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蛇足 お嬢様よ幸せであれ

 スイツ国華族、アフォガート公爵の掌中の珠、獅子の宝珠と呼ばれるアイシアに仕える侍女ウェハはこのところ非常に忙しい。

 屋敷のあちらこちら、同僚だけではなく公爵家御用達の商人たちに呼び止められたり、主人(アイシア)への訪問客がひっきりなしなのだ。

 少し外へ出ればやれ新聞社だの報道機関だのに行く手を阻まれたりする。

 

 それもこれも長すぎる婚約期間のために、いつ白紙に戻るのかと言われていたものが、ここへ来て突然成婚準備が始められ、公開告知されたせいだ。

 まるで塞き止められた水が流れるようにこれまで滞っていた諸々が一気に動きだした。 

 

 これは内々では実に6年もの間上手く行っていなかった婚約者と和解(・・)した結果だと伝わっていて、本来ならば喜ばしいことだろう。

 

 だがウェハは、和解というよりは隙を突かれた騙し討ちのようなものだと苦々しく思っていた。

 

 アイシアの婚約者であるシフォン皇太子殿下は性格や行動に難有りと名高かったし、ウェハの目から見ても実際いけすかない男だった。

 

 ウェハの愛して止まないお嬢様は彼に嫁げばいずれこのスイツ国の皇后陛下になる。

 成婚までは今までと変わらずウェハたちのお嬢様だが、以降はもう簡単には会うことはできないとアフォガート公爵から直々に伝えられた。ウェハたち公爵家の使用人は向こう(皇城)には連れていってはもらえない決まりだからだ。

 

 それを告げられた日にウェハは思い付く限りの暴言や悪態を吐きまくり、それにうんざりしきったアイシアから声を漏らさないマスクを被せられ、1日中それで過ごした。だがウェハの不満はとどまることを知らない。

 なぜならそもそも問題ある婚約者だったのが更に上回る悪癖のありそうな人間だと分かったから。

 

(まさか白い結婚を言い出した相手が、お嬢様の心に長年住み着いていた男とは)

 

 それならそれでアイシアと見抜いた時点で正体を明かしてくれていれば良かったものを、あの男はそれを黙ってわざわざ『愛人と暮らすために白い結婚を』と主人(あるじ)の心――矜持など――をズタズタに切り裂くような提案をして、出方を窺った(とウェハは信じている)。

 そういう姑息な真似をとったあの(クソ野郎)をウェハは生涯絶対許さないと誓った。

 ギリギリと噛み締めた歯と共に手にも力が入り、握りしめていた己の手の骨がミシミシと音を立てた。

 

 ウェハの同僚でもあり、アイシアの侍従であるチェリなどは『あー悪い予感当たっちゃったなあー』などとのんびりのほほんとぬかしていたが。

 

 ウェハとチェリにだけ明かしてくれていた長年の想い人。

 婚約者(シフォン)とそれは上っ面だけの付き合いだと単なる侍女のウェハにすら感じられるほどの義務デート。

 最初から好いた者同士のような激しく燃える愛はないだろう。だが、お互いを慈しみ思いやり労り合うところから始まるのもまた愛である、とウェハは思っている。

 

 長年の想い人も憂さ晴らしの研究(しゅみ)も期間限定の自由の上だということを十分理解しているからこそ、恋は淡い恋のままいつか良い思い出になるようにアイシアが心の抽斗(ひきだし)にそっとしまいこんでいることをウェハは当然知っていた。

 

 だから、シフォンが『白い結婚を』と各々の侍従侍女が控えている場で言い放ったことは、ウェハがせめてと願った穏やかな夫婦の始まりも、アイシアの我慢や覚悟を完全否定するもので、ひどく悲しくひどく憤った。言われた当人であるアイシアより感情的になってしまっていた。

 

 だがアイシアは強かった。さすがウェハが長年仕えたお嬢様、獅子(アフォガート家)の宝珠と呼ばれる方だ。

 普通なら萎れてしまうだろう花は簡単には折れず枯れず、凛と咲き誇っていた。

 それなら自分だって愛人を作ったっていいでしょう? と秘めていた想いを告白&愛人要請に行くという、ある種の暴挙とも言える大胆な行動に打って出た。

 

 アイシアの初恋の成就と目論見の成功をウェハは祈ったし、彼女の美しさと富があれば相手にも美味しい話なのだから断られることはあるまいと思った。もし自分が男であれば一も二もなく飛び付く、できればそうであってほしいとウェハはそう考え、ひとり何度も頷いた。

 現にチェリなどは相手の男が羨ましいとまで言っている。まあ彼の場合、完全なるヒモ体質で世話してくれる人にはきちんと奉仕するから成り立つのだが……。

 

 とにかく。アイシアはまた打算のみの関係になるのかもしれない。だが、皇城(アウェイ)で一生お飾りとして独りきりで過ごすよりは、彼女だけを愛し慈しむ存在があった方がいいはずだとウェハは思う。それが例え相手にとって打算でも偽りでも。

 

 結果として、真夜中にふらふらと帰ってきたアイシアから想い人と上手くいったことを告げられ、大事なお嬢様が一生の孤独を免れたことに内心で安堵の息を吐いた。

 

 だが同時にウェハは首を傾げた。

 アイシアから喜びの感情が全く見受けられない。どころか困惑や疲弊しきった様子が謎すぎて。

 もしや見返りに相当のものを要求されたのだろうか? 確かに一生日陰に生きろと言っているのだからその線もあるだろう。

 

 筋金入りの箱入りお嬢様だ、男を見る目がないのは当然。

 まあ男を見る目なんて実際そうそう養えるものでもないが、聞いていたような『奥手で女慣れしていないようなモテない見た目』だからと言って油断は出来ない。

 モテないなら浮気出来ないよね? と思うような男でも浮気をする時はする。男女問わず見た目はどうあれ中身が屑な場合はあるんだから仕方ない。相手はそういう性質(タチ)だったのか? そう考えてウェハは眉根を寄せた。

 

 どんな無茶な要求をしてきたのか、アイシアを貶めるような言動があったのか(あったならば確実に仕留めに行こうと決めていた)聞きたいがあえて問い詰めたりせずにアイシアが自ら話すのを待っていると、心ここにあらずな様子で左手をさすりながらぼんやり口を開いた。

 

「……お父様も知っていたのかしら……ねえウェハ、私皆から騙されていたの? ウェハも知っていたの?」

 

 そうして己まで疑われながら彼女の口から語られる話を聞けば、ウェハは更に眉間の皺を深く刻むこととなった。

 公爵家令嬢アイシアと研究員ノワールが同一人物だとシフォン皇太子は知っていて、それをあえて言わなかったのだと。

 だが、なんにしろ告白は成功している。そもそも相手は結婚予定だった男である。そういう意味では何の問題もない。

 

「だけど負けた気持ちと言うか? 腑に落ちないと言うか? とにかくなんだか納得いかないのよ」

 

 アイシアがうんと頷くまで帰してもらえなかったので戻ってくるのもこんな遅い時間になったのだとか、皇城などでアイシアと会う彼の側近だの専属侍従や侍女も事情は知っていたが、黙っているよう例の魔導インクで制約&誓約させられていたのだという話を聞かされていたのだと聞いて、ウェハは眉間の皺どころか血管が切れそうなほどに頭に血が上った。

 

「と言うことはね、ウェハ。陛下も全て知ってらしたのよ。だからのらりくらり躱されていたのだと思うの。問題はお父様だけど……お父様は私に腹芸が出来ないと思いたいわ……」

 

 でも今更公爵()を問い詰めたところで、この結婚が覆るワケでもないけれど、とアイシアは脱力していた。

 そんな彼女は常に左手をさすっているので、ウェハもその指にはめられたシンプルな指輪に嫌でも気付かざるを得ない。

 

 あちらに行くまではなかった装飾品を無意識のうちに愛しそうに撫でつつ嘆くアイシアを見て、ウェハは溜め息を吐いたのだった。

 

 

       * * * * *

 

 

「婚約解消にならなくて良かったよ」

 

 皇城内、装飾は少ないが日当たりの良い室内に低いが良く通る男の声が小さく響いた。

 貴賓客の連れてくる使用人や侍従用の控えの間にて、簡素なテーブルに着いて自ら淹れた茶を啜る長髪の男は満足そうに微笑みながらウェハと向き合っていた。

 

「せっかくの美人が台無しだよ。あっ、これって『浮気』に入っちゃうかな? アイシアに怒られちゃうかな?」

 ウェハの前にも茶の入ったカップを置く。

 何やらにやにやと締まらない顔の男を冷ややかに一瞥すると、ウェハは口を開いた。

「――その髪はカツラですか、殿下」

「顔の印象変える魔導具なんだけど、良くわかるね?」

 くつくつと愉快そうに笑うこの男こそ、この国の次期皇帝シフォン皇太子で、ウェハは不愉快な眼差しを隠そうともせず彼の真向かいに座っていた。

 

「わからないわけがないじゃないですか。隠す気も更々ないくせに」

「まあまあそう噛み付かないで。アイシアの大事な侍女殿の心証を良くしておきたくて」

 

 と、アイシア本人がいないところでなぜこの(皇太子)と二人きりになっているのだろうと

 ウェハは内心で盛大に舌を出しクソがと罵っていた。

 

 本日アイシアは城に呼ばれ、式準備のマナー、歩き方から振る舞い方やらの指導を受けている。ウェハとチェリもいつものように控えの間に通されたが、チェリは用足しに行くと言ったきり戻ってきていなかった。

 そしてウェハ一人きりの所へ見計らったように皇太子がわざわざ変装してやって来たのだ。

 

 ウェハも最初、魔導具のおかげで皇太子とは見抜けなかったが、飄々とした声と話す内容でアイツ(シフォン)だとすぐに理解した。

 

「心証」

 今更、とウェハは鼻で笑う。それに対し微笑みを崩さずシフォンは言う。

「――これは公爵にも言ったが、アイシアを泣かさないとは言わない」

 彼のその言葉にウェハは目を眇めた。

「当然泣かさない努力はするよ? やっと手に入れた愛する女を手放す真似はしない。だけど出来ない約束はしないことにしてるんだよね。この先アイシアに辛い出来事があるかもしれない、私が先に人生を終えてしまって守り抜くことは出来なくなるかもしれないからね。それにアイシアはミロワールのことは愛しているけど、私とミロワールが同一だと『まだ』認めてくれていないから。彼女が私を受け入れられるかが今後の課題かな」

 

 まあでも時間の問題だよね、とシフォンは自身の左手にある、ウェハがどこかで見たのと同じ意匠の指輪に触れながら蕩けそうな微笑みを浮かべた。

「君の主に白い結婚なんて酷い条件を突きつけた言い訳にならないだろうけれどね、私が身分を隠して用意された制限時間一杯まで好きなこと……まあ国益になるから許されていたのだけれど。その私と同じようにアイシアもノワールとして身分を偽装して活動してるとわかったのは、じつは割と最近のことなんだよね。ノワールのことを愛していたから、到底愛せそうもない冷たい人形のような婚約者が、研究欲が強くて世話焼きで毒舌なあのノワールだと知った時の悦びはほんと何て言ったらいいか! もうね、ゾクゾクしたよね! なんだ、誰かを不幸にするおかしな覚悟したり拐わなくても手に入る、ってね」

 

 冷たい人形のような、はお前もだっただろうが。気持ちがすれ違っていたらノワールを誘拐する気だったのかこの犯罪者めとウェハは冷ややかな気持ちでツッコミを入れつつ黙って聞いていた。

「――アイシアの『実の姉』である貴女にはきちんと話しておきたくて」

 カップを置いて、どこか勝ち誇ったような顔でこちらを見るシフォンをウェハは表情を変えずひたと見据えた。

 

「公爵も知らない事実、だよね」

「――さあ? 何の事だか」

「同じ父を持つのに片や使用人、片や傅かれるお嬢様だ。公爵家にはアイシアしか子供はいない」

「だから?」

「これから暴露でもして感動の対面、養育費代わりと献身の見返りにアフォガートの後継を譲ってもらって甘い汁を吸いたいのかなー、と思って」

「くだらない。いかにも三流誌が好みそうなありがちな妄想ですね。私はお嬢様にお仕えするただの侍女です。仮に私がお嬢様の異母姉だとして、そんな企みがあったならばもっと早いうちに公爵(旦那)様から始末されてるでしょうね」

「……そうかな?」

「そんな愚にもつかない話がお嬢様の耳に入り、お嬢様をお泣かせするのであれば、私は物理的に対応(どうにか)することもやむ無しと思っておりますよ、殿下」

 

 ウェハは口角を上げ、柔らかく微笑む。

「私はお嬢様がお小さい時……お母様を亡くして泣かれるお嬢様のお側で一生お守りすると誓ったんです。ぽっと出の世間知らずのボンボンより長くお嬢様へ愛を注いでおりますよ。それこそ公爵様よりも長く、強くと自負しております」

「はは。釘を刺すつもりがとんだやぶ蛇だったようだ」

 

 ウェハは微笑みを消す。

「お前みたいなクソ男がお嬢様より先に死のうがどうしようがどうでもいい。お嬢様を泣かせる事は絶対に許さない。死んだ後も生まれ変わっても追いかけて償わせてやる……」

 そして、すう、と大きく息を吸い込むと軽く目を伏せ頭を下げた。

「私ども(・・)はあなた様を一切認めておりませんので、心証が良くなることなどございませんので悪しからず」

「わあ、不敬だね」

「そのまま斬って捨てて下さって構いませんが?」

 シフォンは肩を竦めて見せると茶を飲み干して立ち上がった。ウェハは頭も下げず立ち上がらず、彼が部屋から出るのを目線だけで見届けた。

 

 入れ替わるようにチェリがひょこひょこと入って来る。

「斬ってくれたら良かったのにねえ~」

「そうよ! それ狙ってたのに! それでお嬢様に嫌われて一生怨まれて距離を置かれていればいいのに!」

「まあまあ、あれだけ器がおっきければ、おじょーさまにはいんじゃない?」

 

 チェリがふわあ、と欠伸をしながら言う。

「ウェハだってわかってんでしょ? どーせ俺ら皆おじょーさまの隣に誰が来たって気に食わないんだから。クセ強くて厄介そうだけどさー、ああゆーのがおじょーさまには合ってるってコトにしとこ? 立ち位置的にも刺し違えるのすら難しそうだしさー」

 ウェハはその言葉にとてつもなく嫌そうな顔をして答えた。

 

「わかってるわよ!」

 きっとお嬢様は幸せになるだろう。

 あの男(シフォン)が腹の奥で何を考えているかは知らないが、わざわざウェハに釘を刺しに来たのだ。

 アイシアが知らない事実に悲しまないように隠し通せと。公表するなと。自分が忘れたくて忘れていた事実を記憶から掘り起こしやがって、余計なお世話だ、とウェハはぎりぎり歯軋りする。

 

 だがウェハのこの苦い想いに反して、きっとお嬢様は幸せになるだろう。

 アイシアと共に生きるにあたって、道の小石に躓かせることや水溜まりをわざと踏ませることはあっても、大きな岩や毒沼は回避させる。見なくていいものはきっちり隠し、知らなくていいことは絶対に悟らせないような相手だろう、そうであってくれと願う。

 

 ずっと単なる優男、優柔不断なのかバカにしているのかと思わされていた。

「あんの腐れ※※※(ピー)野郎め」

「あー、ウェハ。皇城(アウェー)でナチュラルにヤバい悪口は良くないんじゃないかなあー。筒抜けじゃん?」

「いいわよ、不敬罪で捕まっても」

「あー、うん。まあ、そーだよねえー」

 

 その時はおじょーさまに助けてもらおーっとと言いながらチェリはウェハの隣に座ってテーブルに上半身を伸ばして大きな欠伸をまたひとつすると、すぐにすうすう寝息が聞こえた。

 

 ウェハはそれに鼻を鳴らし、シフォンが手ずから淹れた茶を一気に飲み干した。












今更ながら明けましておめでとうございます。

体調がいまだ整わず。

タイトルまんま、蛇足回です。

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