前編 お嬢様はやる気を出す
※地雷は仕込んでないつもりですが、念のためあらすじ参照下さい。
――花も恥じらう獅子の宝珠よ。
そうスイツ国内の貴族らから評される、アフォガート家の一人娘アイシアは、その呼び名に恥じぬ獅子の鬣のように美しく波打つ茶金の髪を動揺から大きく揺らした。
ぽかぽかと暖かい日光が降り注ぐここは皇宮内庭のさほど広くない場、アイシアの目の前には立ち上がって深く頭を下げている男のつむじが見える。
決して人前ではその頭を下げてはならぬと躾られているにも関わらず、惜しみ無く己の台風の目をアイシアに晒しているのは現在この国の次期帝となる皇太子シフォン、その人であった。
「あ、あの、おやめくださいませ、殿下」
アイシアが可憐な声を震わせおろおろとその席を立とうか立つまいか迷って身体を揺らす。その嫋やかな動きに合わせてぶわぶわと鬣も揺れる。
皇太子はその顔を上げた。
それはまさしく何事か強い決意を覆さぬと言った表情で、腰を折って頭は下げても矜持は折らずという風に強い光を眼差しに宿している。
「頼む、アイシア。白い結婚の許可を」
本日何度も聞いたその言葉に、アイシアは耐えきれず大きな溜め息を零す。
アイシアは答えられないまま、数分。この日の逢瀬の制限時間が来てしまい、皇太子側の侍従らに促され、自分の侍女と従者を連れて皇宮を後にした。
皇宮特別来客用駐車場から乗降場へと回されたアフォガート家の魔導車に乗り込んだ途端、隣に座った侍女が地獄の底から這い出すような恐ろしい声を上げて、アイシアはまた溜め息を零す。
「……唸るのはやめて。頭が痛いの」
「あのヤロウ、舐め腐ってやがりますね」
「言葉づかい」
アイシアは侍女を窘めるが、今度は前に座っている従者が口を開く。
「よくもまー白い結婚だなんて言えますよねえー。他に女を作ったから、そっちに操を立てておじょーさまにはお飾りで我慢しろだなんてねー」
「ちょっと、チェリまで」
「お嬢様はあんな腐れ○○○には勿体ないです! なんであんなのと結婚しなきゃなんないんですか! 時代錯誤も甚だしいってんですよ!」
「ウェハ、通常の会話には自主規制音なんて入らないのよ、気をつけて」
「おじょーさまが大人しいからあんな男に舐められてるんですよー」
「……今さらよ、チェリ」
アイシア・アフォガート22歳。
獅子の称号を持つ華族の家に生まれた彼女は、あの野郎、クソ野郎、あの腐れ○○○など不名誉な呼び方をされている皇太子シフォン27歳の婚約者でもある。
この国では貴・華・士の三族、商・農・平の三民に階級が別れていて、アイシアは華族に位置する。
貴族と華族にそれぞれ爵位もある。同じ呼び方をするため非常にややこしいのだが、貴族から言わせれば、貴族の公爵と華族の公爵では歴史的に大きな隔たりがある。
そのため華族は面倒くさがって家名に爵位を付けないで呼ぶ。華族のアフォガート公爵家、なんていちいち言っていられない。世間では家名だけでああ、あのおうちね! と理解できるのも大きい。
そしてそんな階級の一番上に立つのがこの国の皇帝陛下と皇族である。
その特権階級の頂点に鎮座ましましている皇太子シフォンとアイシアの婚約が成ったのは今から6年前、アイシアが女学院を卒院する年の事だった。
アフォガート家は商民との繋がりが深く近隣諸国とも技術提携していた。そのためアイシアは魔導石を使った便利グッズの開発に一枚噛んでやろうと、うっきうき、本当に遠足前の子供のように眠れない日々を卒院まで指折り数えて他国の魔導研究所への入所手続きを進めていたのである。
ところが。ところがである。
スキップどころか地に足が着いていないを正しく体現して、魔導石を仕込んだ気体噴出靴で駆けるように女学院から帰ってきたアリシアに、普段はにこにこ笑顔の父親が何の表情筋も動かさずに告げたのが婚約成立の一言であった。
「……は?」
まずアイシアは己の耳を疑った。次いで目の前にいるのは本当に父親であるかを疑い、最後に今いる世界が夢ではないかと疑った。
「ワタシ、マダ、ネル」
ショックでカタコト語になり、寝室へと向かう娘を執務室の折り畳み椅子にゆっくりと座らせた父親は、一枚の紙を手渡した。
そこには皇帝の御名御璽が光輝いていた。本当にぴかぴか光っている。
「わざわざ魔導インクで……」
「絶対成立させるとのことだ」
魔導石を砕いて、特殊な作成方法で作ったインクには『約束を違わせないゾ☆破らせないゾ☆』という傍迷惑な契約不履行防止効果がある。
あっ、こんな大袈裟な紙なんて偽物だよねッ! 破り捨てて見なかったことにしちゃえ、えいっ! という故意のうっかりや、えーそんな約束しましたっけ? という忘れん坊さんたちのために作られたのだ。
ちなみにこのインクを開発したのはアイシアである。強制力がありすぎるので一般には浸透させていない。
とにかくアイシアが父親を問い詰めてみれば、皇帝陛下に脅され泣いて縋られあわや監禁一歩手前というところまで行ったため、渋々了承したという。
裏でなんだかんだ言ってもこの国の一番お偉いさんである皇帝からの直訴を無下には出来ない。
こんな風にして当人たちの思いは全く蚊帳の外な婚約が結ばれた。当初の予定では女学院卒院後、1年間みっちり皇族のしきたりなどを学び、その後には結婚式を挙げる予定が組まれ、国内外に発表された。
だが!
遊学に出ていたシフォンは遊学先の情勢が不安定となり、2年経っても帰って来られなかったため結婚は延長された。帰ってきたのはそれから更に1年が過ぎてから。
しかも運の悪いことに前皇帝崩御による喪中だ、何だかんだと理由が付いて結婚が延び延びになり、とうとう6年もの年月が過ぎた。
その間、シフォンとは定期的にデートという名の近況報告会または腹の探り合いとも思える時間が設けられてはいた。
アイシアから見た婚約者はさすが皇太子と言わざるを得なかった。金のサラサラツヤツヤな髪は無駄にきらきらしく、甘いマスクに胡散臭い笑み、エスコートする動きもスマートで女慣れしている。婦女の流行を押さえたレストランやカフェなど隙がなくて嫌みったらしいったらない。
それなのに結婚の日取りだけが決まらないし進まない。
結婚適齢期は過ぎていて、やや嫁き遅れ感の出る年齢に足を踏み入れたアイシアはそろそろ婚約解消にならないかしらと常々思っていた。家では口にも当然出していたが。
さらに世間では思い出したように“今年こそご成婚なるか!? ”“婚約解消か続行か”などと年に一度は毎年恒例行事定期と話題に上る。
アイシアも彼女の父も、この6年折に触れ何度も婚約の解消を願い出ていたが全く通らない。
皇帝もそれをのらりくらりと躱していたが、やはり6年は重い。それでやっと何事かをシフォンとの間で話を付けたのか何なのかわからないが、これまで一分の隙もなかったシフォンが頭を下げてまで言い出したのが『白い結婚』の申し出である。
――大変申し訳ないが、自分には心に決めた女性がいる。身分が釣り合わず結婚が出来ないので、愛人にしたい。だから貴女とは白い結婚を――
人を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。アイシアはあの場で発狂するほど叫びだしたかったのを堪えた。
「――しかしお嬢様、なんで何も仰らなかったんですか? 婚約解消の良い口実になりましたよねえ」
「つい天秤に乗せちゃったのよ」
それを聞いて侍女のウェハがあらあらと呆れ、侍従のチェリがふーん、と鼻を鳴らした。
「婚約解消と白い結婚で、ですか?」
「そうよ。どちらにしても慰謝料だとか、契約違反での詫びってものがあるでしょう? 婚約解消だとこちらの旨味も少ないじゃない」
アイシアは現在も年に一度世間の話題をさらうほどには醜聞写真家に追われる立場である。
円満解消したとしても、おそらくアイシアが悪女であると叩いてくる。皇太子を悪くは言えないから。
悪女ならばまだ良い、ある種の魅力があるようにも感じる人間がいる。けれど『魅力がないから皇太子に捨てられた』と報じられてしまったら?
醜聞が消えるまで他の国へ逃げたとしても、恥は残る。あのクソ野郎が死ぬまでこの国の社交界には戻れないし、他国でも憐れまれて生きていく事になる。
アイシアを妻にしたい、パートナーにしたいという男はシフォンが再婚するまで下世話な輩に追い回されるだろう。
皇族がアイシアを逃した後の方が問題かもしれない。そもそも国内の有力貴華族にシフォンと年齢が合わずともアイシアより年若い娘たちは多くいる。
だがアイシアが6年も放置されているのをしっかり見てきている。アイシアを適齢期が過ぎるまで放置した上での解消はさぞや若い娘を持つ親たちのトラウマになることだろう。だからシフォンの再婚は壊滅的な可能性が高い。
あ、でも士族なら気にしない者も多いかも? でも身分的に難しい。となると、やはり愛人にしたい娘は民なのだろう。好きでもない下級を娶るなら好きな女とくっつく方が早いし、などと彼女の脳味噌は無駄にフル回転した。
だが白い結婚ではどうだろう?
白い結婚イコール離婚と言う考え方をする人が多いが、白い結婚とは結局偽装結婚のことだ。
いろんな偽装結婚の形はあるが、夫婦間で肉体関係を結ばず公務でだけ仲良くして、寝室ではお互い愛人と宜しくやれば良いのだ。ならば皇族としての後継者はあの男と愛人との子を出せばいい。アイシアにも子供が出来れば、表向きはシフォンの子として公に育て、後にアフォガート家に養子に出す。それならば後継者問題も解決する。
(え、ちょっと待って。私天才じゃないかしら)
その辺りをあの男に確認はしていないが、自分だけ好きな女とキャッキャウフフで楽しく人生生きてやろうだなんて虫が良すぎる話だ。アイシアだって愛し愛される結婚生活を送りたいのだ、愛する人と。何が悲しくて耐え忍ばなくてはならないのだ!と天に拳を向ける。
「そうと決まれば私もこうしちゃいられないわ! ウェハ、トランクを。チェリ、転移装置出して」
「おじょーさま、なんかやーな予感するんですけどおー」
今から愛人を必ず捕獲してやろうとやる気に満ちているアイシアはチェリのぼやきを華麗にスルーした。
【魔導車】
火山や魔犬から採れる魔導石などを組み合わせたクリーンエネルギーで走る車。
行き先はボタンひとつでセッティング。
運転手は不要だけど、万が一のためインパネに手動ブレーキボタンや緊急通報ボタンなど付いてる、安易な近未来イメージ。
公爵家の魔導車は流線型。定員10名リムジン程度の大きさ。もちろんアイシア専用。フルエアロフルスモークでいかちい。
【気体噴出靴】
空は飛べない。危険だから。
アイシアは自力改造でリミッター解除して使用している。
空は飛ばない。淑女だから。
温泉地や飛行竜などの魔導石を組み合わせて作られている。
【魔導インク】
不死者や曰く付き墓地で採掘される魔導石を組み合わせて作られている。
このインクが使われている書類は如何なる物理・精神・呪術・魔法攻撃に耐える。
契約書類であれば、契約不履行及び違反などがあった場合身体中が光輝きその場に縛られる。
簡単に言えば呪いのインクである。
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気分転換&恋愛描写練習です。
前中後編予定です。楽しんでもらえたら良いのですが。
たくさんある中から見つけて読んで頂きありがとうございます。
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©️2022-桜江