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日本神紀  作者: flat face
巻第四 天神本紀 忍穂耳
93/228

第九十二段 鰭広矛と八重節鎌

 穴牟遅の言葉が意味するところを建御雷がいち早く悟った。


「……我らの動きを封じるのに、百八十神の力を借りているのか」


「さすがは雷の神。雷光のごとき理解の早さだ……その通り、正々堂々と教えてやろう。一人一人の力は小さくとも、それを集めれば巨大な力になる。俺は子どもたちの呪力を、各人が耐えられる程度に借りた」


 天照のように誰とでも同調できるわけではなかったが、彼女と同様に位置や運動の情報を操作できる穴牟遅も、自他の呪力を混ぜ合わせられた。

 穴牟遅の胸に掛けられた翡翠が脈動するように輝き、彼が百八十神から借りた呪力を高めている。

 沼河姫の翡翠を穴牟遅も譲り受けていた。


「俺が全力を出してこなかったのは、俺が自分で全てを何とかせんと思っていたからだ」


 建御雷と経津主が穴牟遅の狙いに気付いた時にはもう遅かった。


「しかし、今、俺は、妻と子どもたち、そして出雲の民らとを信頼している……」


 彼らの背後には須勢理たちが移動していた。


「仕込みは済んだ……お前たち、逆襲の時だ。存分にやれ。百八十神の矜持を見せろ!」


 それは何の合図もない突然のことだった。

 しかし、彼らは穴牟遅の意図するところを即座に察した。

 穴牟遅の呪能により、建御雷は雷光と化すことは出来ず、経津主は呪能の発動をすら封じられた。


「家族とは、家長に支えられるだけの存在ではない……互いに助け合うものだ。俺は帝王であり、この子たちの父だ。そして……」


 天津神の二人を事代主の青柴垣や建御名方の液状化、八坂刀売の冷凍が足留めした。

 彼らは疲労していた上、穴牟遅に残る呪力を分け与えていた。

 だが、譲れぬ想いが彼らを突き動かした。自分たちは、支え合う家族なのだ。


「須勢理の夫でもある」


 その瞬間、須勢理が全身全霊の蹴りによる衝撃波を建御雷と経津主に撃ち込んだ。



 起き上がることも出来ず、建御雷と経津主は近付いてきた穴牟遅に言った。


「我らの完全なる敗北だ」


「正面から戦って負けたんだから、どんな条件でも呑むよ」


「そうか、ならば……」


 ずいと穴牟遅が二人に広矛と鎌を差し出した。


「高天原に出雲の国を譲る。諸国の平定と国造りと用いたこの鰭広矛はたのひろほこ八重節鎌やえのふしかまはその証だ。受け取ってくれ」


「……何のつもりだ?」


 相手の意図が読めず、建御雷はそれを尋ねた。


「俺ではこの国を幸せにしてやれん。だから、お前たちが出雲を幸せにしろ。これは勝者の命令だ」


「はっ! そう言われちまったら仕方ねえや。敗者の誇りにかけて高天原にはちゃんと伝えとくよ」


「……ああ、それが履行されるよう全力を尽くそう」


 経津主の言葉に建御雷も頷いた。


「頼むぞ。俺の継父も疎かにすることのなかった高天原だ。どうかその信頼を裏切らないでくれ」


 そう言って穴牟遅の差し出した広矛と鎌を建御雷が受け取った。

 その光景を須勢理だけではなく、事代主と建御名方および八坂刀売も受け入れた。

 このまま高天原と戦い続けても、出雲が焦土と化し、更に多くの血が流れるだけであることは、彼らも分かっていた。


 それを避けるため、穴牟遅は国譲りの決断を下した。

 建御雷たちに今は勝ちながらも、そう決断した穴牟遅を彼らはこの戦いで改めて信じるようになった。

 ならば、どれだけ悔しかろうとも国譲りを認め、新たな道へ向かっていくまでだった。



 玉津日女は穴牟遅の宮殿を去ると、大年らが拠点とするところに戻り、そこにいる若比売を訪ねた。

 若比売は冬衣や足名椎および手摩乳と共に大年の陣営に与していた。

 玉津日女がやってくると、俯いていた若比売は、はっと顔を上げた。


「兄さんは負けたよ」


「……そうかい」


 娘からの報せに彼女は両手に顔を埋めた。


「ごめんよ、玉津日女。こんな母親で。穴牟遅に憎しみしか教えてやれなかったせいであんたまで辛い目に遭わせたね」


 自分が過去に抱いた憎しみのせいで我が子たちを争わせてしまった。

 それに対する自責の念が若比売を責め苛んだ。

 憎しみに染まった若比売が望んだように、穴牟遅が八十神を追放したことが、家族を再会させて皮肉にも愛を思い出させた。


「母さん……」


 玉津日女は若比売の肩に手を置いて言った。


「あたしは母さんに育てられて良かった」


 憎しみだけを教えられたのではない。

 愛するものがあったからこそ、それを傷付けるものに憎しみを抱いたのだ。

 たとえ憎しみと背中合わせであったとしてもそこには愛もあった。


 だから、穴牟遅も復讐だけでは終わらなかった。

 愛する者たちのためにも理想の国を造ろうとした。

 玉津日女も兄の夢を応援したからこそそれを見失った彼に反抗したのだ。


「それに、何でも母さんの責任にされたら、あたしたちが何一つ自分で決められないみたいじゃないか」


 兄も自分も己の意志で道を選び取った。

 その意志は周りの皆に育まれたものであるとも言えるだろう。

 しかし、そうした自己を生きるのは、他ならぬ自分自身なのだ。


「今度、播磨に来てくれよ、母さん。兄さんや須勢理の義姉さんも一緒にさ。見せたい景色が一杯あるんだ」


 親と子はその繋がりが強かろうとも決して同一の存在ではない。

 だからこそ、自他が共に夢見ることの出来た理想は尊い。

 穴牟遅はそのような夢の一つの形を間違いなく見せてくれていたのだ。


典拠は以下の通りです。


大穴牟遅神が鰭広矛と八重節鎌を献じて国を譲る:『天書』


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