第三十回『滅ぶべし! フルル・フルリエ・トリュビエル!』
「我が君、ミルドレッドをたぶらかすとは……」
彼女は再び鬼のような形相を取り戻し、拳を強く握りしめた。どれだけ強く握ってるのですか、と聞きたくなるくらい、グリセルダさんの拳はギギギギと異音を立てている。
「フローラの娘だから手心を加えてやろうと思っていたのだがな!!」
「……もしかして」
「貴様は我が恩人、フローラではない! その娘である!」
「ミルドレッドのことが好きでヤキモチを……!?」
「娘には恩はない! 滅ぶべし!」
「ほ、滅ぼされるのは困るよ……!?」
グリセルダさんは右手から大量の水を出現させ、巨大な斧を作り上げる。斧は私を六人分くらい繋いだほどの長さがある。
「ま、まさかその斧で私を!?」
グリセルダさんは返事の代わりに恐ろしい轟音を立てて頭上で斧を振り回し始める。
「うわわわわ……!」
私はミルドレッドに助けを求めようと、彼女が立っていた方へ顔を向ける。
「あ、あれ!? いない!? どこいっちゃったのぉ!? こ、このままじゃ……!」
しかしグリセルダさんは攻撃を止め、慌てる私から視線を外し身構えた。
どうしたのだろうと彼女の視線を追う。そこには空間が裂けるようにして別の場所の光景が浮かんでいた。人が通れるほどの大きな裂け目。この魔法は――
「ルミセラ!」
空間接続魔法。その裂け目から剣を構えたルミセラが飛び出す。
「フルフルに、なにをしたああ!!」
ルミセラは怒号を上げながら、グリセルダさんへ斬りかかった。
「来たか、じゃじゃ馬め」
その鋭い無数の斬撃を水の魔女は巨大な水斧の柄で受け止め続ける。
「質問に答えなよ、グリセルダ!!」
「なにを激昂している。貴様もトリュビエルにご執心か?」
「そうだよ!」
……ルミセラ。
私の胸に熱いものがこみ上げてきた。
でも相手はこの国でたった八人しかいない魔女の称号を持つ一人だ。彼女に勝ち目はあるのだろうか。八人中、最弱と言われている酸の魔女でも、たった一人で一軍を相手にできるという。
最強の魔女は花の魔女フローラ。次点は夜の魔女クロウエア。三位は炎の魔女ミルドレッド。そしてルミセラが対峙している相手は、この国で四番目の実力を持つ魔法士。
「水の魔女グリセルダ……」
グリセルダに狙われたら私たち二人じゃ勝ち目ない。ルミセラはそう言っていた。
「逃げて、ルミセラ! 私のことはいいから!」
「置いてけるわけないじゃん!」
「良い覚悟だ、じゃじゃ馬」
「後ろ足で蹴飛ばしてあげるよ!」
ルミセラは絶え間なく剣を叩きつける。凄まじい猛攻だが水の魔女は巨大な斧を器用に操り、柄で斬撃をいなし続けていた。
この人、強い。魔法だけじゃないんだ……グリセルダさんは。
「どうした? 息が切れてきたな」
「……余裕余裕。後一時間は剣を振り回していられるね」
「隙を与えずに攻撃を続ける。私に魔法を使わせないためか?」
ルミセラは眉間にしわを寄せ、なにも答えずに剣を振るい続ける。
「確かに私は両手が自由でなければ新たな魔法は使えないが」
瞳が鋭く青い輝きを放ち、グリセルダは斧を握る両手に力をこめた。
「一時間も貴様のお遊びに付き合うつもりはない!」
なにかする気だ……。
「ルミセラ! 危ない!」
「弾けろ! バブルフェザー!」
水の魔女の叫びと同時に、水の斧が泡で作られたように見える半透明な無数の羽へと変化した。そして羽を避けようと後方へ飛んだルミセラへと吹雪のように襲いかかる。
「……あ、泡の羽!?」
ふわふわとした泡の羽。一見、なにも害がないような美しい羽を全身に浴びたルミセラは、その場に転倒した。深刻なダメージでも受けてしまったのだろうか。
「ルミセラ……! 大丈夫!? どうしたの!?」
「大丈夫だけど……なんなのこれ。体中が滑る!」
ルミセラは石鹸水の膜で覆われているかのように潤って見える。その手から剣が文字通り滑り落ちた。彼女は立ち上がろうとするのだが、全身に踏ん張りが利かないようで何度も滑っては倒れこんでしまう。
――滑る魔法。恐らくあの泡の羽に触れると摩擦が奪われ、滑ってしまうのだろう。
「もう貴様は立ち上がることも剣を持つことも叶わない」
「こ、こいつ、両腕が塞がってるのに別の魔法を……」
「一度、魔法で作り出した物体なら別の魔法への転換は可能だ」
倒れたルミセラを見下ろしながら、水の魔女は挑発的に両腕を広げる。
「それに両腕も自由になったぞ? 次はどうする? 策がないなら私の勝ちだ」
「……うっさいな。今、考え中」
「お得意の空間接続魔法も私の周囲には裂け目を作れないからな。役には立たん」
「ど、どうしてルミセラの魔法が通用しないの?」
浮かんだ疑問が思わず口からついてでてしまった。
「こいつはね。自分の周囲に魔法の障壁みたいなものを張ってるんだよ」
「ま、魔法の障壁?」
「よく見てみ、フルフル」
目を凝らしグリセルダさんの周囲を見ると確かに薄い膜のようなものが見えた。まるで大きなシャボン玉に覆われてるかのように彼女の回りを覆っている。
「あのシャボン玉みたいな魔法障壁の中には空間の裂け目は作れない」
「剣で攻撃してたってことは物理攻撃なら通るってこと?」
「うん。あいつの障壁は魔法以外には作用し――」
ルミセラは、もう一度立ち上がろうとしたものの、滑って前に倒れこんでしまった。倒れた彼女は泡を放ちながら数メートル滑っていく。こんな状況でなければ楽しそうなのだが、戦闘力を確実にそぐ恐ろしい魔法だ。
「ルミセラ……!」
「大丈夫……フルフルのことだけは守るから」
苦しげな声。ルミセラは倒れながらも、どうにか剣を手にしたが、柄を持つ両手が滑るのだろう。実に持ちにくそうだ。とても振り回せる状態ではない。




