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日本神紀  作者: flat face
巻第三 地祇本紀 穴牟遅
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第四十六段 蛇比礼と蜂比礼

 穴牟遅は根国から早く出たかった。

 因幡の代官は穴牟遅が行方不明ということで神皇産霊が代理を務めることとなり、ある程度の猶予はあった。

 しかし、当然ながら永遠に時間稼ぎが出来るわけもなかったので、一日も早く一人前となって葦原中国に帰らねばならなかった。


 ただ、一人前になるにはそれなりの時間が必要で、急いてはことをし損じる。

 そのもどかしさに穴牟遅は悩んだが、それを和らげたのはある種の解放感と須勢理の存在だった。

 これまで八十神から直に苦しめられてきた穴牟遅は、彼らの手から逃れて久方振りに自由を満喫できた。


 八十神を蹴散らして穴牟遅を根国に迎え入れた須勢理は、そのような自由の象徴で、葦原中国で年頃らしい経験をしてこなかったこともあり、情熱は勢い良く燃え立った。

 そして、根国にいる間は、須勢理と一緒にいられる。

 それが穴牟遅の逸る心を抑えた。



 素戔嗚から言い付けられた通り須勢理は自分が作業している部屋に穴牟遅を案内した。

 そこは壁を塗り込めて窓のない室で、異形の蛇や百足、蜂などの巣箱が所狭しと置かれてあった。

 それらは威嚇するかのように不気味な物音を立てていた。


 穴牟遅がたじろいでいると、須勢理が領巾を渡した。


「オレの術式を組み込んでるから、体に何重にも巻き付ければ、あいつらの毒を弾ける」


 彼女が神として祀るのは台風の力だった。

 攻撃されても斥力によって跳ね返し、逆に相手へものを弾き飛ばすことも出来た。

 呪能を振るえなくても呪力はあったので、穴牟遅も呪具は使えた。


「力が荒れ狂ってないオレたちにとっちゃこいつらは毒だが、そうじゃねえ奴らには薬になる。オレたちの仕事はその薬を作ることだ。手本を見せてやるからな」


 そう言って須勢理は巣箱に手を突っ込み、良く肥えた蛇を掴み出すと、その口を大きく広げ、頭を絞るようにして牙から毒汁を出させた。


「こうやって汁を壺に入れんだよ」


 須勢理が異形の蛇を素手で掴んだことに穴牟遅は度肝を抜かれたが、やらないわけには行かなかった。

 素戔嗚に課せられた役目を最初から放り出していては、一人前になることなど出来なかった。

 それに、須勢理の前で格好悪いところを見せたくもなかった。


 領巾の効果を信じ、穴牟遅は須勢理から教えられた通りに巣箱を探った。

 掴み出した蛇は暴れて噛み付こうとしたが、何とか毒汁を壺に出させることに成功した。

 須勢理の動きを注意深く観察していた彼は、こつを掴むのも早かった。


「へっぴり腰でも筋が良いな、テメエ」


 褒められて穴牟遅は嬉しく思った。

 須勢理が褒めてくれたということもあったが、そもそも、純粋に褒められるのは久々のことだった。

 これまで穴牟遅を褒めるのは若比売くらいで、それも復讐のためだった。


「これなら作った薬を黄泉神に飲ませるのも手伝わせられそうだぜ」


 邪気のない笑顔で須勢理がそう言い、可憐なその笑みに見惚れつつ、穴牟遅は顔から血の気が引いた。



 根国と黄泉は黄泉神の棲んでいるところという点は同じだったが、荒れ狂う呪力を鎮める方法は異なっていた。

 黄泉の黄泉神たちは暴走が激しくなる度に呪力を通い合わせ、互いに相手の力を相殺して抑止した。

 それは特別な道具や技術を必要としなかったが、体を接合させて融合と分離を繰り返すので、自我の境が曖昧となって理性を失い、呪力が安定しても狂暴になることがあった。


 対して根国は常世より伝来した製法で薬を作り、定期的にそれを飲ませて黄泉神を鎮めていた。

 手間の掛かるやり方ではあったが、黄泉で行われているのと違い、狂暴になることはなかった。

 もっとも、既に黄泉で狂暴になった黄泉神には通用しなかったし、暴走が激しくなった者に薬を飲ませるのには危険が伴った。


 須勢理は薬を作るだけではなく、それを黄泉神に飲ませることもやっていた。

 無論、根国の黄泉神に須勢理だけで対処しているわけではなく、彼女の手に負えなければ素戔嗚も出た。

 穴牟遅も須勢理を手伝ったが、やっていることはと言えば、彼女に蹴り倒されて気絶した黄泉神に薬を飲ませるくらいだった。


 穴牟遅と須勢理は一仕事終えると、よく野原で弁当を広げ、話に花を咲かせていた。

 須勢理は葦原中国からやってくる黄泉神や他神と交流があったので、外の世界のことを意外と知っていた。

 当然ながらその知識は体験を伴ったものではなく、お伽噺のようなものではあったが、以前の穴牟遅が根国について知っていたことも似たようなものだった。


 互いの不足を補い合うかのように二人は様々なことを話し、家族のことも話題に上がった。


「へえ、余所に妹がいんのかよ。何つう名前なんだ?」


玉津日女命たまつひめのみこと。今は播磨国はりまのくに讃容さよってところにいる」


 八十神が出雲を支配するようになった際、亡命した神人たちもおり、その中には若比売たちによって逃がされた玉津日女たまつひめもいた。


「きっとあっちで新しい暮らしを初めているだろうから、八十神から出雲を取り戻しても妹が新しい暮らしを放り出せるかは分からない」


 穴牟遅は遠くを見据えるような眼差しで言った。


「だから、葦原中国に帰ったら出雲を取り戻すだけじゃない。出雲から播磨はりまや他の国々へ自由に行き来できるような世の中を創る。皆が誰とも争わずに繋がれる世の中を」


 そうしなければまた争いは繰り返されるだろう。


「そのためなら俺は出雲だけじゃなく、葦原中国の全てを平らげてやる」


 ずっと根国で須勢理の側にいたかったが、その想いを超える願いが穴牟遅を突き動かした。

 決意を言葉にする穴牟遅は、前だけを見ていた。

 その横顔に須勢理は胸が高鳴った。


「……その夢、叶うと良いな」


 須勢理が物心付いた時、根国は既に平安が保たれていた。

 そこに流れてくる黄泉神たちも、求めるものは安らぎだった。

 そのような環境下で育った須勢理は、これから秩序を創り上げようとしている穴牟遅の姿が眩しく見えた。


典拠は以下の通りです。


大穴牟遅神の妹である玉津日女命が讃容にいる:『播磨国風土記』


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