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日本神紀  作者: flat face
巻第三 地祇本紀 穴牟遅
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第五十段 黄泉平坂

 天照と穴牟遅の呪能はどちらも自他を瞬間的に移動させられた。

 しかし、天照の呪能は自身がどこか離れた場所に移動するのが本領で、その応用として自身に接触ないし同調した物体を移動させられた。

 対して穴牟遅の呪能は対象がそこに存在するという事実を改竄し、離れた空間に転送するのが本領で、それを自身に適用して瞬間的に移動できた。


 つまり穴牟遅にとっては自身を瞬間的に移動させることは、本領ではなかったため、多用するのには無理があった。

 また、呪能が開花してまだ日が浅く、十全に発揮できていなかった。

 それゆえ、穴牟遅と須勢理は自分の足で走る他なかった。


 彼らは黄泉平坂に向かっていた。

 黄泉平坂は黄泉神らが黄泉や根国へやってくるのに通る道で、何本も存在していた。

 素戔嗚の城を抜け出した二人は、須勢理の案内で最も近くにあるのを目指した。


 黄泉神を鎮めるために根国を駆け回った経験から須勢理は道を誤らなかった。

 夜も更けて真っ暗だったが、穴牟遅が呪能で周囲にあるものを察知し、障害になりそうなものがあれば回避した。

 やがて須勢理が遙か前方を指差した。


「あそこにあんのが黄泉平坂だ、穴牟遅!」


 確かに穴牟遅の目にも天まで届かんばかりの大樹が見えた。

 これまでずっと緊張していたのが緩みかけた。

 しかし、穴牟遅の呪能が何かの急速に接近してくるのを捉えた。


「須勢理、何かが凄い勢いでやってくる!」


 穴牟遅が振り向いた方角に須勢理が蹴りの衝撃波を放った。

 だが、衝撃波は向こうから吹いてきた暴風に打ち消され、その後から鼠の大群が湧き出てきた。

 素戔嗚と奇稲田が追い付いたのだ。



 奇稲田が満面の笑みで叫んだ。


「さあ、駆け落ちするなら親の反対を押し切ってみろ、我が愛娘とその益荒男よ!」


 無数の木の根が地を割って現れ、穴牟遅と須勢理に襲い掛かった。

 須勢理は蹴りの衝撃波で木の根を薙ぎ払ったが、そちらへ気を取られている彼女に素戔嗚が暴風を放った。

 それに対して穴牟遅が位置を操作し、須勢理に暴風が当たらないようにさせた。


「呪能が開花したばかりの割りには上手く連携しているようだが、守りに徹しても埒は開かんぞ?」


 素戔嗚が評する通り穴牟遅と須勢理は手詰まりになっていた。

 二人と同じく素戔嗚と奇稲田も連携しており、暴風と木の根は猛攻は緩急を付けて穴牟遅と須勢理を襲った。

 流石は長く連れ添った夫婦だけあって素戔嗚と奇稲田の連携は絶妙で、時が経つほど穴牟遅と須勢理は傷を増やし、疲弊の色合いを濃くしていった。


「もう根を上げるのか?」


 幾つも棘が生えた根っこに娘たちを襲わせながら、奇稲田は残念そうに嘆じた。


「これくらいの壁なら素戔嗚は容易く打ち破ったろうに」


 止めを刺さんとばかりに素戔嗚と奇稲田の呪能で大気と地面が震え、その震動に息を呑みながらも穴牟遅はきっぱりと言った。


「……貴方たちの流儀に合わせようとは思いません」


「そうか」


「なら、貴様たちの流儀を見せてくれ!」


 素戔嗚と奇稲田の呪能が穴牟遅と須勢理に襲い掛かった。

 穴牟遅が須勢理に何事かを耳打ちした。

 須勢理は一瞬だけ驚いた表情を浮かべたが、決心したように穴牟遅へ頷いてみせ、彼を背に負った。


 それに素戔嗚と奇稲田が怪訝な顔をしたのも束の間、穴牟遅が位置を操作して地面から突き出させた木の根を須勢理が思い切り踏み付けた。

 斥力によって反動が増し、穴牟遅を背負った須勢理は宙高く跳び上がった。

 そして、空中で反転したところに来るよう操作された暴風に向け、彼女は渾身の蹴りを放った。


 その蹴りによる衝撃波が暴風とぶつかって炸裂し、穴牟遅と須勢理を吹き飛ばした。

 黄泉平坂へと。

 穴牟遅は須勢理が着地すると、彼女の背中から下りて言い捨てた。


「壁を打ち破れないなら乗り越えるまでです」


 そうして二人で黄泉平坂を駆け上がっていった。

 残された素戔嗚と奇稲田は呆気に取られた。

 しかし、奇稲田は直ぐ口元を緩めて忍び笑いを漏らし、やがて大声で笑った。


「素戔嗚、見たか!? 貴様ほどではなくても大した男だな、婿殿は! 俺様に似て須勢理は男を見る目があったようだ」


「……ああ、それだけに娘の花嫁姿を見られんのが残念でならん」


 娘たちの後ろ姿を妻と並んで見送りながら、素戔嗚は呪能を振るった。



 根国に来た時と同様、根っこで出来た洞窟のような道を須勢理と共に駆け上がり、穴牟遅は葦原中国を目指した。

 素戔嗚と奇稲田が追ってくる気配はなかった。

 ところが、不意に素戔嗚の声が辺りに木霊し、穴牟遅と須勢理を驚かせた。


「その三種宝は結納品にくれてやる。須勢理がお前に嫁ぐためのな」


 どうやら素戔嗚は風を操り、二人のところまで声を届けているようだった。


「お前はそれで須勢理と共に出雲を取り戻し、葦原中国を治めることで結納としろ、我が継嗣よ」


「須勢理、婿殿に家を建てさせてそこで一杯可愛がってもらえ! 俺様も素戔嗚にそうしてもらったものだ!!」


 奇稲田の声も風に流れてきた。


「父さん、母さん……」


 もう二度と聞けないかも知れない両親の声に須勢理は身を震わし、目に涙を浮かべ、そのような彼女の肩に穴牟遅が手を置いて言った。


「こっちの声は向こうに届かない。だから、君に誓わせてくれ。素戔嗚から出雲を受け継ぐ者として約束は必ず守ると」


 そう誓約した通り穴牟遅は地上に出て出雲に帰ると、内外の同志たちと呼応して兵を挙げ、城名樋山きなひやまに城を構えて来次きすきで八十神を討った。

 空亡の稜威に強く毒された八十神は根国へ追い払われ、素戔嗚の手で投獄された。

 解放された冬衣ら出雲の国津神たちは穴牟遅を王と認め、高天原も天津神が無関係なら、自治を尊重するとしてその政変に介入しなかった。


典拠は以下の通りです。


大穴牟遅神が城名樋山に城を構え、来次で八十神を討つ:『出雲国風土記』


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