第五段 修理固成
伊邪那岐は丸い井戸の竹垣に両手を突いて溜め息を漏らした。
神人の力を神として祀る伊邪那岐と伊邪那美は、他の神人たちと同じ力を使うことが出来た。
そうして伊邪那美は高天原にいる天津神たちの能力ばかりか、全く同じ強さとは言えないけれども別天津神の力さえもある程度は複製できた。
しかし、伊邪那岐の方は相手の能力を満足に複製できないでいた。
そのことに伊邪那岐は劣等感を抱いた。
高天原にも神人たちが随分と増え、彼らが優れた能力を有していることは、それを複製させてもらっているからこそ身に染みて分かった。
「僕は伊邪那美のようになれない」
物心が付いた時から伊邪那岐は伊邪那美を間近で見てきた。
それゆえ、伊邪那美が複製の能力を使いこなす姿をずっと目の当たりにしていた。
妹に追い付けたらと思って伊邪那岐も励んではいたが、心のどこかで彼女には敵わないという諦めがあった。
「ボクがどうかした?」
「うわっ!?」
横からいきなり声を掛けられ、伊邪那岐は驚いて尻餅を突いた。
伊邪那美が井戸を挟んで伊邪那岐の前に立っていた。
兄の方にやってきた伊邪那美は、驚かせたことを謝りながら、彼に手を差し伸べて助け起こした。
「痛たたた……いや、別に何でもないよ」
「ふうん? ま、良いけど。それより国之常立さまがボクたちを喚んでるよ?」
自然と能力を使いこなす天才肌の彼女は物怖じしない反面、物事に余り拘らないところがあった。
◆
国之常立のことが伊邪那岐は苦手だった。
別に嫌いではなかったのだが、溢れる覇気が周囲を緊張させた。
それを受けて平気なのは別天津神たちを除けば伊邪那美くらいしかいなかった。
「楽にしてくれ」
(無茶言わないでください)
伊邪那岐は国之常立の御殿に足を踏み入れると、早速その主に気圧された。
国之常立に伊邪那岐たちを威嚇するつもりは毛頭なかった。
つねづね自分の能力を借り物でしかないと評する国之常立は、力を駆使しても誇示することはなかったが、本人は謙虚に振る舞っているつもりであっても、周りがそう受け取るとは限らなかった。
「それで、ボクたちに何の用?」
「質問に質問で返して申し訳ないが、葦原中国をどのように考える?」
葦原中国とは高天原の下にあって未だ固まらぬ地上のことで、高天海原の底と高天原の中間で漂い、葦が茂っているところからそのように呼称された。
「ん~、国津神の力を習いに伊邪那岐と一緒に行ったけど、土地の形が海月みたいに直ぐふにゃふにゃ~って変わっちゃうとこだったよ」
伊邪那美はよく伊邪那岐をあちこち連れ回し、能力の開発に勤しんでいた。
彼女は兄が妹のように力を操れなくても根気強く練習に付き合い、決して怒鳴ったり下に見たりはしなかった。
もっとも、それ故に伊邪那岐は余計に申し訳なく感じ、引け目を覚えた。
「そう、その未だ漂ったままでいる地上を固め、国土として整序してもらいたい」
「それでしたら、地の力を神として祀る国之常立の方が相応しいのでは?」
いきなりの大役に驚いて伊邪那岐はそう問うたが、国之常立は首を横に振った。
「国土として整序するには、地上を固めるだけでは不十分だ」
彼は赤と白の玉で飾られた剣鉾を伊邪那岐に手渡した。
「『五智の剣』または天之瓊矛と言う。これで高天海原を掻き探れば、国産みの拠点が出来るゆえ、そこで神人を産め。それは卿たちにしか頼めないことだ」
そのように頼まれては伊邪那岐たちも引き受けざるを得なかった。
◆
天浮橋の上に立ち、天之瓊矛を伊邪那美と共に構え、伊邪那岐はぼやきを漏らした。
「大変なことになったな……」
「でも、面白そうだね」
恐れを知らなさそうな満面の笑みで伊邪那美が答えた。
伊邪那岐はそれに暫し見惚れ、慌てて視線を外した。
それでも、共に天之瓊矛を構えることから伊邪那美の良い匂いや体の温かい柔らかさが感じられて彼はどぎまぎした。
どうしてか伊邪那岐は伊邪那美が気になって仕方なかった。
それは共に神人の力を祀るゆえ、互いに相手へ関心が向くからかも知れなかった。
ただし、伊邪那岐にとってそのような理屈はどうでも良く、わけの分からぬ恥ずかしさから伊邪那美に悟られたくなくて必死だった。
「まずは言われた通りに掻き探ってみよっか?」
「う、うん……」
高天海原に浮いた膏のような円いものが八葉の蓮華の形をしたので、二人はそこに剣鉾を指し下ろして掻き探った。
すると、コオロコオロと音がし、矛先が金属らしきものに当たった。
それは三つの輪っかのようなもので、天之瓊矛を引き上げてみると、矛の先から潮が滴り落ち、「ア・ビ・ラ・ウン・ケン」という五つの梵字を顕した。
梵字の「ア・ビ・ラ・ウン・ケン」は地水火風空を表徴し、国之常立から渡された土を振り掛けると、鉄囲山なる山から取られたその土は、火の雨となり、梵字を焼き固めて五角形の島に変じさせた。
そして、天之瓊矛も龍柱と化し、それを中心に広大な宮殿たる八尋殿が出来上がった。
伊邪那岐と伊邪那美は島を自凝島と、龍柱を天御柱と名付けて八尋殿に天降った。
「へえ、あの剣鉾がこんなに広くて大きな家になるなんて」
「島の方も見て回ろうよ!」
伊邪那美が伊邪那岐の袖を引っ張りながらはしゃいだ。
伊邪那岐も初めて仕事を成し遂げた気分になって心が浮き立っていた。
そうして伊邪那岐と伊邪那美は天御柱が聳える八尋殿を中心に自凝島を一廻りした。
以前にも葦原中国を見て回ったが、自分たちが造り上げた島を巡るのは新鮮だった。
有り触れた自然の景色が見違え、所々に発見があった。
それは互いに対してもそうだった。
典拠は以下の通りです。
国之常立神が伊邪那岐神と伊邪那美神に天之瓊矛を授ける:『神皇正統記』
伊邪那岐神および伊邪那美神へ国之常立神の授与したものが「五智の剣」とも呼ばれる:『日諱貴本紀』
高天海原に浮いた膏のような円いものが八葉の蓮華の形をし、伊邪那岐神と伊邪那美神がそこに天之瓊矛を指し下ろして掻き探る:『天地麗気府禄』
天之瓊矛で高天海原を探ると、金の三輪に当たる:『渓嵐拾葉集』
天之瓊矛の先から滴った潮が固まり、「ア・ビ・ラ・ウン・ケン」の五文字を顕して五角の島が出来る:『神祇秘抄』
鉄囲山が海に入れられ、火の雨を降らして地をなす:『神本地之事』
自凝島の上に差し立てられた天之瓊矛が天御柱となる:『先代旧事本紀』