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日本神紀  作者: flat face
巻第三 地祇本紀 穴牟遅
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第四十九段 三種宝

 素戔嗚の寝室は柱の間隔が八尺もあるほど広大だった。

 そこに穴牟遅を呼び入れた素戔嗚は、寝台に横たわって目を瞑り、彼に髪を手入れさせた。

 穴牟遅は胸の内に渦巻く感情を押し殺し、黙々と素戔嗚の髪を手入れした。


「お前は狡猾さも足りない」


 眼を閉じたまま素戔嗚が穴牟遅に言った。


「王には狡知も要る。お前も知恵の回る方だが、まだまだ小賢しいだけに過ぎん。その点でもお前は王の器ではない」


 素戔嗚の言葉は独り言のようで、穴牟遅は黙って聞いた。


「ただ、どれほど狡知に長けても初志だけは忘れるな」


 忠告するかのごとくそう言い残し、素戔嗚は寝てしまった。


「……」


 その姿を暫し観察していた穴牟遅は、素戔嗚の髪を寝台の柱に縛り付け、彼から学んだ呪詞で封印を施した。



 穴牟遅は寝室から廊下に出ると、窓から庭を見渡し、動かすには五百人もの人で引かねばならない巨岩を見付けた。

 彼は呪能で振るい、その五百引いほびきを移動させて岩で寝室の戸口を塞いだ。

 それから、素戔嗚と初めて会った部屋に行った。


 そこに生大刀・生弓・天詔琴があるのを穴牟遅は覚えていた。

 生大刀と生弓は活き活きとした力があり、天詔琴は弾けば遠く高天原とさえ連絡が取れた。

 穴牟遅は呪能が戦いに向いていなかったので、出雲を奪還して統治するのにそれら三種宝みくさたからが是非とも欲しかった。


 三種宝は異形の百足に守られていたが、ものを移動させる穴牟遅の呪能に掛かれば、椋の実と赤土で作った玩具のように他愛なかった。

 穴牟遅は難なく手に入れた三種宝を袋に詰め、何食わぬ顔で部屋を後にした。

 廊下で擦れ違う屋敷の人々も、まさか穴牟遅がそのように大それたことをしていると思わず、彼と就寝の挨拶を交わした。


 素戔嗚が眠っているようにもう夜だった。

 根国を照らす苔の光が弱まり、辺りは暗くなっていた。

 穴牟遅は自室に戻って支度し、それから、須勢理の私室を訪ねた。


「こんな夜中に何て格好してんだよ?」


 今日のことで心が昂ぶって寝られないのか、須勢理は寝間着でありながらも眠そうにはしていなかった。

 それに対して穴牟遅は旅支度をしていたので、須勢理が怪しむの無理はなかった。

 疲れ切っているだろうからと思い、一緒にいたい気持ちを抑え、須勢理は会わずにいたのだが、穴牟遅は何か吹っ切れたかように寧ろ力強く見えた。


「また何か父さんに言い付けられたのか?」


「いや、これは俺の意志だ」


 その一言で須勢理は察した。

 穴牟遅は出雲に帰るつもりだ。

 八十神から故郷を取り戻して大国主となるために。


 それは穴牟遅と根国の決別だった。

 素戔嗚は穴牟遅に王の器があることを否定した。

 穴牟遅はそれに逆らおうというのだ。


「穴牟遅……」


 須勢理も穴牟遅に付いていきたかった。

 しかし、根国と決別する彼に同行するのは、須勢理にとっては故郷との絶縁を意味した。

 根国で育った須勢理は、その地とそこで暮らす人々を愛していた。


「須勢理」


 心が揺れる須勢理の目を見詰めて穴牟遅が告げた。


「俺は君と夢を追いたい」


 追って走って駆け抜けて。

 その道がどこに通じ、そこにどのような景色が広がっているのか。

 果たしてそれは理想の国なのか。


 穴牟遅は何も保証できなかった。

 彼は未だ何者でもなく、あるのはただ志だけだった。

 だから、穴牟遅は偽りのない願いを須勢理に捧げた。


「……一番近くでテメエと走んのはオレだかんな」


「勿論だ」


 穴牟遅が須勢理の手を取った。



 素戔嗚は虫の知らせで目を覚ました。

 彼は呪詞を解除して髪を柱からほどき、呪能で岩を砕いて寝室の外に出た。

 廊下では奇稲田が壁に凭れていた。


「穴牟遅は一人で逃げたのか?」


「いや、須勢理も一緒に駆け落ちしたよ」


 くすくすと奇稲田は嬉しげに笑った。


「何とも情熱的な話だが、貴様はそれを邪魔しに行くのか?」


「男の前に娘の父親が立ち塞がるのもお前好みの筋書きだろう?」


「ああ、全くその通りだ」


 楽しそうな奇稲田の足下から湧き出すかのごとく鼠が何匹も現れた。

 鼠たちは何かを追い掛けるかのように走っていった。

 素戔嗚と奇稲田も鼠たちの流れを追った。


「追い付けるのか?」


 奇稲田が懸念を口にした。

 穴牟遅の呪能は自他を瞬時に移動させることを可能にしていた。

 たとえ認識できる範囲の移動であっても多用されれば、彼我の距離は瞬く間に広がった。


「穴牟遅の呪能は天照姉のようなものではない」


 天照も自他を移動させる点で穴牟遅と呪能が似ていたが、素戔嗚は両者に違いを見出していた。


「急げば追い付くことも出来るだろう」


 二人が屋外に出ると、彼は呪能で風の動きと速さを操った。

 風は素戔嗚と奇稲田を宙に舞い上げ、鼠たちの後を追うように飛ばした。

 かつて大蛇と融合していた奇稲田は、荒れ狂う呪力を鎮められてからも肉親とは力が強く同調し、娘である須勢理の存在を遠くからでも感知できた。


「あいつも狡知に必要な大胆さはひとまず身に着けられたようだな」


 奇稲田と共に宙を飛びながら、素戔嗚は口角を上げた。


典拠は以下の通りです。


三種の神宝が三種宝と呼ばれる:『秀真伝』


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