第十九回『決着! フルルとトリニタリア!』
……こいつ、ただのイイコちゃんじゃない。
「死んだら、なんにもならない。それは大切な人や自分だけじゃなくて、みんな同じ」
「……は?」
「だから命を奪うのは怖いんだよ」
「意味が分からない……」
「どうでもいい他人にだって明日や未来。夢や希望。家族や友人。そういうものがあるかもしれない」
……イラつく。イラつくわ。イラつく。
「そんな他人の命もトリニタリアさんの命も守ろうとしてた、あなたのお母さん」
木漏れ日を浴びて微笑むフルル。
「素敵で尊いよねっ」
彼女がまるで聖母に見えた。もういい。もううんざりだ。
「……自分の命も守れないくせに……」
腰にあるつまみを回す。背中の圧縮蒸気生成機が動き出した。
「他人の命を守るなんて甘ったれたこと言うなぁ!!」
機械から革鎧や剣に伸びる管。その先の射出口から大量の蒸気が溢れ出す。
フルルはトリニタリアの叫びには応えず、笑顔でこちらを見つめている。
「……その目が、その口が、その言葉が!」
そして、なにより。
「お前の笑顔が! 母さんを思い出してイラつくのよ!」
剣を抜くと同時に背中の射出口から激しく吹き出す蒸気。その勢いに乗り、トリニタリアは一瞬でフルルと間合いを詰める。
「うわわわ……っ!?」
慌てた表情を見せたものの、彼女は転ぶようにして振り下ろされた剣を避けた。そして転がりながら地面に置いてあったミスリルの剣を拾い、立ち上がると同時に身構えている。やはり見た目ほど弱くない。フルルは隙のない動きで鞘代わりの布を投げ捨て、白銀の剣をこちらに向けた。
「人と人が傷つけ合うのは悲しいんじゃなかったかしら?」
「悲しいね」
「冗談でしょ? 剣を構えたあなたの目にためらいや戸惑いの類なんてないじゃない」
「出来れば誰も傷つけたくないし争いたくないよ」
「人に剣を向けながら、よく言うわよ」
「誰も傷つけないとは言ってないよね」
「屁理屈を言うんじゃないわよっ!」
トリニタリアは圧縮蒸気を使い、空中から高速でフルルに迫り斬りつけた。しかし、最小限の動きで斬撃を剣で弾かれ何度攻撃しても刃が届かない。
「お前だって母親に置いて行かれたくせに……っ!」
どうしてそんなに綺麗な顔をしていられる。
「お前は捨てられたのよ!!」
どうして優しい笑顔を壊さずにいられる。
「私はお母さんに捨てられたかもしれないね」
剣が奏でる激しい金属音に消されそうなくらい細いフルルの声。
「……だったらどうして母親を待つのよ」
「お母さんの居場所を残したいから」
「母親は、そんなの望んでいないかもしれないじゃない……バカみたい!」
トリニタリアの言葉が動揺を誘ったのか、ようやくフルルの体を剣がかすめる。じわじわと赤い染みが彼女の右袖に浮かんだ。しかし次の斬撃は剣で受け止められ、再び剣の応酬が始まった。
「お母さんにとって、私のそばが居場所であって欲しい」
「……はぁ!?」
「私が、そう望んでるからだよ」
斬り合いの最中だというのにフルルは寂しそうに微笑んだ。
「お母さんにとって私が必要なんだって望んでる」
「……お人好しの甘ちゃんが!」
怒りに任せて攻撃を繰り返しても、フルルに全ての攻撃を防がれてしまう。笑顔すら崩れていない。……化け物か。
「どうして……届かないのよ……!!」
ただ斬りつけているわけではない。圧縮蒸気は剣やトリニタリアの動きを複雑に変化させ、常人には反応できない速度で攻撃を仕掛けていた。
――蒸気で軌道を変えるフェイントが読まれている。こんなのんきそうな奴に!
「こんな弱そうな奴に攻撃が通じなくて意外って顔してるっ」
「……なんですって」
「その機械の動きはキャンプで再会した時に少し見せてもらったから」
「だから? だからなんなのよ!」
「あの時、気がついたの」
突き、斬り上げ、袈裟斬り、あらゆる方向へ変化する斬撃の全てをフルルはまるで未来が読めているかのような動きでさばいていく。
「蒸気を噴出する前に、射出口に繋がった管が膨らむよね」
管が膨らむぅ? 革鎧や剣に伸びた圧縮蒸気を送るための管。どこにどれだけ蒸気を送るかは左手の籠手についた装置で操作する。
「……それで動きを予想してるってぇ? ハッタリかどうか試してやるわよ!」
トリニタリアは彼女に蒸気を浴びせながら距離を取ろうと肩と腰の射出口から正面に吹き出す操作をした。するとフルルはそれを予期してたかのように後方へ飛び、高温の蒸気を回避する。
「……こいつ、本当に私の動きを!」
「ある程度は予想出来るんだよ、トリニタリアさんの動きは」
「へえ、私たち、スチームバンカーにそんな弱点があったなんてね」
キャンプで見せた一度で、使い手も気づいていなかった機械の隙に気づいたのか。
「管が見えない背中や死角部分の蒸気射出は音である程度、予想してるよ」
こちらの動きを先読みができる、それだけじゃない。フルルは剣の腕前も一流以上だ。
だからなに。だからなんなのよ。
「平和な街でぬくぬくと育ったガキが……!」
「そうだね。私は幸せものだと思うよ」
「幸せなんか私は知らない!!」
蒸気の出力を限界まで上げ、トリニタリアは地を走る稲妻のようにフルルに襲いかかった。剣と剣が咬み合い、火花が美しく散る。
「母さんは間違ってたのよ! 世界に私は一人ぼっちだ! 誰も信用しちゃいけない! そうしないと、みんな私から奪っていく!!」
「世界には温かいものを与えてくれる人だっているよ」
「どこにいるっていうんだ!」
「言葉じゃ伝わらない」
「大嘘つき。世界は優しくなんかできない!」
母さんは間違ってた。だったら。
「お前も間違っているのよ! フルルぅ!!」
剣の射出口から強度の限界を超えた蒸気が溢れだす。渾身の斬り下ろし。その斬撃をフルルは剣で受けようと上段に構えた。
出力最大で斬りつければね、私の一撃はオーガだって受け止められないのよ!
「あの世で母親でも待ってるんだなァ! ガキ!」
――でも本当にそう? フルルは母親に置き去りにされて一人で生きてきた。私となにが違う。本当のガキはどっち?
剣と剣が交差する瞬間だった。予想していた激しい衝撃はなく、トリニタリアの剣はなんの手応えもなくフルルを避けていく。
「……な!?」
フルルは剣を受ける瞬間、刀身を斜めにし斬撃を滑らせるように受け流したのだ。
剣と剣が交わる刹那を見切らなければ、こんな受け方はできない。剣を下げるのが早くても遅くても斬撃を受け流せないだろう。それもただの攻撃じゃない。圧縮蒸気の噴出で加速した一撃だ。
剣の腕前が一流以上? 目算が甘かった。彼女の剣技はマスタークラスだ。速度と力。いなされた斬撃は勢いがあった分、トリニタリアのバランスを崩す。
「剣は得意なの」
「あなた……何者よ……」
「武具屋だよ」
こちらの喉に剣を突きつけながらフルルは笑顔でそう言った。
「ハッタリよね。あんたに人は斬れない……」
「どうかな」
「まだやるなら悲しいけど斬る……そんな目ね」
勝てない。優しいだけでも力だけでもない。母さんもこいつくらい強ければ死なないで済んだのかもしれないわね。
「母さんに……生きてて欲しかった」
「その気持ちは、いっぱい伝わってきたよ」
花のような笑顔。トリニタリアはあふれる涙が止められなかった。フルルに死んでしまった母親を重ねていた。そして母親へ伝えたかったことを喚き散らした。母親に甘えて反抗するように。ガキは私の方だったのかもしれない。
「……降参。あんた強すぎ」




