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日本神紀  作者: flat face
巻第四 天神本紀 忍穂耳
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第八十四段 美保之碕

 鳥之石楠船が美保之碕に降り立つと、そこには兵を従えた事代主がいた。

 美保之碕みほのさきは彦名たち常世神がやってくるなど外部との接触が頻繁な場所だったので、事代主は舟に乗って巡回し、不審な者が見付かれば、鳥を狩ったり魚を釣ったりするように捕らえた。

 そのような事代主の前に現れた建御雷は、穴牟遅に話したことを繰り返した。


「ひ、ひぃいっ!?」


 しかし、事代主は建御雷の威圧感に驚き、情けない声を出すばかりだった。

 突如として空一面が黒雲に覆われて雷が轟き、巨大な軍船と威圧的な武神の現れたことに出雲の兵たちも戦意を喪失しかけた。

 もっとも、相手が腰を抜かしてばかりでは建御雷たちも埒が開かなかった。


「そんなびびんなくても取って食ったりしないって」


 経津主が事代主の舟に降り立ち、安心させるように話し掛けながら近付いた。


「近寄らないでぇっ!」


 音を立てるほど勢い良く手を合わせ、事代主は経津主に懇願した。

 その無様さに経津主は苦笑したが、直ぐさまその笑みを引っ込めた。

 事代主の体が青い灌木に代わり、それが垣のように舟を囲んで経津主をその中に閉じ込めたからだ。


 一瞬のことだったため、経津主は即座に対応できなかった。

 建御雷も海中から飛び出してきた大量の柴に呑み込まれた。

 そして、いつの間にか陸にいた事代主が兵たちに号令を下した。


「式符!」


 すると、兵たちは術式の組み込まれた呪符を放ち、建御雷と経津主を囲い込んだ生け垣に封印を施した。



 事代主は穴牟遅に天詔琴で事前に連絡を受けていた。

 既に高天原を敵に回す際の策は練られており、簡単な指示で実行に移せた。

 そのために物資の補給もなされてあった。


 翡翠の採れる沼川郷を治める沼河姫は、翡翠の力を神として祀り、呪力を込めた翡翠を持つ者を助け、力を強めることが出来た。

 その翡翠で事代主は呪能と呪力を大幅に底上げしていた。

 それによって建御雷と経津主の不意を突くことが出来た。


「封印を維持する者の他は敵船を占拠しろ!」


 戦闘のために人格を入れ替えた事代主は、迅速に命令を発した。

 速さがことの成否を決した。

 建御雷を前にして穴牟遅は数ある選択肢の中で短期決戦を選んだ。


 使節団の派遣が失敗に終わり、高天原は大いに威信を傷付けられた。

 その状態でまた失敗すれば、葦原中国に対して高天原の権威は全く通用しなくなりかねなかった。

 しかし、絶対に失敗してはならぬ使節団に高天原は建御雷を派遣した。


 建御雷は確かに高天原でも有数の武神だったが、天上において最強と言えば、やはり高皇産霊か神皇産霊だった。

 ところが、稚彦への懲罰に高皇産霊が赴いたにも拘わらず、高天原は彼を国譲りの使節として遣わさなかった。

 そこに穴牟遅は高天原の焦りと躊躇いを感じ取った。


 権威の傷付いた高天原は、有数の武神を派遣するほど焦っている。

 それと同時に別天津神を出動させるには躊躇いがある。

 別天津神ならば出雲を即座に制圧できたが、そのように強引な手段は必ず反発を買った。


 高天原にはそれを収拾できるほど葦原中国の統治に経験などあるわけもなく、更なる混乱を引き起こしては本末転倒だった。

 そこで、穴牟遅は使節を素速く無力化し、その上で下手に出て手打ちにすることを計画した。

 焦っているだけではなく、躊躇いのある高天原なら、威信を保てさえすれば、和平に飛び付き、最小の譲歩で最大の結果を得られるはずだった。


 だが、高天原とて人選に手を抜いてはいなかった。


「なっ!?」


 建御雷と経津主を閉じ込めていた柴垣が内側から爆ぜた。



 穴牟遅も建御雷たちについて事代主だけで事足りるとは思っていなかった。

 建御名方と八坂刀売に兵を付け、美保之碕に向かわせていた。

 そこに建御名方たちが駆け付けた時、建御雷たちが柴垣から抜け出していた。


「建御名方!」


 事代主が建御名方たちに気付いた。


「幾らかは敵船の占拠に回らせ、残りはオマエと八坂刀売ともどもオレの方を援護してくれ!」


 舟縁を踏み傾けた事代主は、自分の乗っていた舟を転覆させ、海の中へと隠れた。

 すると、海中から青い柴垣が幾重にも姿を現し、再び建御雷と経津主を呑み込もうとした。

 二人は回避に動いたが、建御名方と八坂刀売がそれを許さなかった。


「逃がさん」


 柴が建御名方の呪能で泥のようになり、滲み出た水分が一気に蒸発した。

 蒸発は八坂刀売の呪能によるものだった。

 湖や泉といった淡海の力を神として祀る八坂刀売は、水分の温度を変化させ、凍結した氷湖や沸騰した熱泉のように出来た。


 温度が上昇して柴の水分は湯気となり、煙幕のように建御雷と経津主の視界を奪った。

 その隙に今度は海中から蔓が伸び、二人の手足を絡め取った。

 その彼らに向け、建御名方が千人もかかって引くほどの大きな岩石に剣を振るった。


 岩は建御名方の呪能によって要所が極限まで液体化しており、斬り付けられた衝撃で大量の礫となって建御雷たちを襲った。

 液体となったことで生じた水分は、八坂刀売が水蒸気に変え、その膨張で飛礫を更に加速させた。

 石打ちは境界からやってきた者を打ち払う呪術でもあった。


「行けぇ!」


 呪能は神人それぞれに固有の能力だが、呪術は呪力を利用した技術で、条件さえ整えば誰にでも行使できた。出雲の境界を侵す者への投石は建御名方によって最大限の効果を発揮した。


 しかし、最大の努力が最善の結果に繋がるとは限らなかった。


「その程度じゃ見切るのは容易いって」


 建御雷と経津主は無数の礫を全て躱し、事代主たちに襲い掛かって刃を振るった。


典拠は以下の通りです。


事代主神が舟縁を踏み傾け、自分の乗っていた舟を転覆させて海の中に隠れ去る:『日本書紀』


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