表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

暴力探偵ジム

サマータイムレコード

作者: 星野紗奈

どうも、星野紗奈です。


今回は「暴力探偵ジム」と同じ世界線のお話です。

元々これだけで読める短編として書いたものなので、知らなくても全然大丈夫です。

もし本作に登場するキャラクターに興味を持たれた方がいましたら、ぜひ「暴力探偵ジム」のシリーズものぞいてみてください。


また、この作品にはジェンダー的な話が少し関係してくるので、地雷の方はここでお戻りください。

なんでも大丈夫!という方のみ、先にお進みください。


それでは、どうぞ↓

 トレードマークの天使の翼を背負い、画面を飛び越え真直ぐに歌いかけてくる。

 憧れの彼女は、まさに天使だった。


「ははっ、ヲタクがまた歌ってるぜ」


 授業を終えカレッジを出ようとしたとき、そんな声がイヤホンの中の世界を阻害した。ちらりと目線をやると、数人の男子グループが予想通りの嘲笑を浮かべていた。僕はイヤホンを外し、額を伝う汗も気にしないで、耐え忍ぶように俯きながら早歩きした。

 僕が彼女に出会ったのは、ちょうどカレッジへの入学が決まった頃だった。やっと気が抜けるようになって、その時偶然知ったのが、海の向こうの桜殷島でメジャーデビューし人気になっているという彼女だった。デビュー直前のスキャンダルな噂を打ち消すほど真摯な態度と、そこから生まれる実力のあるパフォーマンスは、僕のことをあっという間に虜にした。隠さずに言えば、その日、僕は感動して一人号泣したのであった。

 彼女のファンとなった僕は、毎日彼女の歌声を聞くようになった。天使のように可愛らしくて、純粋な声。僕は何度も励まされた。

 しかし、それはいつしかファンとしての感情とは異なるものに変容していた。それは、決して恋情ではない。憧れだった。それも、皆を笑顔にする存在としての彼女ではなく、輝かしい女性としての彼女に対する憧れだった。

 それに気づいたのは、僕が彼女の歌を真似るようになったからだった。カレッジで人に笑われて、僕は初めて自分が彼女と同じように歌いたがっていることに気がついた。

 僕は歌うことを止められなかった。気をつけようとしても、彼女の歌を聞いているうちに、どうしても喉の奥からじわじわと熱がせり上がってきてしまう。歌いたくない、けれど聞きたい。しかし、聞いてしまえば熱には逆らえない。おかげで、僕はすっかりカレッジの笑われ者だった。

 カレッジから暫く歩いたところで、僕はまたイヤホンを耳にさした。クロッサムパークはそれなりに人が多く騒がしいから、万が一小声で歌ってしまったとしても、聞き取れる人などいるはずもない。

 しかし、そんな僕の予想は軽々と覆された。


「あっ、あの、お兄さん」


 また、馬鹿にされるのだろうか。僕は軽く息を吐いて堪える準備をすると、イヤホンを外して声の持ち主と向き合った。すると、そこにいたのは幼げな赤毛の少女だった。


「今の、ハニエルさん、ですか?」


 僕は、僕以外にこの物騒な町で天使のような彼女の存在を知っている人がいるとは思わなかった。驚きながらも、僕はこくと首を縦に振った。


「ハニエル、知ってるの?」

「詳しくはない、けど。グレイさんが桜殷島のお土産で、レコード買って来てくれて」

「そっか。そうなんだ」


 どうやら、少女は知り合いによって偶然彼女のことを認知したらしい。しかし、彼女のことを語りたいわけでもなければ、どうして僕に話しかけてきたのだろう。そう疑問に思っていると、少女は早速次の言葉を投げかけた。


「歌、好きですか?」


 ふさふさと赤毛を風に揺らされながら、少女は真面目そうな目つきで言った。


「歌? 聞くのは好きだけど」

「歌うのは、嫌、ですか?」

「……僕、上手くないし。君もさっき聞いただろ? 僕は彼女みたいには歌えないから」


 そう言って、僕は早々に話を打ち切ろうとした。すると、少女は小さな手で僕の服の裾をちょいと引っ張った。


「お話、だけでも。聞いてもらえませんか」


 少女の力はとてもか弱かったが、僕はどうしてかその手を振り払えなかった。

 少女に手を引かれてやって来たのは、開店前のクラブのようだった。名前は「パープルズ」というらしい。少女が扉を開けると、中には人がいたようで声が返ってきた。


「ただいま」

「おう、シオン。おかえり」


 カウンターで詰まらなさそうにグラスを拭っていたオレンジ色の髪を持つ青年は、少女を見ると安堵したように優しく笑いかけた。そして、後ろに立つ僕を見るなり、怪訝そうな顔をした。目の前の少女は青年の表情を見て、慌てて弁解する。


「えっと、シエン。この人は、私が誘ったの」

「誘った?」

「うん。あの、夏の、ステージ。まだ、決まってないけど」

「そういうことか」


 少女の話を聞くと、青年は軽く息をついて、顎でカウンターに座るよう僕に促した。多少怯えながらも椅子に座ると、少女は改めて僕に話をしてくれた。


「私、シオン・テイニー。こっちは、シエン・テイニー。兄妹で、ここのオーナー、です」

「なるほど。で、どうして僕なんかを連れて来たの?」

「おいおい、まだシオンの話の途中だろうが。遮るんじゃねえよ」


 僕が発した声に、噛みつくようにシエンがそう言った。シオンが宥めるとすぐに落ち着いたものの、僕はなんだかとんでもない所に来てしまったような気がした。だが、今更後悔しても仕方がない。僕はただ静かに息をのむしかなかった。


「あの、夏の間の、ステージの予定が空いていて。歌って欲しい、です」

「僕に? いや、さっきも言ったけど……」


 そう断ろうとして、僕は隣から感じる圧にゾッとした。案の定、シエンが僕の方を睨みつけていた。


「何があったか知らねえが、お前、シオンの言うことを疑ってんのか?」

「いや、そういうわけでは……」


 僕は目線を逸らしてながらそう答えたが、まだ納得していないようだった。


「シオンさんは、ハニエルの歌を歌っているのが珍しくって、僕を誘ったんでしょうけど……あいにく、僕は彼女みたく上手くは歌えませんよ」

「ハニエル? ……あー、グレイのおっさんが土産に寄越したあれか」


 シエンはカウンターで頬杖をつきながら、何かを思い出しているような仕草をした。彼がハニエルの歌を知っているというのなら、話は早い。改めて断りの返事をしようとしたところ、シエンが口を開きそうになったので、僕は急いで言いかけた言葉を飲み込んだ。


「まったく、何が『BGMにでも使ってくれ』だ。あのおっさんは雰囲気って言葉を知らねえのか?」


 回想にため息をついたシエンの様子に、僕はひっかかりを覚えた。すると、それを補うようにシオンが言った。


「私、さっきの歌、歌って欲しいわけじゃ、ないです」

「……え?」


 シオンの言葉に、僕は思わずポカンと口を開けた。何とか気を取り直して、僕は質問する。


「えっと……じゃあ、何を歌うの?」

「お兄さんの、歌」

「僕は歌なんか持ってないよ?」

「作るの」

「……作る?」


 シオンは目を輝かせて自信ありげに言う。僕はますます意味がわからなかった。シオンが突き進もうとしている中、シエンはただそれを親のように見守るばかりで、助け船を出してはくれなさそうである。僕は、この人が敵に回らないだけましなのかもしれない、と思うしかなかった。シオンは再び口を開いた。


「ハニエルさんの歌は、ここには合わない。お兄さんにも、合ってない、です」


 突然貶されたことに、僕は余計混乱した。しかし、シオンがあまりにも芯のある目で見つめてくので、僕は口をはさむのをやめておいた。


「でも、お兄さんとここは、とっても相性がいい、と思います」

「……なるほどな」


 シエンはだらしない姿勢から起き上がって、僕を値踏みするように一通り眺めた。そして、シオンの言葉に何か納得したようだった。


「あー、こっちからスカウトしてるわけだからな。もちろん真っ当な給料を払う。だから、ここは妹の顔に免じて、やっちゃくれねえか?」


 シエンがそう言うと、シオンも慌てて「お願いします」と頭を下げた。僕はそれでも少し悩んだ。すると、シオンがこちらを見ていない隙に、シエンが僕の耳元に口を寄せてそっと囁いた。


「カレッジのサマーホリデーは、案外暇だろ?」


 それはもう、断るに断れない、言外の脅しと言っても過言ではなかった。

 こうして、僕はサマーホリデーの間だけこのクラブの雇われシンガーとして働くことになった。給料のあれこれが見かけによらずしっかりしていたことが、僕の譲歩の決定打だった。何せ、「人が歩けば死人に出会える」でお馴染みのこの町では、カツアゲなんて日常茶飯事なのである。つまり、金はあるに越したことはないのだ。

 あの正反対な性格を持つ兄妹と約束した数日後、僕は再びクラブを訪れていた。彼らと会うのは、これで二度目である。


「こんにちは」


 扉を開けると、朗らかな笑顔が向けられる。僕が席に着くと、シオンは赤毛をぴょんぴょん跳ねさせながら、水を注いだグラスを二つカウンターにのせた。


「シエンさんは?」

「今は、買い出し、です。ジムさんに、会いたくない、って」


 僕は新しく出てきた人物に首を傾げた。もしかしてその人もこのクラブの関係者なのだろうか、と考えたところで、ドアが開く音がした。


「よーう」

「ジムさん!」


 入ってきたのは、ピンクブロンドの長髪をなびかせる少女だった。シオンよりかはいくらか年上に見えるが、それでも僕からしたら子どもであることには変わりない感じがした。


「珍しいシオンの頼みだからな。ほら」


 ジムと呼ばれた少女は、懐から一枚レコードを取り出すと、それをシオンに渡した。察するに、あれが僕が歌うことになる曲なのだろう。


「ジムさん、ありがとう」

「いんや、こんなの朝飯前だから気にすんな。ところでシエンは?」

「今、買い出し中」

「何だよ、あいつ逃げやがったな? せっかくからかってやろうと思って直々に来てやったのに」


 ジムは軽く舌打ちすると、ふと僕のことを見つけたようだった。


「何、シオンがスカウトしてきたのってこいつ? ふーん」

「な、何でしょう……」


 突然近距離に詰め寄ってきたジムは、遠慮なくじろじろと僕の方を見つめてきた。どうしたらいいかわからずに固まっていると、暫くしてふっと離れた。


「ま、シオンが言うんなら間違いないだろ」


 ジムはカウンター席にとすっと音を立てて飛び乗り、片肘ついて僕がまだ口をつけていなかったグラスを奪った。


「今流すから、聞いてみて?」


 グラスを奪われたことに呆然としていると、シオンにそう声をかけられた。僕は少し慌てながら、シオンの方を向いてこくと頷いた。ジムに目を戻してみると、優雅にグラスを傾けながら、楽しそうに目を瞑っているようだった。

 数秒の沈黙の後、曲がゆっくりと流れ始めた。落ち着いた低音の上をピアノの音が転がり出すと、やがてジャズシンガーのような歌声が響き出した。どうやら、これはデモ音源らしい。だからこそ、僕は確かめなければならないことがあった。


「これを、僕が歌うの?」


 シオンは僕のつぶやきに対し、しっかりと首を縦に振ってみせた。


「これ、女の人の曲、だよね?」


 改めてそう尋ねるが、シオンは何がおかしいのかわからないといった様子で、こてんと首を傾げた。


「嫌?」

「嫌っていうか……」


 僕が続けようとした言葉を遮りながら、ジムはしかめっ面になって言った。


「なんだよ、私の曲に文句があるのか?」

「いえいえいえ! と、とっても素敵な曲です。でも、僕は男で、歌っているのは女性で……」

「そうごたごた言うなよ。私はお前が歌えない曲なんてかいてねえぞ」


 ジムはため息をついてカウンターに背を預けた。


「ハニエルの歌が歌えるなら、これぐらいの音域は余裕で出る。シオンから聞いていた体格の情報と照らし合わせても、お前がこれを歌うのはそう無理な話じゃない」

「だけど、こんなに上手に歌っているのを聞いたら……僕なんかよりその女性に歌ってもらう方が良いに決まってるじゃないですか」


 僕が自信なさげにそう言うと、ジムはあきれ顔で吐き捨てた。


「嫌だね。誰が好きで見せ物になるもんか」


 ジムの言葉の真意を理解したとき、僕はひどく間抜けな顔になったに違いない。僕が今目にしているジムの態度や言動とあの歌声が、どうしても頭の中で一致しなかったのである。僕の心境を察したのか、ジムはまたため息をついて話を再開した。


「私は探偵だ。あいにく小銭稼ぎで見せ物になれるほど暇じゃないんでね」


 やれやれと首をふるジムの発言が信じられず、僕はばっとシオンの方を向いた。シオンはただこくこくと頷いて、それが真実だと証明するばかりだった。そんな、作詞作曲歌唱ができるのに本業は探偵だなんて、この人は一体何者なのか。


「お前が男だから歌えないってんなら、女になっちまえばいいじゃねえか」


 僕が混乱しているところへ、ジムはさらなる爆弾を投下してきた。


「お、女になるって。僕は彼女みたいに可愛くないし……」

「ハニエルハニエルうるせえな。お前は適材適所っつーもんを知らねえのかよ」


 ジムの苛立たし気な声に、僕は愚痴をはくのをピタリと止める。


「シオンが前にも伝えたらしいが、ハニエルはこのクラブには合わねえ。お前にもハニエルは合わねえ。それは周知の事実だよ。だから、お前がなるのは、このクラブに合う女だ」


 どうやら僕は、憧れの彼女の姿に執着しすぎているらしい。


「あいつとお前じゃ、持っているものも、生活している場所も違う。そもそも、目指すべき女性像が違うんだよ。それとも、お前は彼女のドッペルゲンガーでも目指してるのか?」


 自分より年下とは思えないジムの貫禄ある言葉に、僕はぐっと息をのんだ。今まで見て見ぬふりをしてきた痛いところを突かれ、胸がきゅっと痛む。僕には、僕らしい女性として立てる場所があるのだろうか。


「イチカ」


 ジムは煙草の煙を吐き出すような感じで、そう呟いた。


「あいつを全世界の天使とでも表現するなら、お前は一夏限りの亡霊みたいなもんだ。まあ、あの呑気な島の天使をこの物騒な街に置き換えるわけだから、亡霊くらい物騒な存在で丁度いいだろ」


 ジムはそう説明すると、挑戦的な目線をこちらに向けてきた。僕は声を震わせながらも、小さく「イチカ」と呟いてみる。その響きがなんだか妙にしっくりきた。今度はもう少しだけ力を込めて、その名前を呼ぶ。すると、僕は喉元に今までにない程の熱を覚えた。僕がはっと顔を上げると、その表情の変化を観察していたのか、ジム満足げな笑みを浮かべていた。全てを見透かしているかのようなジムの存在に、僕は恐怖すら覚えそうだった。


「まさか、私の作った歌が歌えない、なんて言わねえよなあ、イチカ?」

「……やります。イチカが、歌います」


 そう宣言したあの日から、僕は少しだけ変われたような気がする。ジムさんは相変わらず万能な人で、ウィッグにドレスの用意、それからレッスンまで、短い期間ではあったが僕の面倒を最後まで見てくれた。初対面の時は、シエンさん以上に危ない人に出会ってしまったかも知れないと内心冷や汗をかいていたのだが、僕の準備に付き合うジムはどこか慈愛が垣間見えるようだった。

 暗闇に包まれている会場内を、ステージから眺める。シエンは絡まれない限りは黙って仕事に勤しんでおり、ジムは面倒ごとを嫌ってもうここにはいない。さらに目を凝らしてみると、カウンターで静かに酒を飲んでいる人、座り込んで豪快に肩を組み合っている人、泥酔して床に寝ころんでいる人。見渡す限り、この街の治安の悪さを凝縮したような景色だった。でも、それが僕の生活している街に違いなかった。

 やがて視線が流れると、バックステージのシオンと目が合った。シオンがふわりと僕に笑いかけてきた時、僕は何故か彼女の真白な翼と光る輪が見えたような気がした。

 軽く息を吸い、吐き出す。それを何度か繰り返した後、僕はシオンに向かってしっかりと頷いてみせた。それを合図に、僕はスポットライトに照らし出される。

 今まで知らなかった長い髪に、初めて纏う体のラインを美しく見せるドレス。マイクを持つ手はもう震えないし、背筋もしゃんと伸び切っている。この姿の僕が客の目に映るのは、この光を浴びている間、この夏の間だけだ。


「初めまして、イチカです」


 これは、僕の中にすむ、一夏の亡霊の歌の記録である。

最後までお読みいただき、ありがとうございました(*'▽')

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ