「魅了」は「罪」になりますか?③
「魅了」の力が一番発揮されるのは目を見て声をかけた時だけだけど、声だけでもある程度は届く。「魅了」を使った応援は如実に兵士たちの力を底上げした。前線に出る兵士たちに、戦い傷ついた兵士を癒す治療部隊に、疲れ切った補給兵たちに、私は「魅了」の力を使い続けた。
「まさしく『聖女』だな、君は」
司令官はそう言って笑った。私の価値を認めたその人は、私のことを守ってくれた。働きすぎないように、兵たちが私に頼りすぎないように。だから打ち明けたのだ、自分のスキルが「魅了」であることを。
司令官は難しい顔をして額に手を当てた。そうだろう、聖女らしい力ならどれほどよかっただろう。でも私が持っていて、使っているのは「魅了」なのだ。
誰にも言ってはならない、と司令官は言った。だから王子が砦に来た時も、私は何も言わなかった。
「お前が砦の聖女か!その功績は聞き及んでいるぞ。いい心がけだ、そのまま励めば我が妃にしてやってもよい」
そう言われてポカンとした。私は平民だ。王子の妃になりたいなんて思ったことはないし、頼んでもない。彼のためにしているわけでもない。
「殿下!お戯れを。彼女は聖女とはいえ平民ですよ」
割って入ってくれた司令官の背後に隠れようとする。けれど王子はその言葉をせせら笑うだけだった。
「平民だからなんだ、成果を上げたものに褒美を与えないのでは問題があろう。我が妃という最高の名誉を与えてやろうというのだぞ?」
「名誉?馬鹿げたことを。あなたは何もわかっていません。何より聖女ステノがいなくなればこの砦は崩壊するのです」
「はは、わかっておらんのは貴様の方ではないか。辺境の木端兵士などよりもよほど強い、選りすぐりの兵士たちを連れてきた。聖女ステノと彼らの力があればこの地の制定など容易なことよ!」
王子が私に向ける視線が忌まわしい。私は容姿を褒められることが多かったから、その視線がどういうものかもわかっていた。司令官がいたから兵士たちに乱暴をされたり、そういうからかいをされることもなかったけど、この王子は違う。
自分の身が危ういことを直感したが、できることはほとんどなかった。司令官は挨拶をする暇もなく砦を追われてしまい、王子の側近とかいう人が新しい司令官になった。そうすると今までの統率はがらりと変わって、ギスギスしたり乱暴をする人たちが増えてきた。王子の「選りすぐりの兵士たち」が幅を利かせるようになり、見知った顔はどんどん少なくなっていった。ほとんど入れ替わったのではないかと思う、だいたいこの砦は「流刑地」とか言われてたのだから追い出されるなら逃げたんだろう。逃げられなかった私以外は。
王子は常駐とはいかないが、度々この砦を訪れて私に気持ち悪い視線を送り結婚を迫るようになった。王子はなんとか言葉で躱したけどストレスが凄まじく、誰かに頼りたかったけどそんな相手もいない。司令官とは違って朝晩関係なくこき使われるから体調も悪くなっていった。
そんな時だった。
「殿下はお前のような平民を目にかけて下さっているのだぞ、応えないとは生意気な女だな。それとも自信がないのか?なら俺が教えてやろう」
新しい司令官と二人きりになったのがいけなかったのだろうか。そう言った男に腕を掴まれてソファに押し倒された。何が起こったのか理解できずに瞬いて、私の服を乱暴に暴こうとしてくる手にようやく我に返った。
「なっ、何を、やめてください!」
「暴れるんじゃない!」
「いやっ!やだ、やだ、やめろって言ってんのよ――!」
怖くてパニックになって、私はほとんど無意識に「魅了」を使っていた。
男の動きがぴたりと止まり、恐る恐る見やると虚な目はどこも見ていないようで息を呑んだ。
「ど……、どきなさい」
命令すると男はその通りに動く。私は急いでソファから退いて、服を整えた。心臓が早鐘を打っていて指先が痺れるほど冷たい。
恐ろしかった。襲われたことも、何より自分の力の異常さも。
「私が出て行ったら今起きたことは全部忘れて。いいわね」
告げると男は頷く。私はとにかく必死で、部屋から出て走って自室へ向かった。
忘れてなかったらどうしよう。「魅了」を使ったことがバレたらどうすればいい?追い出されてしまうかも。そしたらどうやって生きればいい?
とにかく焦って身の回りのものを袋に詰めた。でも数年間過ごしたはずのこの砦で、私が持っているものはほとんどなくて唖然としてしまった。
それもそうだ、砦から出ることなんかなかった。行商の人にちょっとした小物をもらうだけで、それも小さな箱に収まるくらいの量だ。前の司令官がいた時に余暇が与えられたら本を読んで過ごしてもいたけど、ここにある本はほとんど魔物を倒すための資料で娯楽本ではない。
もしバレたら、このほんのちょっとの荷物を持って出て行こう。ここに思い出はもうほとんどない。そう思うと少しだけ気が楽になった。
結論から言うと、その一件で私が「魅了」持ちであることはバレなかった。だからその後も、襲われそうになったら「魅了」で撃退していた。そうやって治安が悪くなった砦でもなんとかやっていけた。
しかしまさか「スキル鑑定」持ちがやってきて看破されて、言い訳も何もさせてもらえないまま「死の地平」に追放されるとは思わなかった。昼夜も関係なく、無事だったとはいえ男たちに何度も襲われて恐ろしくて職場に行くだけでストレスで吐いて、それでも身を粉にして働いてきたというのに。
絶望した私に影がさす。顔を上げると、そこには大きな狼に似た姿の魔物がいた。背後の城壁を破ることはできないだろうが、私を一撃で殺すことなど容易だろう。
……ここで、死ぬのか。いいようにこき使われ、冤罪をかけられて追放されて。「魅了」を使っていたけど、王子にかけたことなんかないし男を侍らせたことだって一度もない。勝手に連れてきたのはそっちのほうだ。最初に私を庇護してくれた司令官はともかく、ほかのやつらのためになんか働かなければよかった。
沸々と怒りが沸いてきた。グルル、と唸り声を上げる魔物を睨みつける。
「動くなっ!」
力を込めて、スキルを発動する。魔物相手に「魅了」を使うのは初めてだったけど、効果は抜群だった。
ぴたりと動きを止めた魔物はそのまま私を見下ろしてくる。えーと、この後はどうすれば……。とりあえず犬にするように「伏せ」と命令すると、狼の魔獣はそのまま脚を折って地面に伏せた。
「『魅了』は魔物にも効く……」
でもこの強さの「魅了」は一対一じゃないとダメだろうなあ。とはいえ、強力な魔物を動かなくさせられるというのは大きい。この「死の地平」を生きて抜けることができる可能性がグンと上がった。
正直もうこの国のことはどうでもいいし、生きてることがバレたら面倒だ。だから別の国に行こう。「死の地平」に接しているのはうちの国だけではないから国境から入ることもできなくはないだろう。
「あなたはルプス・グランディスかしら。私の言うことをどこまで聞くのか試させてもらうわね」
ルプス・グランディスはこの「死の地平」では大きさこそはそこそこだが、集団で狩りをする厄介な魔物だ、と本で読んだ。知能も高いから集団を全滅させるのが厄介なのだと司令官も言っていた。
どうして一匹でいるかはわからないけど、私にとっては都合がいい。伏せ以外にも走らせたり触ってみたりして、最終的には乗って移動することにも成功した。私が振り落とされるから、ルプス・グランディスは早歩き程度の速度しか出せないけどそれでも歩くよりはマシだろう。
魔物を飼い慣らすことのできる「テイム」のスキルと似たような効果が発揮されているっぽい。砦にもテイマーはいて、この辺りの強力な魔物を飼い慣らすのはかなり大変と言っていたけど「魅了」なら簡単だった。つくづく恐ろしいスキルだ。
「よしっ、行くわよ!」
「グルッ」
返事をしてルプス・グランディスが歩き出す。私が追い出された砦は、あっという間に見えなくなった。