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日本神紀  作者: flat face
巻第三 地祇本紀 穴牟遅
65/228

第六十四段 荒魂

 終戦そのものは簡単に成立した。

 穴牟遅にもう継戦の意志はなかった。

 日槍も他人に水を差された形で穴牟遅との戦いを続けようとは思わなかった。


 大物主は自分が大和国やまとのくにを取ることを妨げず、他神に特権を与えるならば、三輪山みわやまに鎮まって己は何もしないと約束した。

 穴牟遅と日槍はその条件を呑んだ。

 日槍は播磨と吉備を出雲に返還し、その同盟国にも干渉しない見返りに但馬を割譲された。


 但馬は東大神族に寝返った者が最も多く、穴牟遅の下へ戻るのは遠慮された。

 日槍たちとしては自身の存在する意義を発見でき、安住の地も得られて文句はなく、大物主も他神の権利が保障されるという目的を達成できた。

 穴牟遅とて騒動の割りに犠牲を少なく抑えられて胸を撫で下ろしても良いはずだった。


 しかし、戦が終わっても穴牟遅は気が休まらなかった。

 日槍に苦戦して穴牟遅の権威は傷付いたが、播磨と吉備でも出雲に従わぬ者たちが増えた。

 しかも、その陰には他神たちがいた。


 もっとも、それは大物主が糸を引いていたのではない。

 他神たちにしてみれば、同胞たる常世神を裏切った穴牟遅は信用ならぬ王だった。

 大物主に命じられることもなく、他神たちは自主的に穴牟遅の裏を掻いたのだが、穴牟遅にはそれが大物主の差し金であるように思われた。



 穴牟遅の言葉を聞いて須勢理は驚いた。


大和やまとに兵を送るだって?」


 閲兵に向かおうとしていた穴牟遅は、戸口で戸惑う須勢理に頷いてみせた。


「大物主には釘を刺しておく必要がある。不穏な動きを見せるのではないと。別に本気で矛を交えたいわけではない」


「こっちが本気じゃなくてもあちらさんがその気になりゃ、また大変なことになるぞ?」


 馬に跨がろうとして鐙に片足を掛けていた彼は苦笑した。


「帝王である私は色々な服を着るように様々な務めをこなさなければならないが、君は帝室を取り仕切るという職務に専念してくれ。私のように働いて君が薄のように潮垂れてほしくはない。子どもたちが備えを怠らぬよう取り計らってもらいたい」


「……穴牟遅、少し待ってくれ」


 須勢理はそう答えて家の中に入ると、酒を盆に載せ、穴牟遅のところに戻ってきた。


「何のためにあの子たちや各国の代官がいると思ってんだよ。テメエの体は一つしかねえんだから、無理して壊しても替えが効かねえんだぞ? たまには昼間っから酒を飲んで寝ちまっても罰は当たらねえだろ」


 まさかの返答に穴牟遅は眉間に皺を寄せた。


「最近のテメエは他人に対してどころか自分に対しても強引すぎる。テメエに万一のことがあったらみんなが哀しむし、このオレだってそうだ。そんなオレの酒がまさか呑まねえとは言わねえよな?」


 勝ち気な態度の下にいじらしさを滲ませ、可愛らしく小首を傾げながら須勢理は問い掛けた。

 その様子に気分を害していた穴牟遅も、ふっと顔を綻ばせた。

 それを見て須勢理は内心でほっと息を吐いた。


 穴牟遅を心配する気持ちに嘘はなかった。

 しかし、皆のために策を弄することも須勢理は覚えていた。

 もう穴牟遅は夢見るように理想を須勢理に語った彼ではなかった。


 それでも、須勢理は穴牟遅が志を捨てたとは思っていなかった。

 寧ろ夢見るだけで良かったかつての日々より真剣に理想と向き合っていた。

 ただし、穴牟遅が向き合う理想は、時に彼を責め苛んだ。


 既に彦名ばかりか養子たちですら穴牟遅は変わったと言っていた。

 彼は三丹の造反を許した罪で火明を播磨の離島へ送った。

 それは実質上の追放だった。


 穴牟遅の心は荒魂あらみたまばかりになってしまったと嘆く者もいた。

 だが、須勢理にとって穴牟遅は今でも昔の彼だった。

 状況が穴牟遅を追い詰めているだけなのだ。


 当然ながら、そうであるからと言って、穴牟遅に何ら落ち度がないと須勢理も考えているわけではなかった。

 ただ、それを訳知り顔で批判することが須勢理には出来なかった。

 穴牟遅の強引さに傷付く人々がいるのは、須勢理も分かっていた。


 それでも、誰も彼もが掌を返しては穴牟遅が余りにも報われないではないか。

 須勢理は穴牟遅を愛していた。

 たとえ穴牟遅の側に立つことで自身が矢面に立たされても良い。


 実際、須勢理もまた難しい立場に置かれていた。

 出雲の勢力圏において穴牟遅に睨まれた者たちは須勢理を頼った。

 須勢理ならば穴牟遅の怒りを宥めることが出来るだろうと。


 そのことで穴牟遅が須勢理を疑うようなことはなかった。

 穴牟遅も須勢理を愛し、彼女に全幅の信頼を置いていた。

 須勢理は穴牟遅にとって理想を実現すると誓った過去の夢を象徴する存在だった。


 しかしながら、それ故に須勢理へ嘆願が集まるのを穴牟遅は嫌った。

 それは穴牟遅にとって汚してはならぬ理想に蠅がたかるようなものだった。

 それほどまでに穴牟遅は周囲と壁を作っていた。


 養子たちの中でも選り抜きの者たちだけが穴牟遅に侍られた。

 事代主や建御名方はその呪能や意志の強さゆえに穴牟遅の過酷さに付いていけた。

 そうでない者たちは畏れから穴牟遅に従った。



 いつしか畏怖は純然たる恐怖に変わり、それが出雲を支配した。

 褒賞よりも懲罰が人々を動かす原理となり、それを皆が仕方ないと諦めた。

 須勢理も穴牟遅を慮る徐々に強まる締め付けを止められなかった。


 日槍は元より穴牟遅を介した自己の存在証明が大事で、出雲を気遣うくらいなら東大神族や但馬のことに気を配った。

 大物主も八洲には他神のために居続けているようなものだった。

 出雲の勢力圏にない国々も自分のところに精一杯で、余所に構う余裕などあるわけもなかった。


 八洲において唯一そのような余力があるのは高天原だった。

 そして、高天原は穴牟遅に葦原中国の統治を委任したという責任を感じていた。

 それは諸国から見れば、勝手な取り決めでしかなかったのだが、穴牟遅のことで行動しようとする勢力は高天原しかいなかった。


典拠は以下の通りです。


天日槍命が但馬国を領有し、大穴牟遅神が火明命を播磨の離島に追放する:『播磨国風土記』


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