第五十二段 後妻嫉妬
幹部たちとの会議を終え、穴牟遅が夫婦の寝室に戻ると、そこには既に須勢理が帰っていた。
穴牟遅の疲れた顔を見た須勢理は、正座して彼に手招きした。
それに対して穴牟遅は少しためらった後、須勢理のところに行ってごろりと寝転がり、彼女に膝枕をしてもらった。
「また何かあったのかよ?」
「いつもと変わらないことだ。議題は違っても根本は変わらない。変化がないのは事態の改善についても言えるが」
嘆息する穴牟遅の頭を須勢理が優しく撫でた。
穴牟遅たちが八上姫の提案を受け入れると、同じ条件で出雲の傘下に入る国々が増えた。
勢いのある出雲と他国に挟まれたら、二正面で戦うことになる可能性もあったし、出雲の傘下に加われば、子弟を出雲に送り込めた。
しかし、それは自国と出雲を一体のものと見ているからではなく、自国は出雲より弱いと捉えるがゆえの保身だった。
出雲の神人たちも他国が傘下に収まるのをそう理解していた。
地域に根付く国津神は、土地に縛られない天津神のような安定性はなかったが、地力に助けられて呪力がより強力で、そうであるからこそ割拠しようとした。
大局的に見れば天津神も神人たちの世界に割拠しているようなものだったが、穴牟遅はそれを理由に国津神の現状を肯定しようとは思わなかった。
だが、穴牟遅がそのように思うのは、彼の呪力に法力が混ざり、地域に根付いていないからで、八上姫も濾過の呪能があるからこそ土地が孕む毒に気付けていた。
ただし、他神や黄泉神になる者もいるのだから、国津神に変化の可能性が全く存在しないわけではなかった
「君の子どもたちが唯一の希望と言って良いくらいだ」
諸国から預かった子弟たちの教育は須勢理が責任を持ち、彼女が育った根国は、余所から来た者ばかりが住んでいた。
須勢理によって育てられた神人たちは、穴牟遅の意図するところを汲み取ってくれた。
相手が誰であろうとも手を取り合えるような、国境のない世界を。
「オレたちの、だろ」
須勢理が穴牟遅と額同士を軽くぶつけ合わせた。
天井を見上げていた穴牟遅が須勢理に視線を移すと、彼女はにやっとした。
二人は暫し見詰め合い、今度は唇を重ね合わせた。
◆
穴牟遅と出雲の国津神たちに意見の不一致はあったが、それによって国が乱れることはなかった。
たとえ穴牟遅が説く理に賛同できなくても彼の有する力には臣従せざるを得なかった。
穴牟遅はそのような統治の在り方が不服ではあったが、王でいなければ夢の実現は難しかった。
それゆえ、彼は少なくとも後退はしないために王としての威信を保つことに努めてもいた。
しかし、高天原から来た一人の客に穴牟遅は堂々たる態度を失いかけた。
それほどまでに客人は規格外だった。
「ほう、お前が大国主の穴牟遅か。噂はかねがね耳にしている。一度会ってみたかったゆえ、神皇産霊に頼んで奴の代わりに来させてもらった」
穴牟遅に謁見したのは高皇産霊だった。
別天津神そのものは神皇産霊もそうなので、別に珍しくはなかった。
だが、高皇産霊は神皇産霊と違い、別天津神としての呪力を剥き出しにしていた。
黄泉神さえ凌ぐほどの力を彼は溢れさせていた。
しかも、それを気分次第で迸らせて周りを押し流す危うさが高皇産霊にはあった。
八十神と異なるのは高皇産霊には自制心が一応はあることだったが、それとていつ取り払われてもおかしくはなかった。
「そう身構えなくても良い。羽目を外さないと神皇産霊に約束した。残念ながら俺がお前を直接この手で試すことはない」
「つまり間接的に試すと?」
「ああ、お前に越を平定してほしいのだ」
高皇産霊によれば事情はこうだった。
越に補益山の伊須流伎比古神と船倉山の姉倉比売神がいて二人は夫婦だった。
ところが、伊須流伎比古が近くの杣木山の能登比咩神と親しくなると、それを浮気であると姉倉比売に告げ口する者たちがいた。
能登比咩は沼川郷の高志沼河姫と結んでいた。
沼川郷の渓谷では翡翠が採れた。
翡翠で作った勾玉は呪力を溜めやすく、それ自体も力を宿していたので、様々な用途に使えて神人たちから重宝されていた。
姉倉比売に告げ口した者たちは、そのような翡翠の採れる沼川郷を狙っていたのだ。
騙されているとは知らずに姉倉比売は能登比咩に後妻嫉妬をして彼女を襲撃し、敵の味方ということから沼河姫も攻められた。船倉山の石が礫となり、杣木山や沼川郷に雨霰と降り注いだ。
また、布倉山の布倉比売神も姉である姉倉比売の側に付いて参戦した。
能登比咩も応戦して風を起こし、海波を立てて石を防いだ。
更に加夫刀比山の加夫刀比古神が踏鞴で武器を作って能登比咩を援助した。
他の国津神たちもどちらかの側に加わって戦ったので、この動乱を収めるため、高天原は和解を勧めたが、姉倉比売たちと能登比咩たちは従おうとしなかった。
◆
ことの次第を説明した高皇産霊は愉快そうに告げた。
「高天原が戦いを終わらせても構わないのだが、天照がお前のことを見込んでいてな。越は穴牟遅に任せるべきだと」
それだけで穴牟遅は全てを察した。
「出雲が葦原中国の宗主であると高天原は認めた。そう受け取らせてもらう」
既に出雲は因幡や伯耆の実質的な宗主国となっていた。
それを高天原は咎めず、寧ろ越の争乱を鎮めるよう求めている。
これは葦原中国に対する出雲の宗主権を承認しているようなものだった。
「争いを止められたらの話だ。出来なければ今までの不相応な越権行為を裁くのみ。全く以て俺好みの試練だ」
素戔嗚の娘婿がどのような活躍を見せるか、高皇産霊は楽しみで仕方なかった。
典拠は以下の通りです。
高皇産霊尊が姉倉比売神たちと能登比咩神たちの争いを止めるよう大穴牟遅神に頼む:『肯搆泉達録』




