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日本神紀  作者: flat face
巻第三 地祇本紀 穴牟遅
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第五十五段 八千矛神

 沼河姫と合意に達した穴牟遅は使者を立て、越にいる他の国津神たちにも協力してくれるよう頼んだ。

 すると、雄山おやま太刀王比古命たちおうひこのみことと船倉山の綊子姫命おさひめのみこと篠山しのやま貞治命さだぢのみこと、布倉山の伊勢彦いせひこ鳳至山中ふげしさんちゅう釜生彦かまなりひこが集まった。

 彼らと同盟を結んだ穴牟遅は、出来れば武力を使いたくなかったので、五人の神人たちに頼み、伊須流伎比古・姉倉比売・能登比咩に戦いを止めるよう伝えさせた。


 しかし、三人は仲直りをしたくても争いで利益を得ようと企む部下たちを御せず、和解の勧めに従えなかったため、穴牟遅はやむなく武力で彼らを鎮圧した。

 彼は誤解を解かずに戦乱を招いた廉で伊須流伎比古と能登比咩を人々の行き交う海辺にて晒し者にし、火に油を注いだ責任を取らせるため、加夫刀比古かぶとひこに嵐の夜には必ず山上にて赤い灯で難破船を救うよう命じた。

 姉倉比売と布倉比売ぬのくらひめ呉羽くれはに配流し、姉が争乱を起こして妹がそれを支えたことを償わせるため、紡績の技を広めさせた。


 裏を返せばそれだけで穴牟遅は彼らを許した。

 寧ろ戦争を利用した神人たちにこそ彼は厳しく処罰し、忠誠の証明という名目で重い労役を課した。

 そうした裁定に高天原も満足し、多くの神人を従える八千矛神やちほこのかみとして穴牟遅を認めた。



 建御名方は姫川の河原に腰を下ろし、川面を眺めていた。元から険しい表情をしていたが、今はそこに憂いの色も加わっていた。そのような建御名方の背中に声が掛けられた。


「あっ、建御名方ちゃん!」


 振り返らずとも建御名方には声の主が分かった。

 それでも、背後に視線を向ければ、八坂刀売やさかとめが建御名方のところに駆け寄ってきた。

 両膝に手を突き、荒い息を整えながら、八坂刀売は笑顔を浮かべた。


「小母さまが喚んでたよ」


 八坂刀売が言っているのは沼河姫のことだった。

 越と信濃が河川と湖を介して親密に交流していたので、人の行き来も多く、建御名方と八坂刀売も家族ぐるみの付き合いがあった。

 昔から八坂刀売は建御名方のことを気に掛け、母を大事にする建御名方は、姉のような八坂刀売のことも邪険には出来なかった。


「……そうか」


 それゆえにか、建御名方の何気ない仕草や言葉で彼の心情を察し、それについて直言できた。


「大穴牟遅に勝てなかったことが悔しいの?」


 建御名方に鋭い目付きで睨み付けられたが、彼女は笑みを崩さなかった。


「でも、小母さまたちのおかげで私たちは負けしなかったでしょ? こっちの要求も出雲に呑ませた。完敗したわけじゃない」


「それでも、オレが勝てなかったことに変わりはないだろう」


 そう答える建御名方の口調は如何にも苦々しげだった。

 物心が付いた時から建御名方は霊石を巡る争いに母が悩まされるのを見てきた。

 そのような母を守りたくて彼は強さを追い求めた。


 鍛錬に明け暮れ、人の輪の中に入っていこうとせず、孤立してもなお、建御名方は自らの在り方を変えなかった。

 鍛え上げられた建御名方の実力は、正しく一騎当千と言え、それは誰も否定できず、沼河姫も息子の真情を知るがゆえに彼の単独行動を強く咎められなかった。

 ただし、それはますます周囲に建御名方を敬遠させ、彼を狷介にしていった。


 それでも、建御名方は穴牟遅たちに勝てなかった。


「結局、オレは母を守れず、母はオレが努力せずとも──」


「はい、そこまで」


 ぽふんと八坂刀売が建御名方の頭に軽く手を置いた。


「貴方がすっごく努力してるのは、私もずっと見てきたけどさ、他の人もそうしてきたんだし、その量が貴方より少なくても見下して良い理由になんかならないわよ?」


「……オレが問題にしているのは、自身のことだけだ」


「だったら、貴方も全能じゃないんだし、たまたま今回は組み合わせが悪かったんだよ」


 八坂刀売に手を握られ、建御名方は立ち上がらされた。



 沼河姫は建御名方を屋敷に呼び出したが、そこには穴牟遅もいた。

 建御名方は沼河姫を守ろうとするかのごとく自然に身構え、それを彼女が身振りにより諫めた。

 穴牟遅は目を細め、懐かしむように二人の様子を眺めながら告げた。


「今のお前では却って母親を危険に曝すだけだ」


 助言するような穴牟遅の物言いに建御名方が眉根を上げた。


「私もかつて母を守るつもりで実際のところは母から守られていた。それくらい昔の私は弱かった。その時にお前と戦っていれば、何をやらせても敵わなかっただろう」


 建御名方の方へと穴牟遅がゆっくり歩み寄っていった。


「それでも、一つだけお前に優る点を挙げられるとすれば、私には運を活かそうとする心があった。根国に逃れてそこで素戔嗚尊たちに出逢えた。人の手を振り払ってばかりいるお前にはないものだ」


 穴牟遅の手が建御名方へ差し出された。


「私と出雲へ来い。世界を広げなければお前の実力は今のままで頭打ちだ。守りたいのが自分の殻ではなく母親であるつもりなら、一度は故郷から逃げてみろ」


 建御名方に付いてきていた八坂刀売が彼の手を握った。


「もし建御名方ちゃんがここにいたいなら、私が出雲に人質として行くから」


 越も出雲に保護される見返りに子女を差し出さねばならなかった。

 どちらの手を振り払うか。

 建御名方は八坂刀売と穴牟遅を交互に見比べ、それから、沼河姫の方を向いた。


「母さん、出雲にはオレを行かせてくれ」


「分かりました。ただ、私のことよりまず何より我が身を気遣いなさい、建御名方」


 そして、彼は八坂刀売に沼河姫の手を握らせた。


「八坂刀売、オレがいない間、母さんのことを頼む」


「うん、任せて!」


 満面の笑みを浮かべる八坂刀売に穴牟遅は妹の玉津日女を思い出した。


典拠は以下の通りです。


大穴牟遅神が姉倉比売神たちに刑罰を処す:『肯搆泉達録』


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