第二十四回『大切な人を守りたい気持ち。今ならわかるわ』
ふらつく足に鞭をうち、ルミセラはフルフルが待っているはずの場所へと辿り着いた。
煮炊きをした形跡がある。しかし誰の姿もない。
「半日以上経っちゃったもんねぇ。誰もいなくてもしょうがないか」
置いて行かれたならそれでいい。フルフルが無事な証拠だ。
それよりも自分はどうやって助かったのか。
昨晩、新たに現れたバジリスク六匹に囲まれたルミセラは死を覚悟した。ココココと喉を鳴らす不気味な声。光る眼に包囲され、もはや逃げ場はない。そう諦め自らの胸に剣を向けた瞬間だった。花のような甘い香りが漂い意識が朦朧としてきたのは。新しい魔物? まどろみの中、次々とバジリスクが弾けるように空へと飛んで行く。夢でも見てるのかな。そう思い浮かべたルミセラを何者かが抱きかかえた。
――花の香りが強くなった。優しい笑顔の女の人。誰? ……フルフル?
そうして意識を失い気が付くと近くに魔物の姿はなかった。
「誰かに助けられたのは間違いないけど」
まあいいか。少し休もう。そう思い腰を下ろしかけた時、バジリスクの死体が視界に入った。まさかフルフルが襲われて。そう不安に掻き立てられ、死体の側に駆け寄ったルミセラは別の生き物の存在を察知した。
この大きさ。人間と……そして、かなり大きな生物……?
「フルフル、返事し――――」
周囲を見回したルミセラは言葉を失った。人間の身の丈ほどあるバジリスクの胴を、一咬みで食い千切れるであろう顎を持つ巨大な獣。
「……マンティコア」
しかし、噂に名高い凶暴な魔獣は顎と牙を砕かれ、小さく痙攣していた。倒れたまま動きそうにない。
「……驚かせないでよ、ったく~」
ん? これって。よく見るとマンティコアにはいくつもの花びらが貼り付いている。その周囲にも、この場で花が散ったかのように花弁が散乱していた。
「こいつ、フルフルがやっつけ……。……っ!?」
マンティコアの向こう側に目を向け、ルミセラは息を呑んだ。あまりにも凄惨な光景。腕や首を落とされた人間たち。
違う。これは人間じゃない。頑強な鱗に覆われた亜人。これ、リザードマンの死体じゃん。三十体近く倒れてる。
「なにがあったの……?」
その近くに木へ寄りかかり、うなだれている女の姿があった。
「あんたは」
砕けたゴーグル。血で濡れた黒髪。彼女の左肩から右胸にかけて深い切り傷がある。どう見ても致命傷だった。右胸には矢が刺さり他にも大きな傷が全身にある。
――トリニタリア。
「……ひどいありさまじゃん、蒸気猿」
肩で息をしていた彼女は、こちらに気づき顔を上げた。
「あなたも人のこと言えないわよ、姫さま」
バジリスクとのナイトパーティでルミセラの服もすっかり汚れている。
「でも、あんたよりはマシだよ」
「そんな話は後にして、あなたの宝物を心配したらどうかしら」
トリニタリアが視線で示した先にはすやすやと眠るフルフルの姿があった。
「あの子は無事なの、蒸気猿!?」
「マンティコアの毒針にやられてたけど、針は全部抜いて解毒剤を飲ませておいたわ」
多分、心配いらない。その言葉は消え入るようで、よく聞き取れなかった。
「傷には傷薬も塗っておいたわ」
「傷薬に解毒剤? 用意良いじゃん。褒めたげる」
フルフルは幸せそうに微笑み寝息を立てている。良かった。この子は大丈夫そう。
そんな武具屋の近くには傷薬とエリクシルと書かれた空瓶が二つ転がっていた。
「初対面で挨拶代わりに、フルルから拝借した薬だけどね」
「前言撤回……あんたやっぱり最低だわ」
「そうね、最低よ、私は」
苦笑し、トリニタリアは血を吐き出した。胸に刺さった矢で片肺をやられているのかもしれない。喋るのも辛いはずだ。
「あのトカゲ共、全部あんたが倒したわけ?」
「……まあね。トカゲ革の財布が欲しかったから」
「軽口叩けるなら心配いらなそうだね」
「当然……げほっ!」
トリニタリアは血泡を吹き、ゼーゼーと苦しそうに息を吸う。
「……さあ、とっととイイコちゃんを連れて先に進みなさいよ」
「あんたはどうすんの」
「私は大丈夫」
彼女の傷から流れ続ける鮮血。それはトリニタリアの下に小さな水溜りを作っていた。
「血溜まりの上で言われても大丈夫とは思えない」
「それよりフルルが起きたら絶対、置いていけないって騒ぐでしょう」
「そうなるね」
「それが面倒くさいから……あぐっ」
大量に血を吐き出し、彼女は胸を押さえる。
「ちょ、ちょっと。死ぬわよ、あんた」
「いいから……フルルが寝てるうちに行きなさいって言っているのよ」
「容赦なく置いていくわよ、あんたのことは」
「分かってる……だからお願いしてるのよ」
残念だけど。可哀想だが重傷者を連れてはいけない。
試練の森は北へ進むほど危険になる。ここから先はもっと恐ろしい魔物が現れるかもしれない。トリニタリアの言う通りだね。フルフルが目を覚ます前に立ち去ろう。
それにしても蒸気猿の奴。一晩会わないうちに、なにがあったのか。随分と変わったように見える。
「フルフルを守ってくれたんだ?」
「私が……その子に守られたのよ」
「誰かをかばってなきゃ、あんたがリザードマンごときにやられるわけないじゃん……」
「なによ。褒めてくれてるわけ?」
「まあね」
彼女と苦笑しあう。
「私を守ろうとした母さんの気持ち。今なら分かるわ……」
本当に変わったわね、こいつ。なんて満足そうな表情。
フルルを抱きかかえ、トリニタリアに背を向ける。
「ルミセラ、その子の笑顔……守ってあげて」
「言われなくたって守る」
立ち去ろうと一歩踏み出し、ルミセラは振り返った。
「ありがとう。見直したよ」
トリニタリアは答えず、ルミセラを見送るかのように手を振る。
そして力尽きたかのように、その手を湿った草と土の上に落とした。




