7 ザルツブルク
ミュンヘン行きが決まってすぐにエリザベートはウィーンの両親に宛てて、手紙で事情を伝えていた。両親からはウィーンの本邸ではなくザルツブルクの夏用の別邸に来るように指示があった。ウィーンでは人目につくからだろう。エリザベートは悲しかったが、何も言わずザルツブルクに向かった。駅には迎えの車すら来ておらず、仕方なく一行はバスに一時間ゆられて景勝地ザルツカンマングートに到着した。
幼いころから毎年夏の休暇に訪れていた別邸は全く変わっていなかった。森と湖にかこまれた屋敷はどことなくグリューネヴァルトのリヒテンラーデ邸を思い出させた。
冷たいよそよそしさで出迎えられることを覚悟していたが、家族は皆、娘と孫たちを泣きながら抱きしめて歓迎してくれた。70をとうに越した父は財界からは完全に身を引き、寝たり起きたりしながら車椅子で暮らしていた。母も老け込んでいたが父の世話をしながら静かに暮らしていた。上流社会の婦人会の世話役であり、慈善バザーやオペラ鑑賞に忙しく動き回っていた母とは別人のようだった。よく見ると家の広さに比べて使用人の数は極端に少ないようだった。家具にもうっすらとほこりがつもっていた。クノーベルスドルフ家も、家屋はなんとか残せたものの以前のような贅沢をするような財産はないのかもしれないとエリザベートは感じた。そして値段を気にすることもなく高価な布でドレスを仕立てていた娘時代を遠くに思い出した。
彼らは何度も家族会議を開いてはエリザベートと3人の息子たちの今後を話し合っていたらしく、お茶がテーブルに並ぶのも待たずにめいめいが好き勝手なことを言い始めた。
「子供たちはこちらで私立のきちんとした学校に入れたほうがいい。お前の出たスイスの学校でもいいし、侯爵の出身校はバイエルンだったかな……ヘルマン、お前の学校でも」
父がそう言って話を次兄のヘルマンにふった。
「私とヴィクトール兄さんの出た学校はちょっと昔かたぎすぎますよ、お父さん。これからの世代にはもっと新しい教育をする学校がいいんじゃないかな。それにしてもエリザベート、よく公立の学校になんて入学させたね。東側じゃ小学生からスターリン万歳って教えているんだろう。あまり染まってしまう前にこちらに引き取ったほうがいい」
「そうよ、エリザベート。ヴィクトールとヘルマンは仕事が忙しくてなかなかウィーンを離れられないの。老夫婦ふたりではさびしいのよ。あなたたちがザルツブルクに戻ってきてくれたらどんなに心強いか……ねえ、このままこちらに住みなさいな」
エリザベートはいずれの問いかけについてもあいまいな返事をしていた。この人たちは以前と全然変わっていない……私のことをまるで意思など持たぬお人形のように思っているのだ。幼いころからスイスの全寮制の女学校に放り込んで世間から隔離し、卒業するや否や早々に結婚させようとした11年前と同じなのだ。みんなの大切なお人形エリザベートは頭がからっぽでドレスを選ぶことにしか頭を悩ませない。ティーカップより重いものは持たない。紙幣を数えて手を荒れさせることはなく、バイオリンやピアノを弾いた後に少し「疲れたり」する。そんな風な扱われ方を許し、心地よいとさえ感じていたのはほかならぬ自分なのだ。
仕事で到着の遅れた長兄ヴィクトールは夕食前に妻を伴って別邸にやってきた。以前の冷たい手紙の件があったのでエリザベートは長兄の前で少し緊張した。しかしヴィクトールはエリザベートを抱きしめて言った。
「かわいそうに、苦労させてしまった。あの時の非ナチ化の嵐のせいでひどいことをしてしまった。すぐにでもお前たちを引き取るべきだったと後悔している。もう苦労はしなくていい。あちらでの出来事はすべて忘れてこれからの人生はオーストリアで安楽に過ごしなさい」
まるで別荘で静かに「余生」を送れと言わんばかりの家族の態度にエリザベートはだんだん気分が悪くなってきた。子供たちには全寮制の学校、エリザベートにはウィーンから離れたザルツブルクの別荘。まだ31歳の彼女はそこで世間から離れて刺繍でもして過ごさなければならないのだろうか。修道女のように? 自分はそんなに悪いことをしたのだろうか。
彼らはエリザベートがアレクセイを愛しているなんて夢にも思わないようだった。夫が行方不明になり、頭の頼りない彼女がかどわかされて情婦にされてしまったと思い込んでいる。このあまりにも可哀想な境遇に陥った末娘が自分たちを頼ってきたので、ありあまる財産のほんの一滴を恵んでやろうという考えなのだ。リヒテンラーデ大佐が死刑になろうが何年かの有期懲役で出てこようが関心もないようだし、その後エリザベートと復縁しようが別れようが、自分たちのいるウィーンと離れている限りどちらでもいいようだった。あまり遠くでひどい苦労をされるのも良心がとがめるので、とにかく目立たないところでおとなしく暮らしてくれればいいということなのだろう。
その夜エリザベートはアレクセイに向けて葉書を書いた。
「ザルツブルクではいろいろと夏の間に楽しい行事も多いようです。家族もいろいろと考えてくれているようですので、予定より滞在が延びるかもしれません……」
核心に触れるようなことは何も書かなかった。まだ心の整理がつかず、書けなかったと言ったようが正しい。彼女は少女のころ過ごした部屋からの眺めを楽しんだ。結婚前の自分には「どのドレスにどのリボンを合わせるか」くらいしか悩みはなかった。こんな風に国を失い、夫を失い、財産を失う人生など誰が想像できただろう。それでもそんな中で自分には一緒にいたいと思える人が現れたのに。
ヴィクトール夫妻は2,3日の滞在ですぐにウィーンに帰ってしまったが、次兄ヘルマン夫妻はしばらく別荘に残り、エリザベートと一緒に過ごした。ヘルマンと一回りも違う若い妻ドロテアはエリザベートと年が同じで、しゃれた女性だった。二人は湖の回りで遠乗りをたびたび楽しんだ。エリザベートはアレクセイの部隊が引き揚げていった後、彼だけが日曜日に訪ねてきてくれて二人で遠乗りをしたことを思い出した。ドロテアが唐突に言った。
「ジューコフさんって侯爵に似た感じの方なの?」
いきなり核心に触れるような話し方をされ、エリザベートは面食らった。クノーベルスドルフの人間はみんなアレクセイがどんな人間なのか聞きもしなかったからだ。
「全然違うわ。見た感じも性格も……」
「あなたの好みが変わったというわけ?」
ゴシップねたとして関心を示されているようだったが、エリザベートはそれほど不快な感情は抱かなかった。持ってまわった回りくどい言い方をされるよりもドロテア特有の単刀直入さはすっきりしたものだった。むしろようやく話を聞いてくれる人間に出会えたような嬉しさがあった。エドゥアルトが小学校でいじめられて怪我をした時、アレクセイがいじめっこの家に怒鳴り込んだことを話してみた。相手の両親はソ連軍の施設で給仕として働いており、家にいきなりやってきた司令官の姿に心臓が止まらんばかりに驚いていた。相手方は仕事を失うことを恐れて自分たちの子どもをこちらの目の前で殴りつけ、床に額をこすりつけるように土下座を繰り返した。
「ドイツの父親はそこまでしないと思うけど……それにしても義理のこどもたちをそんなにまでかわいがってくれているの?」
「わたしよりもよっぽどね」
彼女はその光景をエドゥアルトの小さな手を握り締めながら後ろで眺めていた。子ども同士のもめごとにすぎない、明日になれば仲良く遊ぶに決まっている。そう主張する私の意見を聞こうともせず、あの人は相手の家に乗り込んだ。ジークフリートなら「そうだね、君のいうとおりだ」で済ませるところだ。いや、それ以前にSS幹部の息子をいじめるような相手はいなかっただろう。ライプチヒでは知り合いが一人もいないのをいいことに私は「駐留軍人のハウスメイド」で通していた。あのとき相手の母親が申し訳なさと恐怖と、そして憐憫と軽蔑の入り混じった目で私を見ていたのを忘れられない。PTAの席で隣に座る気の毒な未亡人だと思っていた女は司令官のお抱えだった。愛人、将校の褥を支配し、敵に魂を売り渡した女。虎の威を借る狐。
エリザベートはため息をついた。
「あの人は何を考えているのかとてもわかりやすいんだけどね。まずいレストランにはケチをつけるし、暑いときにはすぐ上着を脱ぐし」
「男っぽくって素敵と言っているようにも聞こえるけど。そういう人は相手の考えていることまで知りたがるものよ。夫婦の間に秘密は絶対に存在しないって固く信じている」
ドロテアは謎めいた微笑みを浮かべた。ヘルマン兄さんとこの若い義姉の間柄を想像してみたが、エリザベートは特に興味も持てなかった。自分は親族に対してすらこうなのに、なぜ街の人々は私とアレクセイの間柄をとやかく言うのだろう。あの一件以降、子どもの母親同士の集まりでも皆の視線が気になって仕方がなかった。直接誰から聞いたわけではないが、彼女はますます自分の生き方に自信が持てなくなっていっていた。ジークフリートと夫婦だったころ、エリザベートは自分の人生を誇っていた。だからといってジークフリートとやり直すことなど考えられなかった。では純粋に恋愛感情としては? 自分は二人の男のうちどちらのことが好きなのだろう。
「あの山の向こう……」
エリザベートはドロテアの指さす方向を見た。
「もうドイツ。アドルフの別荘があったとかいう……あなたは行ったことがあるのでしょう?」
ああ、ベルクホーフの別荘。栄耀栄華の日々。ジークフリートと3人の息子たち。
「エーファ・ブラウンにも会ったことがあるの?」
「何度も。エーファはいつもあそこにいたわ」
そういえば今の自分はエーファが亡くなった年齢とほとんど同じだ、とエリザベートは考えた。「独身主義」を公言していた総統の秘密の恋人として、長い時間エーファは別荘で世間から隠れるように生活していた。10年以上とも言われている。ジューコフ少将の愛人生活が4年足らずで根を上げそうになっている自分とは大違いだ。エリザベートは馬に鞭をくれた。
オペラや交響楽団のコンサートを楽しむ日々が続いた。久しぶりのオーストリア料理やウィーン菓子については料理本を買い込んだ。アレクセイに作ってやって食べさせてあげたいと思ってしまう自分がいた。(彼は本当になんでも喜んでよく食べるので、気まぐれにいろいろと作るのはエリザベートにとっても楽しかった) あの夜のことはショックだったけれど、何度も夢に出てきて彼女を不眠に陥れるようなことはなかった。むしろ思い出すのは、初めてキスしたときのこととか、交際当初の楽しかった日々のことばかりだった。あんなにひどいことをされたのに、これからも隣にいてほしいのはアレクセイなのだ。
天気のいい日に湖のほとりで子供たちと一緒に写真をとり、弁護士経由でジークフリートに送った。もしかしたら自分が写っていないほうがいいかとも思い、子供たちだけの写真も同封した。エリザベートはここで編み物でもしながら、ジークフリートの出所(有期懲役ですめばの話だが)を待つというもう一つの人生を想像した。
再び週末に別荘を訪れた長兄の話ではドイツ本国ほどではないにせよ、オーストリアでも財閥解体と非ナチ化は相当のものだったらしい。しかし現在ではソビエトの共産主義のほうが敵視されているため、「反共」のほうが声高に叫ばれており、非ナチ化の嵐はゆるんできているらしい。元ナチ党員を全員追放したら、社会自体がなりたたなくなってしまうのだ。
ナチにしろソビエトにしろ、どちらともかかわりをもっている自分はどのみち嫌われ者なのだとエリザベートは考えた。ここにも自分の居場所はないのだ。
「けれどこの別荘地は社交界のうるさい口もないし、のんびり父さんや母さんの話相手をしながら暮らすというのもいいんじゃないのかい」
結局のところ兄嫁たちがクノーベルスドルフの両親の世話をするのを嫌がっているのだろうと、エリザベートは感じた。彼女はまるで思春期の反抗期の若者のように、家族の言うことに対していちいち裏の意味を感じ、胸の奥にむかつきを覚えていた。
家族はみな、このままエリザベートと子供たちがオーストリアに住むべきだと強く言い続けた。「あちらの方」には手紙で別れを告げれば言いと。彼らはアレクセイの名を一度も口にしなかった。レーナのこともあらかじめ知らせておいたが、同様に存在すら無視され、誰も話題にしなかった。スラブ民族の血を引く黒髪の娘を、彼らは決して抱き上げようとはしないだろう。
エリザベートは「アレクセイとこれからどうするかにかかわらず、とにかく一度東側に戻る」と言い張った。素直でおとなしかった末娘がこんなに強情になってしまったことに家族は驚いたが、直接会って別れを告げる(家族はそう思い込んでいた)という勇気をたたえた。
ヴィクトールはエリザベートにかなりの金額の小切手を渡した。
「必ず弁護士を交えて交渉するんだぞ。これだけあればどんな相手でも引っ込むだろうよ。ソ連兵なんて安月給なんだろう」
相手が誰であろうと、どんな悩みであろうと金がすべてを解決してくれるという兄の考えにエリザベートは額の血管がきれるかと思うほど憤り、目の前で小切手を破ってやろうかとも思ったが、思いとどまった。出所がどうであれ、金は決して邪魔にはならないものだということを終戦直後彼女は身にしみて理解していたのだから。彼女は兄に感謝して小切手を受け取った。兄は相変わらず妹の心の中など関心がないのだ。とにかく一度ライプチヒに戻ろう。このまま逃げるようなことをしてはいけない。アレクセイだってあの手紙の通り反省して態度を改めてくれるかもしれない。どうしてもだめなときはこの金があればよそに部屋を借りることくらいはできる。
私立学校への入学準備のため3人の息子たちは家庭教師のギーゼラとともにザルツブルクに残していくことになった。学校が始まる9月下旬までに転入先は見つかるだろう。
エリザベートはひとりで列車に乗り、西ベルリンへ向かった。アレクセイとは一ヶ月も会っていないことになる。こんなに長く離れていたのは初めてだろうかと彼女は考えた。いや、つきあい始めたころ彼がワルシャワに長期出張になり、長い間会えないことがあった。あのころはまだ電話もつながりにくかった。いつもアレクセイのことばかり考えて不安がつのったことを思い出した。好きだった……本当に好きだった。私はあの人に夢中だった。あの頃の気持ちを取り戻すことができるだろうか。
いや、取り戻さなければならないのだ。そのためにこうして東側の世界に戻ってきたのだ。ブランデンブルク門を見上げながら、エリザベートはしばしそこで考えた。自分の生き方は決して胸を張れるものではないし、世間からはとやかく言われ続けるだろう。けれどザルツブルクで安穏と「死んだように」生きるのではなく、人生への情熱を持って生きていきたい。彼女はそう考え、東ベルリンへと足を踏み入れた。