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日本神紀  作者: flat face
巻第四 天神本紀 忍穂耳
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第六十五段 霧島山

「天照大神、吾勝尊を育したまひて、特甚に愛を鍾めたまふ」(『古語拾遺』)

 阿弥陀如来あみだにょらいは手の甲で額の汗を拭って嘆息した。


「凄まじいな、まったく」


 その一言で済ませるには余りにも凄まじい光景が阿弥陀あみだの眼前には広がっていた。

 元々、そこは一面の白い光に包まれ、辺りに円錐形をした光の山が聳え、結晶質の宮城が光の柱に支えられていた。

 しかし、山や宮城は今やひび割れ、砂のように崩れて散じ、ただ輝くだけの廃墟となっていた。


 そこには、褐色の肌に緩やかな粗衣をまとう天人が倒れていた。


「一対一とは言っても天人一人に如来がここまで手こずらされるなんてよ」


 倒れている天人は第六天魔王だいろくてんまおうと呼ばれた。

 第六天だいろくてんを倒したのは阿弥陀だった。

 だが、それは辛勝と評して良かった。


 第六天は他化自在天たけじざいてんの王だった。

 他化自在天は他者が味わう快楽を自己のものに出来るところで、衆生を惑わすため、そこの天人は天魔とも称された。

 第六天はただただ自己の平穏のみを求めていた。


 自他の快楽を共有し、それに酔い痴れて世界の終わりまで眠るように生きる。

 他化自在天は完璧に満ち足りていた。

 余りにも完成されすぎて孤立し、外界から存在を感知されてこなかった。


「これまで他化自在天には楽しかなかったんじゃろうのう」


 どこからともなく釈迦が現れて阿弥陀に話し掛けた。


「けど、世界には苦もなけりゃ釣り合いが取れん」


 他化自在天の存在に外界で初めて気付いたのは、全ては掌の上であると豪語する釈迦だった。


「他化自在天の苦は主の第六天に貯まって、その幻力にえらい無の力を与えたんじゃろ」


 釈迦は任せたい仕事があると言って阿弥陀に他化自在天へ干渉させ、完全さを壊された第六天が金髪を炎のように逆立てて怒り狂う間、自分はどこかへ姿を消していた。



 第六天を一人で何とか鎮めさせられた阿弥陀は、ひとまず釈迦を殴ってから言った。


「流れ弾にでも当たって消し飛んだかと思ってたぜ」


「物陰で昼寝しとったわ」


「そっか、僕に消し飛ばされたいんだな、この野郎」


 拳を握り締める阿弥陀に釈迦は呵々大笑した。


「こいつにゃあお前ぐらいしか敵わんけぇ、俺は邪魔ならんようすっ込んどったんじゃ」


 非常に不満ながら阿弥陀も釈迦の言い分は正しいと、阿弥陀も認めざるを得なかった。

 第六天は煩悩の力を梵として崇めた。

 他の如来では相性の問題で第六天の圧倒的な力に薙ぎ払われかねなかった。


 阿弥陀だけが第六天に対抗できた。

 無頼によって衆生を悟りへと導く阿弥陀は、生きとし生けるものに気取らない自己を解放させ、型に嵌まらせないことで有無に偏らぬ中道を歩ませようとした。

 そのような阿弥陀の姿も異風なものだった。


 如来の多くがそうであるように、体は男女のどちらでもある両性具有だった。

 たっぷりとした黒髪には、おどろおどろしくさえある髑髏の飾りがあしらわれ、黒が基調の服には多くの鎖がぶら下がっていた。


 阿弥陀には、第六天の幻力が通じない。

 そうなれば後は地力の殴り合いだった。他化自在天は自他を区別しなかったので、自己の領域という地の利がなく、如来と天人では前者に分があった。

 もっとも、その条件でも第六天は阿弥陀に脅威を感じさせるほどだった。



 顔を上げて第六天が忌々しげに問うた。


「どうして俺を放っておかない?」


 俺は完全に満ち足りていた。

 お前たちが関わり合おうとしなければ、こちらとて何もしなかった。

 それを敢えて突くとは阿呆か?


 そのような第六天の怒りを釈迦は笑い飛ばした。


「自他の区別が付かんと、他人ばかりじゃのぅて、己まで危険に曝すんじゃのう」


 既に他化自在天が出来てしまい、それが大いなる力を育んだ以上、下手に潰しては世界の均衡を崩してしまいかねなかった。

 しかし、存在に気が付かないか、気付いても放置していれば、楽が貯まりすぎて反動で巨大な無を引き起こすことも有り得た。

 その点では釈迦は慧眼であったと言えた。


 そして、釈迦には巨大な無の発生を防ぐこと以外の目論見もあった。


「また元の平穏な生活に戻りたいんなら、如来の眷属になれや。お前みたいな問題児は大日あたりが適当じゃろな。それから、八洲に行っておうかの」


 ちらりと釈迦が阿弥陀に目配せした。


「まさかそれで僕にも八洲へ関わらせてたのかよ」


 阿弥陀が呆れたような顔をした。

 釈迦に頼まれて阿弥陀は八洲の天と地が分かれる時、混沌として真っ暗な泥の海に光を射し、薬師の瑠璃所のように仏法が弘通する土地を探そうとした。

 阿弥陀の光明は空亡による創造の光に紛れ、造物主に勘付かれることはなかった。


 阿弥陀は鶏を飛ばし、もし仏法の弘通に相応しい土地があれば、刻を告げよと命じた。

 鶏は霧に視界を覆われつつもとある山に降りた。

 阿弥陀はそこを霧島山きりしまやまと名付けた。


「第六天、お前は霧島山から八洲に渡れ」


 送り込む眷属が強力であるに越したことはない。

 だが、力が強すぎれば気取られる危険も大きかった。

 そこで、釈迦はそうした問題が得意な阿弥陀に協力させたのだ。


「……何を勝手に決めている?」


 しかしながら、第六天にとっては知ったことではなかった。

 何故に自分がそのようなところへ赴かなければならない。

 如来とは頭がとち狂った奴らのことを指すのか。


「まあ、そう最初から嫌がりんさんな。良え出逢いがあるかも知れんぞ。保障はせんが」


「それを無責任って言うんだぜ、釈迦」


 結局、敗者たる第六天に拒否権はなかった。

 大日も善悪の彼岸にある強者を好むがゆえに第六天を拒まなかった。

 薬師らも釈迦の方針を呆れながら認め、第六天は八洲へと遣わされた。


典拠は以下の通りです。


釈迦如来と阿弥陀如来が第六天魔王を降す:『浄土和讃』

天地開闢の時に阿弥陀如来が真っ暗な泥の海に光を射して鶏を飛ばし、霧島山に降りさせて刻を告げさせる:『おつたえ』


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