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日本神紀  作者: flat face
巻第四 天神本紀 忍穂耳
91/228

第九十段 御子神

 翡翠で呪力をどれだけ底上げされていても限界があった。

 疲労や負傷で事代主たちは呪能を十分に振るえず、補佐の神人たちに援護してもらわなければ、防戦することも叶わなかった。

 いや、建御雷と経津主が手を抜いてくれなければそれさえ無理だった。


「勝敗はもう決したんだから、潔く負けを認めろって」


 二人は相手が自ら降伏することを求めた。

 無闇に殲滅していけば、却って死に物狂いの反抗を招き、徒に被害を拡大させてしまいかねなかった。

 それに、国津神の名誉を守るよう天照から厳命されていたので、投降してきた者を無下に扱うつもりもなかった。


「慈悲を示しているつもりか? ふざけるな。オマエたちに憐れまれる筋合いはない」


 しかし、事代主たちが屈することはなかった。

 この戦いには祖国の行く末が懸かっていた。

 敗れても高天原に逃げ帰れば良い奴らとは覚悟が違う。


「ならば、汝たちを斥けて穴牟遅に談判するまでだ」


 雷の刃を構えた建御雷は、一気に片を付けるべく出力を最大にした。

 本物の雷霆のような電光と轟音が空を震わせ、地に下されんとする天の裁きを思わせた。

 その刃が振るわれればどうなるか。


 防ぐどころか避けることすら出来そうになかった。それでも、立ち向かうべく事代主たちは身構えた。建御雷が剣を振りかぶり、雷撃を放たんとした。


 だが、響き渡ったのは雷鳴でなく風声だった。

 それも、吹き荒ぶ嵐のような音だった。

 その疾風が建御雷と経津主を蹴散らした。


「大丈夫か、テメエら!?」


「女将!?」


「どうしてここに来たんですか!?」


 それは須勢理が放った蹴りだった。

 美保之碕に駆け付けた彼女が間一髪のところで横槍を入れたのだ。

 しかしながら、咄嗟のことであっても建御雷と経津主は素速く対応し、深手を負わずに済んだ。


「穴牟遅の妻である汝が我らに自ら楯突くとはな」


「高天原と全面的にやり合うってことで良いのか?」


「あん? それ以前の問題だろうが」


 態勢を建て直した二人に須勢理も構えを取った。

 彼女の周囲に風が渦巻いた。

 それは建御雷の雷に劣らぬ神威を放っていた。


「自分んとこのガキらをボコられてへらへらする親がどこにいやがんだ」


 その風が再び建御雷たちを襲った。



 須勢理に去られた穴牟遅は、未だ出雲を発たず、宮殿から指示を出していた。

 既に撤退の準備は整っており、敵は眼前にまで押し寄せていたのだが、穴牟遅は動こうとしなかった。

 側近たちが早く避難するよう勧めても聞く耳を持たなかった。


(裏切りを犯したのは私だったのか?)


 彼は何があっても自分を曲げぬことで理想を貫こうとしてきた。

 たとえ彦名や火明のような身内と衝突しても譲らなかった。

 意見を取り入れることはあれど、国を率いる者として民を不安にさせぬよう確固とし、信念を揺るがすことはなかった。


 しかし、須勢理に対してだけは違った。

 まだ何者でもなかった頃、胸に抱く志の他は宝と呼べるものを持たず、穴牟遅は必ずその志を果たすという誓いを結納として贈り、須勢理と一緒になった。

 その須勢理が穴牟遅に否を突き付けた。


「私は志を果たすために走り続けた。脇目も振らずにひたすら。その何が志に背いたと言うのだ?」


 自分に言い聞かせるように穴牟遅がそう呟くと、思わぬ返答が寄越された。


「周りを見ない奴がどうやって誰でも暮らせる国を造るんだよ?」


 驚いて振り返ればそこには思い掛けぬ、そして、懐かしい姿があった。


「玉津……」


 玉津日女だった。


「遂にここまで押し寄せてきたのか」


「うん、あたしは鹿庭山かにわやまでやったように生き血の霧で一足早く忍び込ませてもらったけど、この宮殿ももう間もなく落ちる。兄さんは負けたんだ」


「まさか天津神を敵に回し、国津神や他神に寝返られ、妻に去られた挙げ句、妹に敗北を突き付けられるとはな」


「何も見えなくなっていた兄さんらしいよ。……なあ、本当に誰も目に入らなくなったのか? 負けるにしたって負け方があるだろ」


「……」


 玉津日女の訴えに穴牟遅は沈黙し、やがて呪能によりその姿を掻き消した。



 須勢理の呪能は強力なもので、彼女はそれを使いこなしていた。

 ただ、建御雷たちとは能力の相性が悪すぎた。

 個としての強者に対し、経津主はその強さを封殺することが出来た。


 最初、須勢理は建御雷および経津主と互角に渡り合ったが、戦いが長引くに連れ、経津主は須勢理の動きを見切るようになり、その攻撃を封じていった。

 呪能を振るってもそうしたという事象を斬り捨てられ、須勢理は相手からの一方的な攻勢に曝された。

 これには須勢理も段々と劣勢に立たされ、気付けば鳥之石楠船でも出雲の側が押されていた。


(あれだけ啖呵を切っといてこの様か)


 己の無力さに須勢理は歯噛みした。

 大切なものを守れないことが悔しくてならなかったが、そうしようと身を挺したことに後悔はなかった。

 穴牟遅の魅せてくれた夢に殉じることにも。


(ごめん、穴牟遅。一番近くで走るって言っときながら、こうなるまで何も出来なくて。こいつらのことも守れなかった)


 経津主に腕を斬り付けられた須勢理は、傷を押さえて膝を突き、建御雷がその好機を見逃さず、最大の出力で雷の刃を彼女に振るった。

 須勢理を助けようと事代主たちが駆け出したが、間に合わずに雷撃が炸裂した。

 しかし、それが須勢理に当たることはなかった。


「……えっ?」


 穴牟遅がその呪能により須勢理を移動させ、彼女を自身の腕に抱き留めたのだから。


典拠は以下の通りです。


玉津日女命が鹿庭山の鹿で呪術を使う:『播磨国風土記』


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