第六十三段 黄泉島
穴牟遅たちと日槍たちの決戦は吉備との国境に近い出雲の河畔で起こった。
そこは河川と切り立った山に挟まれて攻めるのには不利だったが、日槍はそこから侵入せざるを得なかった。
日槍たちは龍脈を活かして侵攻していたが、裏を返せばそれは土地の条件に強く縛られていた。
そのことは穴牟遅も承知しており、兵を山に隠れさせ、河畔の細道に入った日槍たちを襲わせた。
建御名方の呪能で河畔は沼地と化し、日槍たちは泥に足を取られ、そこを穴牟遅たちに攻撃された。
穴牟遅は呪能で位置の情報を改竄し、味方は沼に足を取られないようにしていた。
日槍たちは山を登って河畔の沼地から逃れようともしたが、穴牟遅がそこに忍ばせた伏兵たちに阻止された。
東大神族は危機的な状況に置かれた。
それでも、日槍は嬉しげな様子だった。
「穴牟遅、お主には礼を言うぞ!」
日槍も呪能を振るい、沼地を元の状態に戻そうとして建御中方と拮抗した。
「どうして俺たち東大神族が異郷を彷徨わなければならなかったのか。それはお主のような者たちと出逢うためだったのだ。俺も故郷を後にしなければ、お主のような存在がこの世にいると知らずに終わっただろう」
互いに敵の支柱となっている呪能を潰すべく穴牟遅と日槍は斬り結んだ。
「お前の自己満足に付き合う気はない」
穴牟遅は生大刀と生弓矢で日槍を攻めたが、それを日槍は地表の素材から作り上げた壁で防ぎ、同じようにして作った何本もの槍に地面から穴牟遅を襲わせた。
「なるほど、理想の国という高尚な自己満足を求める王は、言うことが違う」
日槍の皮肉に穴牟遅は言い返さなかった。
◆
穴牟遅とて今の自分に何らごまかしがないと思ってはいなかった。
出雲を存続という大義名分があるとは言え、今の自分はかつての志に背いていた。
そうでありながらもなお葦原中国の平定という旗印を掲げているのだから、それを自己満足と評されても仕方なかった。
しかし、今更どうしろと言うのだ。
既に穴牟遅を大国主とする体制が出雲の勢力圏に出来上がっており、思い通りに行かないからと言って放り投げる方が無責任だった。
皆を守りたいという気持ちに偽りはなかった。
統治に妥協は付き物だろう。
理想通りであろうと凝り固まるより回り道をした方が得られるものの多いこともある。
自分の領域に拘る点で古参の国津神たちも彦名ら常世神も変わりはない。
それでも、彦名を乱暴に振り払った手が疼いた。
あれにより穴牟遅は理想に燃えていた頃の己と手を切った。
そのことを考えないようにするかのごとく彼は職務へのめり込んだが、抑圧した感情に心を気付かぬまま苛まれた。
「お前さえ来なければ俺は……!」
「思い通りに理想の国を創れたとでも言うのではあるまいな!?」
穴牟遅と日槍の戦いは激しさを増していった。
どちらとも迸る激情を敵将にぶつけ合った。
それに双方の能力が費やされ、兵士たちのために回す分が減り、文字通り戦闘は泥沼の様相を呈していった。
両軍の将が兵たちに能力を割けなくなったので、彼らは揃って泥に足を取られた。
戦場は混沌として終結の兆しが見られなかった。
このまま永遠に続くようにさえ思われた。
だが、終わりは突如として訪れた。
それまで静かであった河川が急に光り出し、瞬く間に光は大きくなっていった。
そして、川の中から光輝く蛟が大量に顔を出し、うねりながら泳いで川岸に押し寄せてきた。
◆
蛟の群れは両軍の合間を縫うように動き回り、双方の兵士たちに絡み付いた。
これには流石の穴牟遅と日槍も戦う手を止め、蛟が次々と顔を出す河川の方を見遣った。
すると、川が更に強く輝き、一人の女性が河岸に姿を現した。
その出で立ちは面妖だった。
褐色の妖艶な肢体には蛇が何匹も絡み付き、ある蛇は紫の髪を結い上げ、別の蛇は白い衣の帯となっていた。
目元がきつめの美貌には濃い化粧が施され、妖しげな魅力を放っていた。
「は~いはいはい、邪魔だからどいて頂戴ね~」
そこが戦場であるのを全く気にする様子もなく、女性は呆然とする兵らの間を我が物顔で歩いていき、穴牟遅と日槍の前で立ち止まった。
「水を差すな、女」
苛立たしげな表情で日槍が吐き捨てた。
わけの分からぬ存在ごときが穴牟遅との間に与えられたこの瞬間に要らぬ邪魔をするのではない。
そのような日槍の腹立ちを女性は鼻で笑った。
「知ったことじゃないわよ」
彼女は笑顔で片目を瞑ってみせたが、穴牟遅も日槍も警戒を解かなかった。
「あたしの名前は大物主神。黄泉島から来た他神よ。彦名から話を聞いてね」
黄泉島とは木国の南方に存在する常世であって八洲や浮縄、ボニン島などの狭間にあった。
「北の奴らが八洲を荒らし回ってるんだから、南も負けちゃいられないでしょ」
大物主の言い方は冗談めかしていたが、穴牟遅は彦名の意図が察せられた。
侵入してきた日槍たちは勿論のこと、穴牟遅の出雲も他神にとって友好的とは言えなくなってしまった。
そこで、ここぞという時に帰趨を決める第三勢力として他神を介入させ、双方に自分たちへ配慮させようとしたのだ。
(自力では如何ともしがたいから、同族の猛者を頼ったのか)
蛟は龍の一種とされる水の怪で、そのような物の怪を大量に使役する大物主が尋常とは思えなかった。
(ただでさえ日槍たちとの戦で疲弊しているのに、他神まで相手にすれば、それこそ出雲が滅びる)
後は交渉でことを有利に運ぶ他なかった。
典拠は以下の通りです。
大物主神が女神とされる:『三輪』
八洲の南方に黄泉島が存在する:『霊界物語』




