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日本神紀  作者: flat face
巻第三 地祇本紀 穴牟遅
43/228

第四十二段 赤猪

 代官として因幡に赴任するため、穴牟遅は出雲を発った。

 その際に八十神は通り道の伯耆で赤猪あかいなる神猪を捕まえるよう命じた。

 赤猪はほぼほぼ黄泉神と化し、伯耆を荒らしているとのことだった。

 穴牟遅は捕らえた赤猪を他神に引き渡せとも言われた。


 黄泉神となってしまった者は、根国などに引き取られていたが、その手引きは他神が行っていた。

 内外の天地を行き来する他神は、各地の事情に通じ、どこにでも姿を現した。

 八十神の使いっ走りとして穴牟遅も他神と何度か交渉していた。


 しかし、穴牟遅は未だ呪能が開花しておらず、黄泉神を相手するなど無茶な話だった。

 それでも、八十神の命令に逆らえぬ以上、それに従う他はなかった。

 若比売は息子の晴れ舞台を見届けると述べて穴牟遅に同行した。



 伯耆の手間てまにある山を進みながら、若比売が穴牟遅に言い含めた。


「あたしの傍から離れるんじゃないよ」


「分を弁えてはいるつもりだ」


「あんたにゃ経験がないからね」


 国津神とていつまでも黄泉神にやられっぱなしではなかった。

 呪力の暴走を完全に鎮めることは無理だったが、ある程度まで飼い慣らすことは可能だった。

 そうして国津神たちは捕まえた黄泉神たちを他神に引き渡し、根国や常世に連れていかせた。


「素戔嗚がいた頃はあたしも加わってね、そりゃもうどえらい大捕物が繰り広げられたもんだよ」


 その話は穴牟遅も幾度となく聞かされていた。

 国に平安をもたらした素戔嗚の英雄譚は若比売にとって過去の栄光を象徴するものだった。

 冬衣ともその時代に共闘して結婚したので、彼女の青春であるとも言えた。


「おかげであんたが生まれた時にゃ黄泉神なんてお伽噺の類いさ。その時はそれで良かったんだけどね。世の中、何が幸いするか分かったもんじゃないよ」


 穴牟遅にとっては素戔嗚もお伽噺のような存在だった。

 素戔嗚は穴牟遅が生まれる前に根国へ往っていた。

 根国は黄泉のように葦原中国と断絶してはいなかったが、黄泉神がいるからか交流は殆どなく、穴牟遅は素戔嗚を見たことがなかった。


 もっとも、彼は若比売が黄泉神を捕らえる姿も目にしていなかった。


「母さんの腕もお伽噺になっていなければ良いけど」


 若比売は穴牟遅の懸念を鼻で笑った。


「一丁前に母親の心配をしてくれるたあ有り難いね。けど、そいつはちゃんと一丁前になってから言いな。今も気付いてないんだろ?」


 母が何を言いたいのか即座に理解し、穴牟遅は周囲を警戒した。

 若比売は標の力を神として祀り、目標と定めたものを迅速かつ的確に探索できた。

 ただし、その精度は若比売がどれだけ対象を熟知しているかに左右されたし、探り当てられたことを有効に活用できるとは限らなかった。


 それでも、若比売の勘が自分よりも遙かに鋭いことは穴牟遅も分かっていた。

 そして、目的がはっきりしている以上、若比売が赤猪ではなくとも黄泉神を見付けたであろうことは、まず間違いなかった。

 迎撃の態勢を取る若比売と穴牟遅の前に一頭の神猪が姿を現した。



 若比売と穴牟遅の前に姿を現した神猪は、岩のようにごつごつとした巨体をしており、その毛並みは燃えるように赤く、真っ赤に焼けた大岩を思わせた。


「赤猪とは良く言ったもんだね」


 若比売は自身の髪から簪を引き抜き、釵に変えて順手に持って先端を赤猪へ向けた。

 感覚を研ぎ澄ませれば彼女は相手の急所をも探し当てられた。

 穴牟遅も十拳剣を抜いて構えた。


「良いかい? あんたは自分の身を守ることだけ考えときな。今回はあんたが赤猪を捕らえた場にいたってのが肝心なんだからね」


 事前に黄泉神の捕らえ方は一通り教わっていた。

 しかし、実戦の経験がないのは如何ともし難かった。

 実際、呪力が荒れ狂った赤猪の凄まじさを前にし、穴牟遅は心の中で気圧されていた。


 それを表に出さなかったのは、代官の務めを果たさねばならぬという責任感に加え、若比売を矢面に立たせることに申し訳なさを感じていたからだった。

 実力差を鑑みれば若比売がそうなるのは当然だった。

 だが、穴牟遅は頭で分かっていてもそれを当たり前と受け取るのに抵抗があった。


(俺にもっと力があれば……)


 無い物ねだりをしても現実は変わらなかった。赤猪が若比売と穴牟遅に向かって突進した。

 若比売は攻撃するか回避するかを見極めんとし、穴牟遅は最初から避けようとした。

 ところが、猪突をかわそうとして横へ跳ぶと、山にある木の一本がいきなり割れて穴牟遅を挟んだ。


「!?」


 予想外の出来事に穴牟遅は声を上げることさえ出来なかった。

 それでも、ただならぬ気配に振り返る若比売が目に入った。

 赤猪が迫っているにもかかわらず、息子を心配した母親の姿に穴牟遅は無念さが込み上げた。


「穴牟遅!?」


 若比売は木に挟まれた穴牟遅のところに駆け寄ろうとした。

 けれども、それより早く赤猪が穴牟遅に肉迫した。

 あたかも最初から穴牟遅が狙いであったかのごとく。


(まさか八十神が操っているのかい!?)


 有り得ない話ではなかった。

 八十神は出雲の神人たちを多く隷属させていた。

 出雲はかつて多数の黄泉神を捕らえた素戔嗚のお膝元だった。


 恐らく穴牟遅を木に挟ませたのも八十神の呪能なのだろう。

 若比売は己の迂闊さを呪った。

 此度の捕り物は八十神が仕組んだのだから、もっと警戒して然るべきだった。


(体が全く動かない!)


 同様の悔しさは穴牟遅も感じていた。

 どうしてか木に挟まれた衝撃で気絶することなどはなかったが、身動きが取れないのは同じだった。

 その穴牟遅を赤猪が口から火を噴いて焼いた。


典拠は以下の通りです。


素戔嗚尊が国に平安をもたらす:『建武三年国造出雲孝時解状土代写』


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