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中編 お嬢様は考えたくない

 侍女のウェハが座席の下、足元から引きずり出したトランクの中にはいわゆる変装セットが入っていた。

 

 髪染めスプレー(黒)、鼈甲眼鏡(虹彩色変更機能付)、マキシ丈の裾が広がらない無難なワンピースと何かで汚れ染み付いた白衣と鉄板入り安全仕様の気体噴出靴(ジェットブーツ)。茶金色のぼわぼわしたウイッグ。

 アイシアは、袖やら胸元やらあちこちにレースをふんだんに使用したクラシカルドレスをささっと脱いでそれらに着替えていく。

 脱いだアイシアのドレスや靴はウェハが着て、ウイッグも着ける。チェリは男性なので紳士的にアイマスクを着用しているので着替えは見ていない。

 

 そうやってウェハがアイシアになりすまし、アイシアもぼわぼわした髪をひっつめてお団子に結びその上から髪染めスプレーして別人に成り済ます。

 これがアフォガート家の、獅子の宝珠と呼ばれ、背景に薔薇を背負う幻覚を見るほど優雅で気品に満ち溢れたアイシアとは誰も思うまい。

 地味なものぐさっ子に大変身である。

 

 こうやって入れ替わっておかないと、どこかに消えたと盗撮者にスクープされる可能性がある。ちなみに転移装置(ワープ)はアフォガート家でも極秘の極秘。この国ではアイシアとアフォガート公爵とチェリとウェハしか知らない秘密であるので、商業化のできない便利グッズの存在も知られたくない。

 

 着替えが終わったところでチェリが件の転移装置をグローブボックスから取り出して渡した。

 ロッドアンテナ式で伸縮するそれは、伸ばしきれば一人が立てるほどの大きさの円状になる。ふかふかのフロアマットの上に展開し、ボタンを押すと淡く水色に光った。向こうに障害なく行けますよのサインだ。

 アイシアは2人に柔らかく微笑んだ。

「――じゃあ行ってくるわね」

 

 2人の返事を聞く前に彼女の姿はその場から消えていた。

 

 

       * * * * *

 

 

 パキパキパキ……とまるで骨を踏んだような独特の音と共に、アイシアの姿が現れたのは薄暗い室内。

 室内というには身動きもまともに取れない極狭のそこは、薬品や金属臭、その他と混ざって……悪臭が酷く、アイシアは顔を窄めた。

「……うん、今度こそ片付ける」

 気体が勢い良く噴出する安全靴でドガン、と扉を蹴破れば、近くに人がいたらしい。驚きすぎて腰が抜けたのか、ひああと悲鳴にならない声が聞こえた。

 

 人ひとりギリギリ入っていられたそこ――ロッカーであり、この場はロッカールームなのだが――から何でもない顔をして出てきたアリシアが床に蹲る物体を見た。

「あら、ミロワールじゃない」

「ののの、ノワールか……び、びっくり、した」

 床の上で丸くなって小さくぶるぶると震える物体、いやミロワールと呼ばれた男は、ノワール(アイシア)が差し出した手に縋ってゆっくり立ち上がる。

 

「ひ、久しぶりだね、ノワールが研究所(ここ)に来るの」

「……あー、そうかも?」

 ミロワールと呼ばれた男がへらりと笑んで立ち上がる。彼は目が弱いので、光を反射させるミラー仕様になった色眼鏡を掛けている。

 

 鬱陶しそうなボサボサの長髪と猫背のせいかややオドオドした印象の彼を含むこの研究所とも6年近い付き合いになる。

 アイシアは自国スイツと海を挟んだ島国である、ここショコラータにて研究所職員の籍を置いていた。

 アイシアの女学院通いが終われば来るはずだった、この(ショコラータ)に。

 

 スイツ国華族アフォガート公爵家アイシアは同国皇太子シフォンの婚約者であるが諸般の事情により成婚が延びた。皇族、皇后になるための学びは結局行事前におさらいもあるし、やってみないとわからない。

 自国はおろか他国の言語やマナーもほぼ把握していてすることがなかった。

 

 そうして夫となる婚約者も不在のままアイシアは――暇に、なったのだ。

 

 それで伝手と実家の権力をフルに使って、スイツ国に籍を置き各国を渡り歩く行商グループの役員の(ノワール)という存在を作り上げ、狙っていた研究所に自分を捩じ込むことにした。

 ただ、ある程度学んで~実益出して~、嫁ぐその日が来るまでの思い出作りのつもりが、いずれ婚約解消後の自分の居場所作りのためになるとは思っていなかったが。そしてそれもまたここへ来てひっくり返ることになってしまった。

 

 当然研究所のお偉方には元々アイシアが入所することや諸々のやんごとなき事情の全てが通っているので、多少名前や見た目は違っても中身がアイシアであるなら何の問題もない。当たり前だが誰にも言わなければいい。

 アイシアもそれ――身分や研究の支援後援――はそれとしてこの施設内での役職にあった対応をするようにお偉方には頼んであった。立場は絶対秘密で。

 

 アイシアがなんだか色々思い出して複雑な気持ちになっていると、ミロワールがおずおずと彼女に声を掛けた。

 

「ノ、ノワールは実家へ?」

「そう、ちょっと問題が起きて」

「……そ、そうなの? 大丈夫?」

「うん、まあー……うん。驚かせてごめん」

 アイシアが微笑むと、ホッとしたようにミロワールも笑った。

 彼女が他国出身で、自国に帰るのに転移装置を使っていて、それを自分のロッカーに仕込んであることは彼女の身近な者は皆知っている。

 そして兼業している者はアイシアだけではない。このミロワールもそう。

 彼は魔導具の核となる魔導石を取り出す仕事をしている。

 魔導石は鉱石のように採掘することもあるが、本来魔物と呼ばれる生物の器官の一部、いわば内臓である。魔物だからと言って絶滅するまで一掃してしまうと魔導石は取れなくなる。山や海、あらゆる土地には魔物の死骸が堆積されたものも含まれていて魔導石も化石と共に眠っている。それを探す採掘組と討伐した魔物から取り出す解体組がいるのだが、ミロワールはそのどちらの資格も持っているため多忙だ。

 

 この2人は、別部門同士だが非常に仲が良い。

 出会いはおよそ5年前、アイシアの研究室に魔導石を搬入してきたミロワールがアイシアが既に作りあげていた転移装置にあれこれと質問したことが切っ掛けとなる。

 ミロワールはアイシアのことを、女が、などと眉を顰めたりせず、何の垣根もなく飛び込んできた身内以外で初めての異性だった。

 

 ちなみに研究所内でも部門によっては老若男女の差が付けられるところはある。ノワール(アイシア)が商売人の出ということで下に見てくる者も多くいた。

 進歩的なショコラータ国の魔導研究所でもこう(・・)だ。

 いまだ女性とは家庭を守り子孫を産み育てるだけ(・・)が幸福と言われているスイツ国ではアイシアがやりたいことは父親の名前を使い、父親の庇護なくしては何も成し遂げられない。

 当然そういう国では異性間で親しいのもあまり褒められた事ではなく、幼馴染みであっても一定年齢を越えればある程度距離をおいて付き合うのが常識だ。

 

 だから息詰まるスイツ国を出て羽ばたけ、と父は一人娘なのに彼女の能力ややりたいことを応援して涙を飲んで外に出すつもりだったわけだが、結局スイツ国の堅固な金の檻に閉じ込められてしまった。

 

 ――だから諦めたのに。

 

 アイシアは隣を歩くミロワールをチラリと見やる。

『やだ話が合うー』から『あら気も合うわね』になり『えっ食の好みも似てる』と変化していく中で、時に対立してもすぐにまた仲直りできる彼に淡いときめきと、彼ほど自分を理解できる人はいないと思うようになるのは仕方ないことだった。

 

 そもそも女学院育ち、実家にも年齢の近いチェリのような男はいる。でも彼らは恋愛対象にはなり得ない。家族と言うには遠く、他人と言うには近すぎるせいだろう。

 恋愛免疫がゼロ、無重力(グラビティ・ゼロ)だ。

 婚約者と顔合わせできない間に、しっかり身近な男に初恋を捧げ乙女心爆発中だったアイシアは、彼をしっかり心の中の最上階に住まわせていたために、シフォンのことなど最初から押し売りセールスお断りと心を閉ざしてしまっていたのである。

 

 結果それで良かったとアイシアは強く思う。

 もしミロワールが心にいなかったら、シフォンに一線引くこともなく、あのスマートなデートを重ねて心を寄せていた可能性があった。今頃他に女がいると聞いたことで打ちのめされていたかもしれない。

 

 そのくらいには恋愛というものに初心(ウブ)晩熟(おくて)なのも自覚していたアイシアだが、これから彼女がやろうとしている一世一代の告白とお願いはウブでおくてとはかけ離れていることに気付いていない。

 

(とにかくミロワールに愛人のお願いをしないと! 利点も説明しなきゃ。えっと、ミロワールのお仕事は続けてもらえるし、愛人だとお手当ても出さなきゃいけないのよね? それに住まいは私の寝室になるのかしら。そうね、人に見られたら大変だもの……離宮でもねだってやろうかしら)

 頭に血が上っていたアイシアはすっかり忘れている。

 まだ最初の第一歩、告白がまだだということを。

 だからアイシアは直ぐにでも愛人になってとお願いしようと構えていた。

 

「――あっ、ミロワールは今時間大丈夫? ちょっと休憩室に行かない?」

「いいよ、ボクも話したいことあるし……」

 アイシアの提案にミロワールは猫背を更に屈めるようにして頷いた。

 

 休憩室には丁度誰もいない。開けた大部屋にはひとつひとつ仕切りで隔たれているテーブル付のブースがあり、一部は喫煙者用に全面隔離されている。

 2人とも喫煙しないので、彼女たちにとっては定位置となる端のオープンブースを使う。

 ミロワールがカップに飲み物を入れてアイシアの前に置くと、彼はおずおずと話し掛けてきた。

「今日、アイシアお化粧してる? えと、綺麗だね、その、いつも以上に」

「……あ! 化粧! 落とすの忘れて……ん?」

 アイシアはミロワールの言葉を反芻していた。

 

 ――綺麗だね?

 

 ――いつも以上に?

 

 ぼ、ぼん! と顔が熱くなるのを感じて、アイシアは思わず俯いてカップに手を伸ばす。

 小さなテーブルを挟んで向かい合うミロワールをカップに口を付けながら盗み見た。

 生憎彼の大きなミラーの色眼鏡と、猫背で垂れ下がる長い前髪のせいで表情はいまいち分からない。

 けれど彼がそんな見え透いたお世辞を使うことなんてこれまでなかった。

 

(く、口説かれているのかしら……)

 

 これまでの付き合いから女慣れしていないことは自分はおろか周囲も知っている。そのミロワールが女性を――アイシアを称賛するなんて。

 

(脈が、あると自惚れていいのよね? これ)

 

 ドキン! と大きく心臓の音がして、アイシアは思いの外強く痛むそれに驚いて胸に手を当てる。

 そしてそこでようやく大事な事に思い至った。

 

(え? ちょっと待って。私今から愛人のお願いをするのよね? 脈があるとかないとか……そもそも告白もまだな上に付き合ってもないのに、最初から愛人!?)

 

 本日何度目かの自分の気持ちを抑制する言葉を発したアイシアは、これからする発言内容の変更及び説明と同意を得なければ話が始まらないことに気付いて気が遠のいた。


【転移装置】

転移技を使う獣型魔獣などの魔導石を使用。

ボタンぽちーで設置場所に飛べる。指示棒みたいな見た目。2個で1set

分子レベルで細胞を作り直してうんたらかんたらするものではなく、物理的にホントに飛ばす。

アイシアが発明して量産を狙ったが、ミロワールと父親と所長の大反対で断念。悪用される方が多いのが懸念された。

便利は便利なのでミロワールには特別プレゼントした。


【アイシアは研究所ではお化粧しない】

魔導石はちょっとした事に反応しやすいので、研究所に来る時は化粧をしないようにしている。昔、厚塗りかました研究員のファンデーションがある魔導石と反応して爆発を起こしたという嘘みたいな話がある。

それを理由に面倒臭がって化粧をしていない。


       * * * * *



読んでくださってありがとうございます!

後編でおしまいです。

投稿予定時間は夜にしてますが変更あったらすみません。

※後編が入りきらないので調整中です!すみません

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