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日本神紀  作者: flat face
巻第三 地祇本紀 穴牟遅
44/228

第四十三段 御祖

 我が子を火に焼かれ、若比売は即座に彼の下へ駆け寄った。

 木々の間から八十神の神人たちが出てきたが、若比売に危害を加えるようなことはしなかった。

 彼らの目的は赤猪を使って穴牟遅を追い詰め、その呪能を開花させることだった。


 しかし、穴牟遅の呪能が花開くことはなかった。

 天照より代官に任命されたからと期待するも当てが外れ、失望した八十神は穴牟遅に興味を無くした。

 彼らは赤猪を連れ、山から去っていったが、そのことに構う余裕など若比売にはなかった。


 釵に呪力を込め、穴牟遅を挟む木を砕き、彼を助け出してみると、火炎が直撃した割りにその火傷は軽かった。

 周りが広い範囲で焼けていたので、恐らく風が吹いたか何かで火が分散したのだろう。

 だが、穴牟遅はぐったりしており、このまま息絶えてしまうかも知れなかった。


 穴牟遅を癒やせるようなものを探索しても見出せなかった。

 ないものは探り当てられない。

 呪能そのものも焦りによって精度が落ちた。


 夫と生き別れて子どもとは死に別れるのか。

 これまで気丈に耐えてきた心が崩れ落ちそうになった。

 そうなるのを必死に堪えながら、穴牟遅を抱き上げた時、若比売の呪能に大きな反応があった。


「いきなり何だってんだい?」


「お久し振りです、若比売」


 近くの空間に黒い穴が開き、神皇産霊が二人の女神を引き連れて現れた。



 別天津神である神皇産霊は空亡が創造した地上を自分の呪力によって刺激し、大地が豊かな稔りをもたらすように国津神を生まれさせてきた。

 それ故に国津神たちは神皇産霊を御祖と呼んだが、親子の関係がそうであるのと同じく彼女の権威は絶対的なものではなかった。

 国津神たちも子作りするようになっていたし、伊邪那岐と伊邪那美による国土の整序が中断して以降、神皇産霊ら高天原の神人たちは葦原中国へ積極的に関与していなかった。


 高天原は整序されていたが、そうであるかと言って天津神たちがその秩序を葦原中国にまで及ぼせるかどうかは別だった。

 実際、国津神たちは住んでいるところの秩序をほぼ独力で保たなければならず、そのような状況下においては高天原の権威も名目的なものにしかならなかった。

 それでも、神皇産霊だけは息子の八尋鉾長依日子命やひろほこながよりひこのみこと生馬いくまに、その兄弟たる天津枳比佐可美高日子命あまつきひさかみたかひこのみこと漆治しっちに遣わすなど何かと葦原中国に関わりを持とうとしていた。


「どうしてここに……? いや、そんなことはどうだって良い! 穴牟遅が大変なことになったんだよ!!」


 若比売も神皇産霊とは面識があったので、警戒することなく、彼女に助けを求めた。


「このようなことになりかねないと危ぶんではおりましたが、まさか八十神の動きがここまで早いとは思いませんでした。そのことにつきましては穴牟遅を代官とした私たち高天原に責任があります。ですから、この件は任せてください」


 神皇産霊の後ろに控えていた女神たちが若比売に穴牟遅を地面に置かせ、その側に侍った。


「娘の蚶貝比売きさがいひめ蛤貝比売うむぎひめです。赤貝と蛤の力をそれぞれ神として祀り、傷や病を癒やして呪力の暴走を鎮めます。最初は伊邪那美を元に戻せないかと研究していたのですが、それがこのような形で役に立つとは……」


 複雑そうな神皇産霊を余所に穴牟遅は蚶貝比売と蛤貝比売が調合した薬によって癒やされた。



 全快した穴牟遅も交え、神皇産霊たちは今後のことを協議した。


「八十神の奴らはこのことに直ぐ勘付くだろうね」


 若比売が忌々しげに言った。


「ええ、この子たちは葦原中国に住まわせますが、それも根本的な解決にはならないでしょう」


 神皇産霊は若比売の言葉に頷き、蚶貝比売と蛤貝比売の肩に手を置いた。

 高天原の天津神も葦原中国に長くいると、神人としての性質が国津神のものになっていくので、葦原中国に住むことは、高天原との別離を意味したが、どうやら蚶貝比売と蛤貝比売は覚悟が出来ているようだった。

 二人の呪能は呪力が荒れ狂って争いの絶えない葦原中国に必要とされるものだった。


「今回のことは明らかに高天原の裁定に反していますが、それに対して何かしら行動は起こさないのですか?」


「罰することは簡単ですけれども後が問題です。高天原は最初から整序されていましたので、天津神は秩序を維持するのに向いていても国津神ほど乱世に強くはありません。ですから、貴方が頼るべきは私たちに匹敵し、葦原中国を治めた経験のある神人です」


「おい、それって……」


 若比売が神皇産霊の言わんとするところを察した。


「はい、根国の素戔嗚を頼るのです。素戔嗚ならばきっと穴牟遅を保護してくれます。それだけでなく、国を背負う神人に鍛え上げてくれるでしょう」


「あそこは黄泉神がわんさかいるところだよ!」


 いつもの若比売なら穴牟遅を根国にやったことだろう。

 しかし、その時は穴牟遅が死にかけるのを見せられた直後で、息子のことが心配でならなかった。

 普段の若比売が憎悪に染まっているのも、夫のことが不安で堪らないのに耐えるためかも知れなかった。


「黄泉神は異形ですけれども八十神のような悪意はありません。それに、根国の秩序を保っている素戔嗚の実力は貴方の方がご存知でしょう?」


 我が子の身を案じる若比売に穴牟遅が言った。


「俺は根国に行くよ、母さん。このままだったら奴らは母さんや父さんにも危害を加えるようになるかも知れない。いつまでも親の脛を囓っていられないしね」


 母を安心させるように穴牟遅は微笑んでみせた。


「……ふんっ、尻の青いひよっ子が一丁前に親孝行かい!」


 素直でない若比売に神皇産霊は秘かに苦笑した。


典拠は以下の通りです。


神皇産霊尊の息子である八尋鉾長依日子命と天津枳比佐可美高日子命がそれぞれ生馬と漆治に住む:『出雲国風土記』


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