだから!」
「その発言は私を倒すと受け取ってもいいのか?」
「うん。そう言ったつもりだよ」
水塊の中を漂うルミセラ。まだ生きてるよね。すぐに出してあげるから。
「面白い! 抗ってみせろ、最強の魔女の娘よ!」
「お待ちなさい!!」
一触即発だった私とグリセルダさんの間に炎が燃え上がり、瞬時に消え去った。
「う、うわわわ……!? なにこれぇ!?」
突然のことに私と水の魔女の動きが止まる。
「私が席を外している間に決着をつけようなんて案件ですわよ」
声の方へ目を向けると、そこには赤い鎧の騎士が立っていた。
「ミルドレッド!?」
私とグリセルダさんは同時に驚きの声を上げた。




