第三十四段 鳥髪
素戔嗚は奇稲田に案内され、肥河を遡って鳥髪の山を登った。
峰の上には国津神たちの村があった。
そこは山上にあるにしては大きく、寂れている気配はなかったけれども暗かった。
早朝ということもあったが、太陽の光がまだ弱いにしても、新しい一日が始まる活気に欠けていた。
それでも、村人たちは仕事をするために家々から出てきており、奇稲田たちに出会すと彼女に挨拶した。
「こう見えて俺様は村長の娘なんだ、三貴子よ」
奇稲田はわざとらしく得意がって説明した。
しかし、挨拶する村人たちの表情には憎悪や恐怖、そして、憐憫の情が読み取れた。
もっとも、それについて素戔嗚は何か言うつもりなどなく、最も立派な屋敷に連れていかれた。
◆
奇稲田が素戔嗚を案内した屋敷は彼女の家だったが、家中の者と思しきそこの住人たちも余所余所しかった。
それを気にする風もなく、奇稲田は父母に素戔嗚を紹介した。
奇稲田の父である足名椎命と母の手摩乳命は、ゆるりと朝餉を食していた。
「朝帰りの娘が男を連れてくるとはたまげたね」
足名椎は煙管を吹かしながら呑気に言った。
村長たる彼は長者のような格好をしていたが、その様子は砕けていた。
親しみやすくはあるけれども、見方を変えれば投げ槍とも受け取れた。
「ん……」
手摩乳が奇稲田と素戔嗚のために飯を装った。
無愛想なばかりか、飯炊き女のごとき姿だった。
だが、その艶やかさは娘たる奇稲田に引けを取らなかった。
「喜べ、ご両人。俺様は益荒男を見付けたぞ。末尾を飾るに相応しい、な」
嬉しそうな奇稲田の笑顔に、足名椎と手摩乳の動きが一瞬だけ止まった。
足名椎は目を細めて手摩乳は俯いた。
煙草の灰を灰吹きに落とし、足名椎が素戔嗚に向き直った。
「君は呪力の荒れ狂ったものの存在を感じてここに来たのかい?」
「ああ、そうだ」
「ならば、それは八岐大蛇のことだろう」
そう答えて足名椎は大蛇について語った。
大蛇は近江国の伊吹山にいた伊吹大明神なる神蛇だった。
近江は出雲から見て越国の方角に当たったが、そこから大蛇はやってきたのだ。
それは呪力が暴走したからで、やっと落ち着いたのが鳥髪においてだった。
ただし、黄泉神と化した大蛇が元に戻ることはなく、定期的に暴れては村に甚大な被害をもたらした。
ところが、皮肉なことに黄泉神である大蛇は村の呪力を活性化し、平時には多大な恩恵を与えた。
それを利用して村人たちは大蛇を村に押し止めた。
土地に根付く国津神たちはそこから離れがたく、そうであるのならば余所に被害が出ぬよう大蛇を引き留めるのがせめてもの意地だった。
「大蛇を鎮めるため、既に七人の娘が犠牲になった。八岐とはそういったことさ。娘と大蛇を合わせて八つってね」
足名椎は自嘲するように笑った。
奇稲田は笑顔のままで、手摩乳は感情を表に出さなかった。
素戔嗚の顔を足名椎がずいと覗き込んだ。
「大蛇を退治してはくれないだろうかい?」
「妣国の手掛かりを掴めるならな」
「なに、襲われて命の危険が迫れば、殺さざるを得なくなるだろう」
どこか虚ろな笑い声が足名椎の口から漏れた。
◆
夜にならねば大蛇は巣から出ないと教えられ、朝食を取った素戔嗚は、午睡してから下見に出掛けた。
案内は奇稲田が買って出た。
しかし、奇稲田は道中でも目にするものを何かと詩情たっぷりに説明した。
「駄弁を述べるだけなら口を閉じろ」
「風情というものを解さないのだな、三貴子」
芝居がかった態度で彼女は嘆いてみせた。
「お前も大蛇の餌にされかねぬ癖に、よくもそこまで脳天気に騒げるものだ」
大蛇を鎮めるのは村長の一家に課せられた役目で、それ故に奇稲田の姉たちは犠牲になったと素戔嗚は聞かされていた。
だが、奇稲田に悲壮な様子は見られなかった。
寧ろ楽しんでいるかのようだった。
「どうせ大蛇に取り込まれてその糧とされるなら、せめてそれを笑い飛ばさなくてどうする?」
蛇のような眼が素戔嗚の目を覗き込んだ。
「誰しも生まれる時に泣くのなら、俺様は笑って死にたい。そして、楽しめなければ笑いはない。大蛇のことも怪物に捧げられる生け贄の姫としてとことん楽しんでやる」
その言葉は単なる虚勢ではなかった。
奇稲田の笑顔には一点の曇りもなく、心から信じている様子だった。
その笑みが眩しかったからこそ素戔嗚は尚更に反発した。
「大蛇は俺が何とかする」
「ああ、そうだ。貴様でなければ俺様は認めない。大蛇の物語に幕を下ろすのは、貴様でなければ」
急に奇稲田が真顔となった。
「俺様は貴様に運命を感じた。大蛇から俺様を救うのは貴様が良い。他の奴では嫌だ」
それから、奇稲田は破顔してみせた。
「俺様を組み伏せてみせたんだから、また男を見せてくれよ」
「……誤解を招くような言い方は止めろ」
調子を狂わされて素戔嗚はそっぽを向いた。
「ふむ、照れるだなんて可愛らしいところもあるんだな」
「切り裂かれたいか」
「まだその時じゃないさ」
謎めいた奇稲田の言い回しに素戔嗚は舌打ちするだけで、深く突っ込むことはしなかった。
典拠は以下の通りです。
伊吹大明神が八岐大蛇となる:『平家物語』




