従魔の不安
焚き火から細く煙が上がる。パチパチと小さくはぜる音はなんとなく落ち着いた。
「魔剣の炎って便利ね」
そう、この火はフェルドの魔剣の火だ。普通に熾した火や、魔術で着火した火よりも魔物避けの力が強いらしい。
「まあね。君のスキルほどじゃないけど」
「私?」
「『魅了』だよ。君がいなければここまであっさりテラ・ヴェナ・ニムの毒を採取することはできなかった」
私の「魅了」を一番警戒していたフェルドにこんなことを言われるなんて思わずびっくりする。
「そ、そう?」
「魔剣の力もいつもの数段上だった。慣れは必要だけど、強力な魔物と戦うには有用すぎる力だよ。それに――」
フェルドは言葉を切って俯いた。ぐるぐるとかき混ぜる鍋からいい匂いがたちのぼるから、私は早く食べたいなあと考えていた。お腹すいた。
「数段上の力を体験できる、というのは、うん、ヤバい」
「は?」
「イメージ通りの動きができるんだ。なるべき姿が明確になるだろう?ヤバいよ。補助してもらっているとはいえ……補助なしでどうすればいいか考えなくちゃいけない。でもイメージがあるんだからわからないままより遥かに楽だ。こんな楽できていいのか?」
「……」
ブツブツなにか言い始めたフェルドに私は呆気に取られた。イメージがどうこう言われたことないけど、何がそんなに嬉しいのかしら。
「あら、フェルド。お鍋を焦がさないでちょうだいね」
「わかってる」
「ステノさん、フェルドの話は聞き流していいんですよお。こうなると長いのですもの」
「そうなの?」
私の手伝っていた野菜の皮剥きも終わったので、さっさと離脱することにする。
「あれはどうしちゃったの?」
「フェルドって結構強さを追い求めるタイプで。昔はそうじゃなかったんですけど〜、魔剣を手にしたら人が変わっちゃったのねえ」
「へえ?魔剣使いは大変ね」
よくわからないけど放置でオッケー!お鍋はロサも見てくれてるっぽいし。
ウィルはまだ治癒中なので、私は見張りをしてくれるルーの元へ向かった。ぐるぐると落ち着きなく歩き回っているルーはちょっと珍しい。
「どうしたの、ルー?」
「グゥ……」
声をかけてもなんだか様子がおかしい。もしかして周りに魔物がいるのかしら。
そう思っても私では何も感知できなかった。そっとルーに触れてみると、なんとなく気持ちが伝わってくる。これは――不安?
「近くに何かいるの?」
「ゥワン」
「違う?ならいいんだけど……でもどうしちゃったの?嫌な予感でもする?」
口に出すと私もちょっと不安になってくる。今このメンツで一番強いのは多分ルーだから、ルーがこんなになる魔物なんてはたして敵うんだろうか。
「……ルーは強いから大丈夫。私もついてるわ」
そんな不安は、こういう場所では一番抱いてはいけない感情だ。傲慢になるのはいけない。警戒を怠ってもいけない。でも勝たなければならない戦いにおいて、負けるかもしれないと思ってはいけない。
砦で何度も経験したことだ。特に私は聖女だったから、いつだってそんな不安を見せてはいけなかった。私がいるから勝てると、常に思わせなくてはならなかった。
そう「魅了」をかけると、ルーは少し落ち着いたみたいだった。でもとりあえず報告はしないと。
焚き火の元に戻ると、ウィルもテントから出てスプーンを握っていた。
「大丈夫?」
「スプーンくらいなら持てる程度に回復した。そろそろ食事だ」
「それはよかったわ。でもその前に一個報告。ルーの様子がちょっとおかしいのよ」
「……僕の索敵にはなにも引っかかってねえな」
「魔物が近くにいる感じじゃないのよね。でも不安がってるというか……」
「それは妙だな」
ウィルも眉根を寄せて考え込む。そして何か閃いたように顔を上げた。
「ルーはもともと『死の地平』の魔物だろ。しかも一匹で行動していた」
その言葉に初めて会った時のことを思い出す。そう、ルーはその時からひとりだった。
「ルプス・グランディスに限らず、狼系の魔物は群れで行動する生態だ。はぐれルプスは基本的に群れから追放された個体だから、要は群れの足手まといなんだ」
「足手まとい?」
ルーが足手まとい、というのが想像つかずにそう声を上げてしまう。だってルーよ?あんなに強いのに、足手まといなんてことある?
「今のルーが強いのは君の従魔だからだろ。従魔契約をすると主人の強さによって能力が向上するのは当然だ」
「それは『魅了』で……」
「『魅了』もそうだが、君は僕より魔力が高いんだ。僕を差し置いてカランディーエに襲われるくらいな」
言われてみればそうだった。魔力を高いものを狙うカランディーエがウィルではなく私を襲ったのだから、魔力だけ見ると私の方が上なのだ。
「つまりテイムできたのも、『魅了』のせいもあるけど私がルーより強いから、ってこと?」
「普通に考えればな。ルーの様子がおかしいのは彼が元いた群れの気配を感じてんじゃねえのか」
「うーん」
その可能性はある……のかな?ルーが足手まとい、つまり弱い個体だったというのが納得いかないけど、ウィルはそれで話を切り上げてしまった。
まあ、実際群れに出会ってみないとわからないかもしれない。ルーがあんな調子だから本当に会っちゃうのかも。そしたらどうなるんだろう?
会ったらきっと戦わないといけない。なら、勝たないと。
そう、これは勝たなきゃならない戦いだ。だったら、私のするべきことは変わらない。
群れから追放されたのなら、私はちょっとルーの気持ちがわかる気がした。私もあの野郎に会ったらどうなるかわからないし。
でも勝たなきゃいけないのはわかる。絶対舐められちゃダメだ。あの時のような屈辱を、二度と味わってなるものか。
「ステノ嬢、ルー君、食事だ」
フェルドに呼びかけられて私はルーの方を向く。ゆっくり歩いてくるルーに私はまた笑いかけた。
「大丈夫。私がいるから」
絶対負けないわよ。たとえルプス・グランディスが束になってかかってきてもね!