藤見新菜の異世界召喚②
――私は、どこで間違えたんだろう。
ぼんやりとした意識の中でそう思った。私じゃない何かが、私を突き動かしている。でも、今はそれがむしろありがたかった。
だって。偽物の「聖女」を追放したのに、「魔王」を倒したのに、砦は魔物であふれてしまった。ネフィは王子様なのに逃げ出した。私は「神の落とし子」なのに、最強じゃなかった。
勇者なんかじゃない。ラノベなんかじゃない。「ステータス」が見えても、「鑑定」が使えても、「魔術」をぶっ放せても、ゲームじゃない。これは現実だった。
だったら。こんなつらい現実だったら、信じていた王子様に騙されるようなひどい現実だったら、私はあのとき死んじゃったほうがよかったのに!ホームに落ちて、それでおしまいだったらどんなによかったか。痛くて、つらくても。それが私ひとりだったら。
結界に魔力を注ぐ。そうしないと魔物が襲ってくるから。私がやらないと、たくさんの人たちが消耗して動けなくなってしまう。ろくな建物すらないこの不毛の土地で、それがどれだけ酷なことか私は考えたことすらなかった。
だって町はいつもきれいで、お風呂やトイレに不便なんかしたことなくって、歯磨きだってドラッグストアに行けばよかった。着るものに迷うことはあっても困ったことなんかないし、食べるものだってそう。寝る場所もいつも静かなベッドだった。
こっちに来てからも、ネフィの隣で不便があったことはない。でも、今のネフィはもうだめだ。あの「聖女」を追放したときから、おかしくなった。
あの「砦」が落ちたとき――いったい何人の人が犠牲になったのか。それを指摘されると恐ろしい。ネフィの言ったとおりに動いて、私は何も考えていなかった。この力は、ネフィのためにあると思っていたから。
でも、それが間違いだった。
私、間違えたのはあの「聖女」を追放したからじゃない。
ネフィに、この力を委ねたのが間違いだった。
少し考えてさえいれば、最初からネフィに「鑑定」も使ってたはずだった。そうしたら、気づけたはずなのに。
いつもそう。お兄ちゃんにも調子に乗るなって、ヘンな男に騙されるなって口うるさく言われていたのに。今になってこのことだって気づく。
あの「聖女」だって、死んじゃえって思ったけど、死んでほしいわけじゃなかった。目の前からいなくなってほしくて追放した。その結果なんて考えてなかった。どんな怖い目に遭うか、想像もできてなかった。
今はその恐怖が目の前にある。私がやらなきゃ死んでしまう人たちがいる。
だから、「聖女」が命令したとおりに、私が動いてくれれば楽だった。私は考えなくっていいから。ずっと、ここに魔力を注ぐだけ。
簡単じゃん、私だって間違えなくってすむよ。誰かを傷つけたり、誰かに騙されることなんかもうないよ。
――でも、それだけじゃ、ダメなの?
「はあ、はあ……」
「ニーナ様!」
私はネフィを見下ろしていた。ネフィのお付きの人が私を呼ぶ。その声には安堵がにじんでいた。
「聖剣」を奪い取ろうとしたネフィ。気づけば光魔術で拘束して、地べたに転がしていた。だってこれがないと結界が保てない。これを抜くなんて、許せない。
「ニーナ!わた、私に『聖剣』をよこせ!私は、砦を、砦を取り戻さなければ……」
「ネフィのバカ!」
力いっぱい怒鳴る。こんな大きい声出したことなんかないってくらい。あ、でも昔、喧嘩したときお兄ちゃんに同じようなこと言ったかもしれないけど。
「ネフィが『聖剣』を持ったところでどうなるの?!あの数の魔物に勝てるの?!」
「わ、私は、砦を……砦を取り戻さなければ、王位が、私は王になる男だぞ!」
震える声でわけのわからないことを言うネフィに、だんだん腹が立ってきた。
「王になる前に死んじゃうんだよ!意味ないじゃん!なんでそんなこともわからないの!」
「ニーナ……わ、私は、王に……」
「やだよ!死んじゃわないでよ!絶対に許さないんだから!」
ネフィが私を騙してたのはもうわかった。でも、それでも、私はネフィが死んじゃうのが怖い。ネフィだけじゃない。ネフィのお付きの人たち。顔を覚えてしまった兵士たち。誰も、死んでほしくなんかない。
「ねえ、……フラーウ。ブルーノ。ネフィをテントに戻して」
「ニーナ様……」
「ネフィを守らなきゃ。そうでしょ?」
「はい、仰せの通りです」
ネフィのお付きの二人は頷いた。二人がどうしてまだネフィと一緒にいるかはわからない。でも、ネフィを見捨てていない人たちだ。
ネフィが言っていることが正しければ、ネフィは砦を取り戻さないと王様になれない。だからきっと必死になっている。それにしても変なのは、「聖女」がなんかしたんだと思うけど。ウィリディス・マティスでの出来事は、正直最後のほうはよく覚えてない。
私は――ネフィのためじゃなくっても、砦を取り戻したい。そうすれば、少しは償いになる気がした。この世界の私のマイナスが、ゼロに近づいてほしいって思う。意味があるかはわからないけど、そうじゃないと私はここを離れられないと感じた。
ネフィは何回か「聖剣」を抜こうとしたけど、その度にみんなでなんとか阻止した。最終的には行動を制限する枷を光魔術で作って、なんか囚人みたいになっちゃったけど。そのころには、私じゃない何かはもうあまり私を突き動かさなくなってきた。
少しだけ、考えることができる。騙されないように、間違えないように。砦を取り戻すために。
さいわい、私は「鑑定」が使えて、魔物の情報を知ることができた。街で買い物に使ってたときには考えつかなかった使い方だ。でもよく考えたら当たり前の使い方。そんな簡単なことも思いつかなかったんだって自分でも思う。きっと私の「ステータス」にあるスキルもいろんな使い方ができるんだろう。
考えて、少しずつ知らなきゃいけない。自分の武器と、戦いかた。そうして砦を取り戻す。
まあ、ネフィもそのころには元に戻ってるかもしれない。そしたらネフィは王様になれるわけで、私は――。
「本当に、元の世界に戻れないのかな」
元の世界に戻れないというのはネフィに言われただけだってことを思い出す。ネフィが私を騙してたのなら、それが嘘ってこともありうるよね。
じゃあ、元の世界に戻る方法を探そう。またお兄ちゃんに会うんだ。
お兄ちゃんは私がやったことを怒るだろう、詰るだろう。どうしてそう考えなしなんだって絶対に言う。
――でも、最後には頑張ったなって言ってもらいたいから。
そのためになら頑張れる。私はそう思って、顔を上げた。
目の前にはまだ、魔物たちが群れていた。
※新菜ちゃんは元の世界には帰れません