ネファライティス王子の誤算・前
アウルム王国には王女がいた。
王女とはいえ賤しい生まれの娘だ。アレが王女などと片腹痛い。何かに使えるかと生かしておいたが、長じるにつれて目障りになった王――王女の兄は、その娘を戦場に放り込んだ。
まだ年端も行かない、戦場に立つ誰よりも若いような娘はすぐに死ぬかと思われた。そうすれば少しは士気が上がるだろう、王女を殺した国を憎むよう扇動すればいい。民草は愚かで単純だ。高貴な血筋の貴族と違って簡単に操れる。
その計算は、王女が死ななかったためにうまく行かなかった。王女はどんな劣勢からも帰還した。どれだけ危機的な状況に陥ろうと、負け戦であろうと生きて帰り反撃に転じた。奇襲を使い、無様でも逃げ延び、時には天候すら味方につけた王女は全ての敵を討ち果たした。王が気づいた時には、「勇猛姫」と民の間で持ち上げられていたほどだ。
慌てた王は王女を「砦」にぶち込んだ。先のない、「死の地平」を治めるためにただ人が死ぬだけの場所。この砦は無謀なことだったと周辺諸国や国内の口うるさい貴族に口撃の材料にされるわけにはいかなかった。だから撤退はできないが、かと言って使える者を入れるのも勿体無い。王女に指揮を取らせるためだけの場所に違いなかった。
王の期待通り王女は手こずっていた。しかしあるとき、王女を支持する愚かな貴族によって「聖女」が秘密裏に砦に連れていかれた。その聖女の働きにより、砦の戦果は著しく変わった。多くの者が犠牲になっていたのがほとんど生き残るようになり、すると人員不足が解消され、じりじりと支配する領域を広げることとなった。微々たるものだが、それでもあの場所で戦果を挙げられたものは初めに砦を建てた先代の王しかいない。それに匹敵するとなると、看過していられなくなった。
ネファライティスが再度活性化したウィリディス・マティスの戦線で卑怯な奇襲に遭い、今度こそ停戦条約を結ばざるを得なくなったとき、思い出したのがこの王女――アガーテ王女だ。自分がこのような辛酸を舐めさせられているときに華々しい戦果を挙げるなどと許されることではない。そもそも聖女の功績なのだから、ネファライティスが砦の指揮官になったとしても同じことができるはずだ。
ネファライティスは武功を挙げることはできなかったが、二つの才能があった。
一つは、その口の上手さだ。父王が唯一の後継者であるネファライティスに甘いことを差し引いても、どんな要求でも通せる自信があった。例えば、アガーテ王女をウィリディス・マティスに嫁がせる、という提案だ。実際、即位して五年以上経つというのに子供の一人も生まれていないウィリディス・マティス王には付け入る隙があった。現王妃を廃しアガーテ王女を後妻とするのは叶わなかったが、王弟妃にねじ込むことができたのだってネファライティスの交渉の手腕だった。
もう一つは、その顔の美しさだった。ネファライティスはどんな女でも落とせる自信があった。口の上手さと顔の美しさ、そして権力。数多の女をたらしこみ、時には閨に連れ込み、そうして政治に必要な情報を引き出していた。どんな男であろうと周りには女がいるのだ。政敵の箱入り娘などを散らしてやるのはネファライティスのお気に入りの遊びだった。
だが、砦に行ったとき。聖女ステノを見たとき、ネファライティスは驚愕した。
――まさか自分と同じくらいに美しい人間が存在するとは思っていなかったからだ。
一目でステノを気に入ったネファライティスは彼女を王妃とすることにした。自分の隣に立たせるのならこれくらいに美しい女でないといけない。
「お前が砦の聖女か!その功績は聞き及んでいるぞ。いい心がけだ、そのまま励めば我が妃にしてやってもよい」
早速声をかけると、ステノは驚いた顔をしていた。そんな顔も愛らしい。化粧っけがなく、身に着けている服も質素だが、着飾れば社交界にいるどんな女より美しいだろう。しかもステノはまだ少女だ。もう少し年を重ねればさらに艶やかに花開くと思うと胸の高鳴りを禁じえなかった。
アガーテ王女が何か文句をつけてきたが、ネファライティスはほとんど聞いていなかった。砦の戦線は聖女がいれば安泰であるし、さらにそこにネファライティス配下の精鋭兵たちを入れればすぐさま「魔王」を討伐し「死の地平」を支配下に置けるだろう。その功績を以ってステノを貴族籍にいれ、そして妃とする――そんな想像に頬が緩むほどだった。
ネファライティスはすぐさま自分の兵を砦に入れ、アガーテ王女を国境に送り込んだ。嫁入り道具もろくに持たない王女にウィリディス・マティス側の使者は驚いていたらしいが、そんなことネファライティスの知ったことではない。王を説き伏せ、ステノを自分の婚約者とし、足繫く砦に通った。
ステノは生娘らしく、また身分の差のためかネファライティスとの距離を保とうとしたがそれもまた駆け引きじみて面白い。そうしてネファライティスはステノに夢中になっていったのだが――。
おかしいと気づいたのは二年経っても「死の地平」攻略が終わらなかったどころか前線が後退しているという報告を受けた時だ。そんなのあり得るわけがない。ステノさえいればこの戦いは簡単に終わるはずなのだから。
訝しむネファライティスの前に現れたのが、「神の落とし子」だった。そのスキルが「鑑定・全」だったため気を使う必要があったが、頭の緩い少女はネファライティスに愚直に従った。平々凡々な少女に優しくするのも面倒だったがスキル自体は強力なものだ。これからも自分のためだけに動くように、躾けてやる必要があった。
神の落とし子と共に各地を回り、政敵を失脚させ配置換えを行ったネファライティスは最後に砦へ向かうことにした。ステノは「聖女」だが、そのスキルの詳細を知ればより使いやすくなるだろうと考えたのだ。そうして神の落とし子をけしかけ――。
「ネフィ!あの子、『魅了』持ってるよ!」
その言葉にネファライティスは一瞬硬直し、そして次の瞬間に湧き上がってきたのは怒りだった。
「魅了」?あの女は、偽物の聖女は、「魅了」を自分に使ったのか?あのように美しく思えたのも、心惹かれたのも、全て「魅了」にかけられたせいだったのか――?
アウルムの次期国王たる己にそのような狼藉を働く者を、ネファライティスは決して許せなかった。罪を暴き、晒し者にし、処刑する。確定事項だ。報いをその身に受けさせなければ気が晴れない。
はたしてネファライティスは即座にステノを断罪し、「死の地平」に追放した。そして神の落とし子に微笑んだのだった。
――「魔王」を殺せと。