第二十二回『恐ろしい毒針とミスリルの胸当て! 顎狙いの拳!』
……お母さん、絵本のマンティコアが怖くて眠れないよぅ。
フルフル。マンティコアだって顎を殴れば一発だよ。
……なにを言ってるのお母さん……。
もしマンティコアに遭遇したら尻尾の動きに注意すること。
……尻尾? この蠍みたいな尻尾のこと?
うん。生意気にも尻尾から毒針なんか飛ばしてくるからね、この子。
「トリニタリアさん、物陰に隠れて……っ!」
「え?」
マンティコアの尻尾が鞭のように空を裂く。
――針を飛ばした……っ!
魔獣の攻撃法を知らなかったのだろう。トリニタリアさんは反応できずに立ち尽くしている。彼女目掛けて複数の毒針が飛来する。
このままじゃトリニタリアさんがっ。
「危ない!」
私はとっさに、マンティコアとトリニタリアさんの間に割って入っていた。胸に衝撃が走り、私は膝をつく。
「ふ、フルル、大丈夫!?」
「……平気、毒針は全部、胸当てで止まってるよ」
さすがミスリル製。当店で一番高価な装備だったもんね。
一部の針は貫通しているが胸がぺったんこで、この時ばっかりは助かった。マンティコアの毒は神経毒の一種。意識を保ったまま全身の自由が徐々に奪われていく。あの魔獣を前に動けなくなれば確実な死が待っているだろう。
「トリニタリアさんこそ大丈夫かな? どこにも毒針、刺さってない?」
「ええ……あなたのお陰で」
安堵し微笑むと、トリニタリアさんは何故か泣きそうな表情を浮かべた。
私は急いで胸当てを外し投げ捨てる。肌まで到達していなかったものの、胸当てを貫通している毒針もあった。なにかの拍子で刺さってしまっては困る。
四百万ウィズの高級品なのに……とほほだよぉ。後で回収して修理したい……。
「そ、それどころじゃないかぁ」
こちらの様子を伺うように飛んでいたマンティコアは毒針の効果がなかったと判断したのか地表に舞い降りてきた。喉を鳴らす巨大な魔獣。毒針は生成するまで時間がかかるはずなので、すぐさま二射目があるとは思えないが危険な状態に変わりはない。なにせ相手はバジリスクを一咬みで喰い千切ると言われている怪物だ。危険以外の何物でもない。
「……フルル、あなたに危険を強いてしまうけど作戦があるわ」
「作戦? どんなのかな。興味深いよぅ」
トリニタリアさんが説明してくれた作戦はこうだ。
まず私が飛び出し囮になりマンティコアの気を引く。その間に彼女が蒸気の力で飛び上がり上から魔獣の頭を攻撃する。下から小さな人間が攻めてくれば巨大な体を持つ怪物の視線は当然下方に集中するだろう。そこをトリニタリアさんが上から攻めるのだ。確かに有効な作戦かもしれない。
「よし。その作戦乗ったっ!」
マンティコアが上げた身震いするような咆哮を合図に私は剣を構え飛び出す。私を見下ろす魔獣が前足を振り上げた。
す、鋭い爪だねぇ。あんなので切り裂かれたら痛いだろうなぁ。
「で、でも当たらなきゃ問題ないっ!」
振り下ろされた鋭爪を避け、その前足に剣を振り下ろす。剣を受けたマンティコアは小さな悲鳴を上げた。よし、怯ませた!
「今だよ、トリニタリアさん!」
そう叫んだものの、彼女の追撃が行われる様子はない。思わず振り返ると、そこには青ざめたトリニタリアさんの姿があった。
「ご、ごめんなさい! 機械が……! 蒸気が出なくて……っ!!」
後ろ! 彼女の叫びにマンティコアへと向き直ると、巨大な牙が迫っていた。
ガチッ!! 牙と牙が交差する激しい音。とっさに後方へ飛び、難を逃れたものの状況はより悪化した。
「しまったっ!」
――……剣を取られちゃった!
そしてマンティコアは鋭い牙で挟みこんだ剣を噛み砕く。
「う、嘘でしょぉ……!?」
……ミスリル製の武器を噛み砕いちゃうなんて、どれだけ丈夫な牙なの。戦慄する私の後方で、更に錯乱しているトリニタリアさんの叫びが聞こえた。
「う、裏切ったわけじゃないの! あなたとの戦いで限界を越えて酷使してたから……機械が……その……私は……!」
「気にしなくていいよ」
今にも泣きそうな彼女へ微笑み、私はマンティコアへと視線を戻す。失敗は誰にでもある。責めるつもりはない。
「ま、待って頂戴。今、直すから!」
とは言ってもマンティコアは修理を待ってくれるつもりはなさそうだ。こうなったら素手でやるしかないか。
「逃げて、トリニタリアさん」
「でも……!」
「ここは私がなんとかするっ!」
バジリスクに使うつもりだった、とっておきの仕掛けもあるし。
無残に砕けた剣の残骸を吐き出したマンティコアに私は拾った枝を投げつける。
「ほら、こっちだよ、わんちゃん!」
私はお尻を叩き、駆け出す。目的のポイントまでついてきてもらおうかっ。
「あ……ライオンはわんわんじゃなくてネコ科だった」
まあマンティコアは獅子のような胴体をしている魔物ってだけで正確にはライオンじゃないから、いっか。
と、のんきなことを考えている場合でもない。怒り狂った魔獣が跳びかかってくる。
「グルァアアア!!!
「うわわわ……っ!」
必死に迫る怪物の攻撃を避け、私は樹々の間を走る。小回りの利く分、障害物の多い森の中を逃げるだけなら私のほうが有利なのだが――
「ひいい……怖い……! おっきなお顔……! 太い牙!」
お母さん、先立つ不孝をお許し下さいってお祈りしたいけれど!
「そんな後ろ向きじゃ、ダメだよね!」
怒り狂ったように、唸り声をあげる魔獣。剥き出しの牙を輝かせ、迫るマンティコア。
ここだ。目的の場所まで誘い出せた。私は魔獣を真っ直ぐ見据えて枝を引く。
「私の勝ちだよ、マンティコア」
その瞬間、大木から丸太が落下し、走るマンティコアへと襲いかかる。両先端を草紐で括られている丸太はブランコのように左方から魔獣の胴へと激しく激突した。しかしマンティコアは、よろめいたものの大したダメージにはなっておらず怒りの咆哮を上げる。同時に私の腹部に鈍い痛みが走った。
「やられた。……毒針かぁ」
魔獣は勝ち誇ったかのように、両膝をついた私の方へゆっくりと近づいてくる。
「それだけ大きな体だもんね。丸太だけじゃびくともしない」
――でも。
「グ、グガ……ッ?」
「丸太だけじゃないんだよね」
マンティコアは小刻みに震えだし動きを止める。私は吊り下げられて揺れている丸太に目を向けた。丸太には赤紫色をした紐状の物がぐるぐると巻きつけられている。
「あの丸太には朝ごはんにしたトキシック・ローパーの触手を巻きつけてあるの」
私は腹部の痛みをこらえながら、必死に両足へ力をこめて立ち上がる。
「死んじゃった後もローパーの触手には刺胞がしばらく残ってる。だからトラップに有効活用させてもらったよ。効くでしょ? マンティコアの毒針よりも強力な神経毒だからね」
そう説明し私は苦笑する。
「ガアアアアア!!」
「だよね。私の長い話なんて魔物だって聞きたくないよ」
私は呼吸を整え、深く息を吸い拳を握る。
「アウトプットブルーム」
トキシック・ローパーの猛毒でも、マンティコアはすぐに持ち直すだろう。
「マンティコアは神経毒に耐性があるって図鑑に書いてあった。もしも自分の毒針が刺さってもやられないように」
現に魔獣は体の自由を取り戻しつつあるように見えた。
私が動けなくなる前に、とどめを刺させてもらおう。
「フラワーエンチャントっ!」
右拳から花びらが溢れ、甘い香りが辺りを包む。
「マグノーリアさんから貰った剣も守れなかった」
「グルル……」
「私が弱いせい。あなたのせいじゃないけれどね」
拳を握り、近づくとマンティコアは弱々しく喉を鳴らした。
「怖いよね。魔物も生きてるもん。でも命までは取らないから。そんな怯えた顔しないで」
行くよ。
「咲き渡れぇぇぇぇぇっ!!」
空を裂くような拳でマンティコアの顎を跳ね上げ、同時に大量の花弁が舞い踊った。




