第十七回『魔物で、お料理。フーフーして食べてね!』
グツグツと煮立つような音を耳にし、トリニタリアは急速に覚醒した。
――なんの音かしら。
日が高い。もう昼か。降り注ぐ木漏れ日に目を細め、小さく欠伸をする。寝床の太い枝から地上を見下ろすと、葉にできた間隙にフルルの姿があった。彼女は石で作った円の中心に火を起こし、なにかを鍋のようなもので煮ている。
「のんきねぇ……」
ルミセラとの落ち合う予定の丘。樹々に覆われ、丘なのか森なのか巻物の地図がなければ判断しかねるだろう。フルルはバジリスクによるキャンプ襲撃の際、リュックと共に巻物を失っており、トリニタリアが彼女をここまで案内してやったのだ。もちろん善意からではない。こんなのんきなイイコちゃんでも寝ている間の番にはなるかと考えてのことだ。魔物に襲われて悲鳴の一つでも上げてくれれば熟睡していても目を覚ます。普段ならば滅多に熟睡はしないのだが、バジリスクから逃げるために走り続けて疲労した体では自然と眠りは深くなる。
「……んん。まだ寝足りないわね」
いつもの習慣でトリニタリアは幹を背もたれに太い枝で睡眠をとっていた。魔物がうろついている地上は危険極まりないが木の上なら多少はマシだ。
「お塩が足りないかなぁ。でも、もう少しで完成~!」
底抜けに明るい声が届く。一晩中、ルミセラを想って泣いていたくせに、もう立ち直っている。
フルル。こいつは理解できない生き物だった。親しくもない、いや暴力さえ振るわれた相手の命を救おうとした。凶悪な魔物であるバジリスクに立ち向かってまで。なんのメリットがあってした行動なのか。本当に理解できない。
「トリニタリアさん、起きてる? むしろ、まだいる~?」
答える代わりに彼女のそばへ飛び降りるとフルルは目を見開き慌てふためく。
「うわわわ! だめぇ~!」
「え? どうしたのよ」
そして、なにを思ったのか、フルルは煮え立つ鍋を庇うように両手をかざした。
「あちちちち……!?」
「な、なにをしてるのかしら」
「鍋に埃が入っちゃうよ……っ!」
「ああ。ごめんなさい」
鍋に目を向けると、どこで手に入れたのか、肉と山菜が熱湯の中で揺れていた。試練の森に転送されて以来、携帯食の不味い乾燥ビスケットやフルルから奪った干し肉、せいぜい同じく彼女から奪ったチュパパキャンディしか口にしていなかった。鍋はそんなトリニタリアの食欲を刺激する。
「どこから取り出したのよ、この朝食セット」
焚き火を囲うように木でできた三脚があり、その中央には草で編んだロープで鍋が吊るされていた。その近くには二人分の木製の皿とフォークまで用意されている。
フルルの巨大リュックはバジリスクの襲撃にあったキャンプに置いてきたはずだ。そして彼女の腰にあるポーチは大きいが、こんな三脚や皿が入りきるとは思えない。
「トリニタリアさんが寝てる間に頑張って作ったの」
「現地調達で?」
「ナイフとミスリルの剣で枯れ木や倒木を、さくっとっ」
「さくっとねぇ……?」
「うん。鍋はポシェットに入れて持ちこんだ携帯紙製鍋だけれどねっ」
「紙なのに燃えないのかしら?」
「えっとね、水の沸点と紙の燃焼する温度の差と気化熱で炎の――」
「も、もう、もういい。分かったわ。とにかく燃えないのね」
質問を受けた時の嬉々とした表情。
この子、絶対に説明好きで話が長いタイプだわ……。
「それにしても世間知らずなイイコちゃんかと思ったら、意外と野生児なのね」
「お母さんが小さい頃から仕込んでくれたのですっ」
「そう。……良い母親ね」
「うんっ。大好きなお母さんなの、えへへ」
――タリアがいれば幸せよ。あなたは一人じゃないわ――。
母親の言葉。嫌な記憶を思い出した。
「……努力だけじゃ世界の風景は変わらない」
「え? なんの話かな」
「なんでもないわ」
そっか。そう微笑み、フルルは私にスープ入りの皿を差し出してきた。
「……これは?」
「どうぞ。熱いから少しフーフーして食べてね」
どういうつもりなのか、はかりかねてトリニタリアは眉をひそめる。
「いいの?」
「うん。最初からトリニタリアさんの分も作ってたからね~」
二人分の皿とフォーク。あれはフルル自身と待ち人であるルミセラのために用意していたのかと思っていた。
「食べ物で媚を売っても私はあんたを置いて先に進むわよ」
ルミセラを待って、こんな場所で足止めを食うつもりはない。
「そ、そんなつもりはないよ」
「それならどんなつもり?」
なんの打算もなしに他人へ食事を振る舞うバカはいない。いつ食事にありつけるかも定かではない、魔物が闊歩する危険な森の中では特に。
「ル……じゃない、アーテルとの待ち合わせの場所に連れてきてくれたお礼ってことで」
謝礼か。それなら分かりやすい。
「偽名使わなくても良いわよ。あの子、ルミセラ王女なんでしょ」
「あ、知ってたんだ」
「顔を見れば分かるわよ」
だからこそ、あいつは正体を隠すために仮面を被っていたのだろう。
「それより遠慮なく頂くわね、ありがとう」
「えへへ、どういたしまして」
屈託のない微笑み。初対面でひどい目にあわされた相手に、どうして笑っていられるのだろう。この笑顔は初めて目にした時から気に食わなかった。フルルはトリニタリアの母親にどことなく雰囲気が似ている。
「おかわり、たくさんあるからね」
「これで充分よ」
「って吹きこぼれちゃ……あわわわ!」
フルルは慌てて草紐を手繰り寄せる。そして鍋を引き上げると三脚に巻きつけ固定した。焚き火からパチパチと乾いた音が響き、火花が飛ぶ。
「それじゃ食べよっか!」
肉がたっぷりと入った山菜スープ。実に美味そうだ。
「いただきま~す!」
熱々の肉を口に含んだ瞬間、得も知れぬ甘みと旨味が広がる。とろとろに柔らかくなった肉は舌先に触れる瞬間に溶けて喉の奥へと流れこんだ。しっかりとアク抜きもされていたのだろう、山菜も甘くエグ味がない。
「……美味しいわ」
「本当? 良かったよぉ、えへへ」
「相変わらず眩しい笑顔ねぇ」
「褒められちゃうと笑顔の花が――」
「咲いちゃうの。だっけ?」
フルルは言葉尻を取られてきょとんとした後、満面の笑みで頷いた。
なんなのよ、こいつ。……でも本当に美味しい。
「これ、なんの肉?」
最後の一切れを噛み締めトリニタリアは微笑む。この肉はきっと高級食材に違いない。
「トキシック・ローパー」
「ぶっ……っ!?」
思わず、口に含んでいた肉を吹き出してしまった。
「だ、大丈夫!? トリニタリアさん!」
「大丈夫じゃないわよ!」
「でも美味しかったでしょ?」
「ローパーって、あの触手ウヨウヨの魔物よね……!?」
「うん。ローパー種の毒を持っている紫色の個体だね~」
「あなた、グロい肉を食べさせただけじゃなくて毒を盛ったのね……!?」
「ち、違うよ! トキシック・ローパーは触手に強い毒があるけれど、お肉は大丈夫」
「に、肉には毒はないのね……?」
「正確には触手から出てくる刺胞に似た小さな針に強い毒があるから、お肉自体は無毒で高級な牛肉に似た食感と味を楽しめるの。個人的な見解だけれど、ローパー種は触手部分において刺胞に似た特徴が見られるのでクラゲなどの刺胞動物が進化し地上で――」
「フルル、長いわ。説明が……。肉が無毒なのは分かったから」
「う、うん。とにかく、お肉は大丈夫だよっ」
フルルは予想通り説明好きで話が長いタイプだったようだ。
「で、あの肉はどこで手に入れたのかしら」
「……今朝、スプーンを作ってたら襲いかかってきたの」
トリニタリアが寝ていた間の出来事のようだ。
「できるだけ命は奪いたくはないけれど、私もご飯を食べないと生きていけないから」
フルルは心底悲しげな表情を浮かべる。なにを悲しんでいるか理解できなかった。
「誰に言い訳してるの? そんな話聞きたくないわ」
「言い訳かぁ……」
「食べるためにやった。それでいいじゃない」
「うん……そうだね。その通りだよ」
お陰さまで美味しい朝食にもありつけたと伝えるとフルルは嬉しそうに笑った。




