第七十七段 天梔弓と天羽々矢
稚彦はまた天梔弓に天羽々矢を番え、高皇産霊に向かって放った。
「同じことを繰り返す進歩のなさは感心せんな」
詰まらなさそうに高皇産霊は光の盾で矢を防いだ。
たとえ神人の呪力を十全に引き出す天梔弓と天羽々矢であってもそれだけで高皇産霊に打撃を与えるには至らなかった。
そのことは稚彦も弁えていた。
「!?」
稚彦が射た矢は二本だった。
最初の一本は光の盾に弾かれた。
それで攻撃を凌いだと判断した高皇産霊が呪能を解除した隙を突き、もう一本が彼に襲い掛かった。
「味な真似をする!」
嬉しそうに高皇産霊は身を捩らせて矢を避けた。
それによって生じた好機を稚彦は見逃さなかった。
彼は再び複数の矢を同時に放った。
それらの矢は高皇産霊を狙ったものばかりではなかった。
わざと床に矢を当て、それに込められた呪力で衝撃を発生させた。
それが目眩ましとなり、思わぬところから別の矢が高皇産霊を襲った。
しかし、別天津神に同じ手は何度も通じず、高皇産霊は光の盾を細やかに発生させて防御した。
「その発想は面白いが、奇策も無力ならば単なる子ども騙しだぞ?」
そればかりか盾の合間から光の礫を放って稚彦を射貫いた。
痛みを堪える稚彦に高皇産霊は何本も光の矢を放った。
幾度も追撃されて稚彦の体勢が崩れたところに光の槍が打ち込まれた。
「がぁっ!」
稚彦は勢い良く床に打ち付けられた。
そこに高皇産霊は更なる追撃を加えようとしたけれどもそれは叶わなかった。
負傷したはずの稚彦が即座に反撃してきたからだ。
「光の槍に貫かれて立ち直るとは流石の呪能だ!」
そのわけを知っている高皇産霊が感嘆の声を上げた。
稚彦は冬至の力を神として祀った。
その呪能は死する太陽が冬至に復活するがごとく稚彦をあらゆる傷病から瞬く間に蘇生させた。
◆
倒れ伏しながら下照姫は歯噛みした。
自分はどれだけ無力なのか。
稚彦が出雲のために死力を尽くしているのに、何の助力も出来なかった。
新春の力を神として祀る下照姫は、新たな春を迎えた大地に緑が芽吹くがごとく未だ開花せぬ呪能を助長させることが出来た。
しかし、既に稚彦は自分の呪能を使いこなしており、下照姫の出る幕はなかった。
他の百八十神に対してもそうだった。
穴牟遅の精鋭として最前線で活躍する彼らは、下照姫の助けを借りるまでもなく呪能を使いこなしていた。
それ故に下照姫が任されるのは後進の教育だった。
それも立派な任務であることに違いはなかったが、義兄弟たちと共に戦えぬことは、下照姫に引け目を感じさせた。
それが彼女を百八十神として強硬的に振る舞わせた。
前線に立てないのならばせめて誰よりも百八十神らしくあらねばならないと思い込ませた。
そうであるがゆえに下照姫は稚彦に強く当たったが、蓋を開けてみればどうだ。
稚彦が必死に戦っているのに、彼に偉そうな説教をしていた自分は、何も出来ていないではないか。
余りの申し訳なさに悔し涙が流れそうだった。
だが、泣いていては何も解決されなかった。
手持ちの札で何が可能なのか。
懸命に考えを巡らす下照姫の目に床へ刺さった天羽々矢が映った。
◆
蘇生すると言っても呪力までもが戻るわけではない。
寧ろ生き返るには多大な力が要るので、何度も用いるわけには行かなかった。
それに、天梔弓と天羽々矢は確かに呪力を十全に引き出したが、裏を返せば力の消費を増やした。
「切れが悪くなってきたぞ!?」
高皇産霊が光の矢を何本も放ちながら問うた。
その言葉通り稚彦は段々と押されていった。
既に稚彦の呪力は底を突きつつあった。
「それは気のせいというやつですよ」
稚彦が放つ力が弱まった。
その機を逃さずに高皇産霊は光の矢を放った。
しかし、それは稚彦の誘い込みだった。
わざと放つ呪力を弱め、相手の油断を誘い、そこに渾身の射撃を叩き込んだ。
どれだけ追い詰められても折れぬ稚彦の闘志に高皇産霊はますます昂ぶった。
高皇産霊の眼中には稚彦しかいなかった。
「喰らえっ!」
そのことを下照姫も見抜いていた。
天羽々矢を手に取った彼女は、稚彦にばかり傾注する高皇産霊の不意を打った。
呪力を十全に引き出す天羽々矢は、故郷にいる国津神の力を十二分に発揮させた。
「殴るなら殴り返される覚悟があるんだろうな?」
矢を突き刺さんとした下照姫に高皇産霊は光の盾を展開した。
それと同時に高皇産霊の射程に下照姫も入った。
光の矢が下照姫にも向けられた。
「っ!」
下照姫を守るべく稚彦が身を挺した。
光の矢を受け、稚彦は吹き飛ばされて大怪我を負った。
既に呪力が限界に達し、呪能で全回復が出来ないにも拘わらず。
「稚彦!」
「何とか間に合って良かった」
「莫迦!」
下照姫は涙を抑えられなかった。
どうして自分なんかを守ったのだ。
折角、高皇産霊の注意がこちらに向いたのだから、他のことを無視してでもその隙を突いて然るべきではないか。
二人の行動に高皇産霊は微笑んだ。
「天津神として死し、国津神として生きろ、稚彦」
一段と大きな爆発が起こった。
余りにも頻発する騒音に他の神人たちも集まっていた。
彼らが目にしたのは、下照姫を庇って倒れ伏す稚彦だった。
典拠は以下の通りです。
高皇産霊尊が国津神を降す:『日本書紀』




